にしのひがしの

作家志望の23歳女が書評とか映画とかの感想・書評を書いてゆくブログ。

(抄)「ハイティーン」の断片〜寺山修司「少年少女詩集」

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今日は寺山修司著「書を捨てよ、町へ出よう」の中の、「ハイティーン詩集」の詩二つについて書こうかなと思います。以前読んで、すごくいいなと思ってノートに書いてたんですが、今日ふと思い出したので。
私はハイティーンどころかもう24歳になってしまいましたけど、ここに書かれている薄ぼんやりとした欲望たちのことはよくわかる気がします。

 

純喫茶『基地」でレモンティ飲みたい
郷愁を描いて見たい

〝失われた喪失”の意味が知りたい
着飾った新宿女のマスク汚したい
埃より小さな星を食べたい
返事をもらいたい
切られたい
シッカロヲルをなめたい
東京へ行きたい
もうそろそろ生まれたい
紀伊国屋のカレンダアを飾りたい
水平線で凍死したい
刃渡り20センチの果物ナイフを信じたい
ちょっぴり泣きたい
足裏を掻きたい
小指を見ていたい
初夢には止まった時計を見たい
もうやめたい
ボサノバをかじりながらレモンを聞きたい
これは盗作だと非難されたい
シュウクリイムで絵を描きたい
〝まだ白紙です”とキザりたい
ドヲナッツ型アドバルウンに色を塗りたい
日記には日記らしいことを残したい
ベクトルは忘れたい
顔を洗いたい
恋する男に歴史は暦より狭いことを耳打ちしたい
隠したい
活字を裏返したい
感電死したい
新聞読みたい
石田学者に会いたい
徴兵カアドを焼き捨てたい
エレベエタアで天まで行きたい
そのときはユキを連れていきたい
意味のない暗号など書いてみたい
どうも足の先が冷たい
ーー透明扉を閉めたい.

 

漠然として、形にならぬ、とりとめのない願望たち。
純喫茶『基地』なんていう決まった名前の喫茶店でレモンティを舐めてみたり、原稿の進捗は?と編集者から問われて、多忙な天才作家らしく、「まだ白紙です」と言ってみたり、紀伊国屋のカレンダアを飾って、ちょっと都会の文学青年ふうに気取ってみたりという、即物的というか、若者らしい欲望。
シュウクリイムで絵を描いたり、埃より小さな星を食べたり、エレベエタアで天まで行きたいという、空想というか妄想めいた、白昼夢のような願望。
「もうそろそろ生まれたい」と書いたかと思うと、「水平線で凍死したい」「刃渡り20センチの果物ナイフを信じたい」「感電死したい」というぼんやりとした希死念慮が覗く。
なればこれは切実な詩なのかと思えば、「日記には日記らしいことを書きたい」「足裏を掻きたい」「新聞読みたい」「もうやめたい」「顔を洗いたい」「シッカロヲルを舐めたい」というごく日常的に抱く思いが横切ります。
「気取った新宿女のマスク汚したい」「これは盗作だと非難されたい」からはささやかな反社会的行為への欲望が、「郷愁を描いてみたい」「〝失われた喪失”の意味が知りたい」「恋する男に歴史は暦よりも狭いことを耳打ちしたい」「初夢には止まった時計を見ていたい」には、青年詩人として表現したい欲望が見え隠れする。
「ちょっぴり泣きたい」「小指を見ていたい」「そのときはユキを連れて行きたい」などには、感受性豊かな年頃らしく、繊細に揺れ動く感情が見える。
巨きなものから小さなもの、夢見がちなものから即物的なもの、とるにたらぬものから切実なもの。さまざまな分化されえぬ欲望たちがいっしょくたに渦巻いている。
あらゆる可能性と、無限にあるように見える時間のなかで、多種多様の欲望たちに幻惑されながら、ぼんやりと立ちすくんでいる。それがハイティーンという年齢なのかもしれません。


もう一編紹介します。

 

15がもうすぐいってしまって、年取って終日ねたまんまで
しびんかかえたまんまで、ちゃぽちゃぽお汁をのんだりする
たぬきのようなばあさんになるのは、わかるけれど、
こわれそうな、こぼれそうな、そのくせ強くていやらしい頭かかえて
はしる、はしる、はしる、今の15のわたしだもの。

 

実は本が見つからなくて、ノートの抜き書きの箇所を載せているので、何かもっと長い詩の一部だったらすみません。
ちょっと太宰治の「女生徒」に似てる感じがします。
少女のわがままさ、傲慢さを、それでもなおオブラートに包んで、その万能感を豊かに描けるのは、なんとなく男性作家特有なような気がします。
女性本人なら、こんなふうに書けないような気がする。醜さを抜き出して、それでもなお、逞しく蠱惑的というか。少女は少女自身をそういう風には見れないような気がしますね。私のことでもあるんですけど。やっぱりその醜さだけを見てしまうような気がするから。

のびやかな肢体とか、ぴんと張った膚とか、まっしろな乳房とか。そういうものはいつか消えることは分かっている。言い寄ってくる男の子たちだって、自分があと何十年かして年をとれば、「ババア」としか言われず、顧みられなくなることも分かっている。わたしたちの価値はひどく儚くて、失われるもので、でも今は「15のわたし」だから、「はしる、はしる、はしる」しかない。「こわれそうで、こぼれそうな、そのくせ強くていやらしい」だけの頭であることを自覚しながらも、生々しいまでの「今のわたし」を生きていくしかない。老いたあとのことなんか、遠くて近くて距離なんか測れない。

 

書いててGLIM SPANKYの「美しい棘」を思い出しました。

 


GLIM SPANKY - 「美しい棘」Music Video(Short ver.)

 

若さがいつか消えることわかってる
言われなくとも私たち馬鹿じゃない
 だけど血を流しても噛み締められないのはああ 憎いもんだわ
本当知りたいだけなのに

(美しい棘 GLIM SPANKY 歌詞情報 - 歌ネットモバイル)

 
こういう曲は他にも探せば意外とありそうですよね。ただ、やっぱり言葉にうつしとるのは、だいぶ大変な作業というか、ことばのセンスを試されるテーマなのかもしれない。すごく尖って、微細にきらめいた感情ですよね。
 
短いですけど、今日の記事はこのへんで。「美しい棘」、最近かなり有名だと思うんですけど、未チェックの方は是非一度フルでご視聴ください。
また明日お会いしましょう。