にしのひがしの

作家志望の23歳女が書評とか映画とかの感想・書評を書いてゆくブログ。

殺人を犯す青年たち〜「太陽がいっぱい」パトリシア・ハイスミス

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こんばんは。なぜか初見の本でゲイを引き当てることに定評があるにしのです。
いや、確かにいわゆる腐女子ではあるんですけど。特に事前情報を入手したわけでもなく、あっこれ面白くなりそうとか、主人公に共感できるなあと思って読んでいくと、同性愛的要素があることが、少なくはないです。
トルーマン・カポーティは生涯愛していくと思うし、最近読んだ月と6ペンスもモームが同性愛者だって解説で知ってびっくりしたし、木島日記(大塚英志)だって木島さん同性愛者だったし…。
同性愛者の主人公に特有の、神経質さとか、繊細さとか、生きていく上での(性嗜好が表立っているのであれいないのであれ)居心地の悪さ、みたいなものに共感してしまうのかもしれない。それと、やっぱ男同士の関係性にはすごく興味を持って読んでしまいますね。いかがわしい意味の関係でなくても。自分の人生の中ではどうしたって経験できないので。ゲイ特有の(?)女うぜーみたいな気持ちも、わりと面白くてすらっと読んでしまえます。昔の文学作品にはよく出てくる男尊女卑的なセリフも痛快だなって思えてしまう。現実世界で言われたらイラッとするんでしょうけど…一理あるな、と感じるときは結構ありますね。ある意味古典文学の美学とすら思います。

さて、今日は「太陽がいっぱい」の主人公・美しき犯罪者にして、大胆かつ繊細な24歳の青年、トム・リプリーについて書きたいと思います。
映画は見てないです。最近「キャロル」が話題になって、女性同士の恋愛って珍しいなあという感想を抱いてたくらいです。作家本人が同性愛者だとは知りませんでした。最近出た文庫のカバーが綺麗で思わず手に取ったという、なんとも軟派な理由です。

単刀直入にいえば、「太陽がいっぱい」すごく面白かったです。なぜ面白いのか。それは、主人公であるトム・リプリーの魅力に尽きるのではないか。原題が〝The Talented Tom Repley”なのも頷ける話だと感じます。
物語は 400ページ近くを延々とトムの行動、考え、感情の揺れ動きを辿るのみです。視点の変遷も、大きな場面の転換もなく、どちらかというと一本調子な書き方をされているといっていいのではないでしょうか。それでも読者の心をつかんで離さず、ぐいぐい読み進てしまう魅力がある。これはやっぱりトム・リプリーの人間としてのリアルさが、大きな推進力になっていると感じます。
このリプリー青年を描ききるパトリシア・ハイスミスもまた、talentedですね。いくつか候補があったようですが、このタイトルにしたのは作家自身の誇示もあったのではないかな。こんなtalentedな主人公を描けるハイスミスもtalentedだぞ、そこんとこよく覚えておいてね! みたいな感じがします、なんとなく。

本書の解説やGoogle先生の検索によれば、有名な映画版とはかなり話の筋が違っているようです。二回映画化され、そのどちらも結末が原作と違うというのは結構珍しいんじゃないでしょうか。
主人公はトム・リプリーはニューヨークで、たちの悪い仲間とつるみながら、税務署からの手紙を捏造して小銭を稼いだりと、詐欺師として生活していました。そんなある日、彼は昔の友人の父親・グリーンリーフから、資金援助はするから、息子をイタリアから連れ戻してくれないかと頼まれる。渡りに舟、これで今までのくだらない生活から脱出できる、と胸躍らせたトムは、一も二もなくその頼みを引き受けます。豪華客船に乗ってはるばるイタリアに渡ったトムと無事再会を遂げたディッキー・グリーンリーフは、父親からの送金で裕福な生活を送っていました。偶然背格好も顔も自分と瓜二つであるディッキーに、トムは次第に心を惹かれるようになるがーー。

トムはしばしば、「太陽がいっぱい」の評論において「同性愛者(的)」と形容されていますが、作中ではそれほどはっきりと書かれていません。ただ、自分の体の色の白さを異様に気にしたり、ディッキーのガールフレンドであるマージと並んで座る際、「(生理的嫌悪を催すために)腿と腿が触れ合わないように気をつけた」という書かれ方をしてあったりして、あ、ちょっと普通と違うかな、って感じはします。
昔のアメリカは特にマッチョ的価値観が強いと読んだことがありますので、こういった心理描写そのものが、「=ゲイ」っていう指標? 表現? になるのかもしれないですね。現代日本の価値観だと、まあそういう男性もいるかな、って思ってしまいますけれど。

トムの性格のなかで顕著なのは、芸術や美術を愛好する気持ちと、今までの自分の生活にはもううんざり、もうこんな野蛮な暮らしは送りたくない、という嫌悪です。彼はもっと素晴らしい場所で、繊細で教養豊かな青年として生きることを望みます。

 

新たな人生が始まっていた。この三年間ニューヨークで付き合っていた連中、付き合ってやっていた二流の連中とは、おさらばだ。移民が祖国に何もかも残し、船でアメリカに向かったときは、こんな気持ちだっただろう。過去の汚点は清算された! ディッキーとの間に何が起こっても、トムは自分の役をうまく演じるつもりだったし、ミスター・グリーンリーフはそれをわかってくれ、彼に感謝するだろう。ミスター・グリーンリーフの金を使い果たしても、アメリカには戻らないかもしれない。たとえば、やりがいのあるホテルの仕事につくかもしれない。ホテルでは、英語ができて、機転のきく、感じの良い人間を欲しがっている。どこかヨーロッパの会社のセールスマンになり、世界を股にかけるのもいい。また、ちょうど彼のような若者を欲しがっている人が現れるかもしれない。トムは車の運転もできるし、計算も速いし、年老いたおばあちゃんも退屈させないし、お嬢さんをダンスにエスコートすることだってできる。彼は万能で、世界は広い! 職に就いたら、こつこつとやるつもりだった。根気と忍耐! 上へ、前へ! (50)

 

「彼は万能で」ーー、確かにトム・リプリーはとても万能です。なんというか、持ち前の頭の良さで、あらゆる可能性を考え、他人の目に自分がどう映るかをどこまでも計算して、仕草ひとつ、目配せひとつまで神経を行き渡らせる。それは少し過剰なほど微に入り細を穿つために、しばしば神経過敏の状態になってソファに倒れ込むほどです。
彼は作中で殺人を二度、未遂を一度犯しますが、その瞬間はひどく激情的であるのに、その直後、摩耗した神経と、事の重大さに打ちのめされた脳みそを無理やりフル回転させ、あらゆる隠蔽工作とその方法を考え出します。そのギャップが読んでいてどこかユーモラスな感じすら覚えます。彼の頭の回転の良さ、用意周到さは読んでいるこちらが思わず舌を巻くほどです。いろんなパターンを想定し、客観的に先を読もうとする読者ですらついていけないことがしばしばある。充足感、隅の隅まで行き届くその想定に、まず無理だろう数式がすいすい解かれていくような、そんな快感すら覚えてしまいます。

トムは、いわゆる「冷血」な殺人犯でもありません。例えば、彼の演技力は、臆病で繊細な観察眼と、自分に対する人々の評価への敏感さに由来します。また、彼は自分で考え出したシチュエーションを何度も練習し、その自己暗示から「あたかも本当にそうだったかのような気がする」とまで感じます。彼は自分の考えに「酔い」、おそらく感性の敏感さゆえに「支配され」たようにもなる。このあたりが、トム・リプリーの殺人計画を、危うげで、それゆえに魅力的に見せています。
トムは(それがはっきりと恋情とも、友情の延長とも明言はされていませんが)、ディッキーとマージが男女の仲になる場面を想像して不愉快になります。それで、自分とサイズも同じディッキーの服を着て、鏡の前でディッキーになりきり、ベッドの上でマージを拒むディッキーの様子を演じてみせる。その後帰って着たディッキーにそれを見られ、ホモではないのかと直接問われることになります。

 

「ぼくの服だ。脱いでもらおう」ディッキーが言った。
トムは脱ぎ始めたが、屈辱とショックで指がうまく動かなかった。これまでディッキーは自分の服を、これを着ろ、あれを着ろといつも言ってくれていたのだ。もう二度とそんなことは言わないだろう。
ディッキーはトムの足元を見つめた。「靴もか? 頭がおかしいんじゃないか?」
「いや」トムはスーツを吊しながら、冷静さを取り戻そうとして、「マージとは仲直りしたのかい?」と訊いた。
「ぼくらはうまく行っているさ」ディッキーはおまえには関係ないというようにぴしゃりと言った。「もうひとつ話しておきたいことがある、はっきりと」彼はトムをじっと見つめて言った。「ぼくはホモじゃない。きみがどう思っているかは知らないが」
「ホモだって?」トムはかすかに微笑した。「きみがホモだなんて考えたこともない」
「でも、マージはきみはそうだと思ってるよ」
「どうして?」顔から血の気が引いていくのがわかった。…「どうして彼女はそんなことを? ぼくがなにをしたって言うんだ?」目まいがした。こんなふうに、はっきりと言われたのははじめてだった。 

…「ディッキー、このことをはっきりとさせておきたい」とトムが切り出した。「ぼくだってホモじゃない。誰にもそんなふうには思われたくないね」
「まあいいよ」とディッキーが不機嫌に言った。
…まあいいよ! いずれにしても、誰がこんなことを問題にしているのだろう? ディッキーだ。口にするのはためらわれたが、心のなかでは、言いたいことが混乱しながら渦まいていた。辛辣な言葉や、相手の気持ちをほぐす言葉、感謝の言葉や敵意をむきだしにした言葉が。彼はニューヨークで付き合っていたあるグループのことを思い出していた。付き合ってはいたが、結局は全員と絶交してしまい、今では付き合っていたことを後悔していた。楽しませていてやったから、彼らも面倒をみてくれていたわけで、誰ともなんの関係もなかった! ふたりに言い寄られたが、きっぱりはねつけたーーただたしかに、あとで仲直りしようと、酒に氷を入れてやったり、タクシーで遠回りして送ってやったりしたこともあったが、それは彼らに嫌われることをおそれたからだ。じつに馬鹿だった! それからまた、ヴィック・シモンズに、「頼むから、トミー、そんな話はやめてくれよ!」と言われた恥ずかしい瞬間も覚えていた。ヴィックが居合わせた席で、たぶん、連中相手に三度か四度、「男を好きなのか、女を好きなのか、自分でもわからないんだよ。だから、どっちも諦めようかと思っている」と言ったのだ。みんなが精神分析医に通っていたので、彼も通っているふりをして、パーティーではいつも、医者とのやりとりをおもしろおかしく話して、みんなを楽しませていた。男も女も諦めてしまったという話をすれば、かならずみんな笑ってくれた。…実をいうと、あのなかには真実もけっこうあったのだ。世間の人間とくらべれば、自分ほど人の好い、心のきれいな人間はいない、とトムは思っていた。ディッキーとこういうことになったのは皮肉な結果だった。(111ー113)

 

個人の性嗜好をとやかくいうのは野暮なことだとは思いますが、ここにはトムの人付き合いに対する基本的姿勢が見え隠れしています。トムは自分の本心を隠し、他人の感情を優先し、その襞に分け入ることを率先して行います。やはり人とは少し異なる、敏感な青年であるがゆえなのでしょう。自分の本心をちらっと見え隠れさせることすら意図的であり、しかもそれは道化としての任務を全うした後に、気づかれないようにこっそりと行われます。
ディッキーが自分に徐々に冷たくなっていき、資金も残り乏しくなってきたトムは、ディッキーを殺して彼に成り替わり、外国に移り住みながらグリーンリーフ家からの送金を受け取って暮らしていくという未来を思い描きます。
二人で旅行に出かけた際、ディッキーがトムの発案通りボートに乗り、沖にまで出てしまったことで、その計画は実行されます。トムはオールでディッキーを幾度も殴りつけて殺し、衣服や指輪・時計をすべて剥ぎ取って自分の身につけたのち、重しをつけて死体を海の底に沈めます。
元々は友情以上の感情を抱いていた相手に対してあまりに非道な行為ではある印象を受けますが、この場合、「冷血さ」とか、「ホモの嫉妬」とか、そういう言葉では収められないものがあります。追い詰められ、他に方法がなく、正しく生きてゆきたいけれど他に方法もなく、誰とも心を通い合わせられない青年の孤独さ。結局のところ多くの人間は彼にとっては彼の孤独を癒しえず、本心に迫る付き合いをしてくれていないのだから、先日まで友人であったところで、全くの他人であったところで、彼にとってはほとんど同じことです。ハイスミスの手腕は、こうしたトムの心理を臨場感豊かに描写し、読者にその心情をすっと理解させるところにあります。

トムはディッキーの家に戻り、ディッキーの帰りを待つマージをなんとかかわしながら、荷造りをし、いくつかの偽装工作を済ませてひとりでパリへ旅行に出かけます。彼はしばらくの間ディッキーの服を着、ディッキーの仕草をし、ディッキーの表情を浮かべ、ディッキーの筆跡でサインをし、ディッキーの父親からの送金で贅沢なホテルに泊まります。そのときトムは非常に満ち足りて、幸福です。彼は自分が何よりも夢見ていた、裕福で、育ちが良く、教養豊かで、繊細な青年になりきります。しまいには「トムに戻るのは嫌だ」と考え、ディッキーとして生きていきたいと思うようになります。
すごく…異常者です、みたいな感じはするのですが、トムにとってそれは、自分が正の方向に生きるための、命を賭した一縷の望みです。知らず知らずのうちに読者もそれに肩入れするようになります。都合の悪い起きたり、うっかりトムが自分とディッキーの名前を言い間違えたりするたび、私たちは「気づかないでくれ、気にとめないでくれ」と、他の登場人物たちの無知を、鈍感を心から願ってしまいます。トムがディッキーを殺害する理由は、確かに同性愛者だと思われたことで、彼が冷たくなってしまったことが原因ではありますが、それと、トムがディッキーとして生きる理由はまったく別物だと考えられます。ディッキーのような立場の青年として生き、本当に自分が望んでいた生活を手に入れたいという願いが、彼をディッキー殺人の完璧な隠蔽工作へと駆り立てます。トムにとってディッキーとは変奏としての自分であり、ある種パラレルワールドの自分の姿だったのでしょう。

シチリアの次はギリシャだ。ギリシャはどうしても見たかった。ディッキーの金を懐にいれ、ディッキーの服を着て、ディッキーのように見知らぬ人間にふるまい、ディッキー・グリーンリーフとしてギリシャを見物したかった。…殺人を犯したくはなかった。やむをえなかったのだ。アメリカ人観光客トム・リプリーとしてギリシャへ行き、アクロポリスを歩きまわるのには、何の魅力もなかった。むしろ行きたくなかった。大聖堂の鐘楼を歩いていると、目に涙が込み上げてきた。彼はその場を離れ、別の通りを歩いた。(248)

…トーマス・リプリーには戻りたくなかったし、取り柄のない人間でいるのも嫌だった。また昔の習慣に逆戻りしたくもなかった。みんなから見下され、道化師のふりをしなければ、相手にされないのだ。誰もでもちょっとずつ愛想を振りまく以外、自分は何もできない役に立たない人間だという気持ち、そんな気持ちはもう味わいたくなかった。 (262)

…これから、自分は内気でおとなしい取るに足らぬ男トム・リプリーとして、あの古代の英雄たちの島々、ギリシャへ出かけるのだ。二千余ドルの銀行預金は徐々に減っていた。そのため、ギリシャ美術の本を買うときにも、実際二度ためらった。それは我慢ならぬことだった。(281)

実際トムは、画家を目指しているディッキーの絵を見て、「せめて彼にもう少し才能があればよかったのに」と判じる程度に芸術への造詣があります。マギーのあまりに無神経で無教養な様子、女性らしい無遠慮さや厚かましさには生理的嫌悪を示します。育ちのいい善良な人々に気に入られ、彼らを騙し抜くには、彼らと同じレベルのものを感じ、言動をし、それ以上に操らなくてはならない。これは単なる小悪党には不可能なことです。ヨーロッパを周遊し、不労所得を得ながら、様々な芸術に触れ、絵を描き本を読む。これがトムの夢であり、それが成就するのか、それともそのたぐいまれな〝talent”が、単なる殺人犯として刑務所の中に潰えるのかは、物語に大きな緊迫感を与えます。トムの一挙手一投足を、他の登場人物の一挙手一投足を、読者はそれぞれ息を呑みながら見守る他ありません。
 
個人的に、ラストシーンは大変な白眉です。全てが「終わった」ことを察したトムが見上げるギリシャの美しい白日。太陽の眩しい光が周囲に満ち、砂浜は白く輝き、大気は乾いている。それが手に取るように伝わってくる描写。「太陽がいっぱい」という邦訳は間違いなくセンスに満ちており、そのタイトルがラストシーンの情景と結びつき、物語の結実とともに、その出入り口がしっくりと結ばれます。

余談ですが、頭の良い神経質な青年が殺人を犯し、その隠蔽工作に物語中を駆け回るーーといえば、何が思い浮かぶでしょうか。私は性癖的(?)に、そういう主人公がすごくぐっときてしまうんですけど、紛れもなくこれは「罪と罰」が挙げられるでしょう。ラスコーリニコフの神経質さ、確かに他人よりも頭も良く、感性豊かで、純真であるがゆえに、やむにやまれず人を殺す。ハイスミスは「罪と罰」を愛読していたと書いており、どこか彼の残り香が感じられるトムに対して納得がいきました。ちなみに私は昔懐かしいデスノート夜神月も大好きです…。彼もまた、ラスコーリニコフを下敷きにして描かれた人物であるといえると思います。

 

<関連リンク>

sanmarie.me

yuu73.xsrv.jp

 

太陽がいっぱい」には続刊があり、4巻目である「リプリーをまねた少年」(The Boy Who Followed Ripley)には、文字どおりリプリーをまねる少年が出てくるということで、すごい読んでみたいなって感じです。ちらっと店頭で見たんですけど、帯がなんかやばかったような…。と思ってググりました。

 

《トム・リプリー・シリーズ》第四作。犯罪者にして自由人であるトムを慕うフランク少年とトムの危険な関係は、「父親殺し」を軸に急展開をする。犯罪が結んだ、男と少年の危険な関係を描く!
リプリーをまねた少年 :パトリシア・ハイスミス,柿沼 瑛子|河出書房新社

 

やばくないですか…?「父親殺し」ってかなり好きなテーマなので、ちょっとこれは個人的に要チェック案件です。はあ、またひとつどツボな本を見つけてしまった。嬉しいようなしんどいような変な気持ち…。

さて、今日はこのへんで失礼したいと思います。
また明日お会いしましょう!