にしのひがしの

小説家志望の24歳女が本の感想を書いてゆくブログ。

メンヘラ女とダメ男〜「地下街の人々」ジャック・ケルアック

 

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お久しぶりです。こないだ人生で初めて財布を盗られました。にしのです。しんどいです。

今日は「地下街の人びと」のレビューを書いていきます。古本屋で100円で書いました。

一言で言うと、メンヘラ黒人美女・マージと、ヒッピー三十路男・レオが共感し合ったり気まずくなったりしつつ、案の定二ヶ月で別れました、っていう話ですね。マージの浮気が原因っぽくなってるけど、より正確に言えばレオの嫉妬や猜疑心からじゃないかな。

んー、意外な展開とかはあんまり、ないですね。「意識の流れ」と文体のリズムを重視した作品なので、ストーリー自体は朴訥というか、ひねりはないです。レオの一人称、意識の流れがずっと続く。ヤンキーカップルが付き合い始めてから別れるまでを見ている感じです。
レオがあまりにどうしようもなくて、終盤「バッファロー66」を思い出しました。徹頭徹尾自分のことしか考えてなくて、後悔はするけど反省はしない感じっていうのかなー。私は女なので、結構マージに寄り添って読んでしまいましたね。マージは信頼できるキャラクターでした。最後にきっぱり「私は私でいたいの」って言って、自分からレオを振るのもいいですね。ちゃんとしてる。それで「そして彼女の愛を失った僕は家に帰る。/そして小説を書く。」で終わるっていうのも、ほんと変わんねえなこいつ、って感じが出ててアリだなと思いました。途中のグダグダに比べるとよかったですね。

これ読む人によって感想は全然変わるんじゃないかなあ。「バッファロー66」が、主人公に共感した男性に支持されているように。

d.hatena.ne.jp

こちらのブログで、カポーティはケルアックを徹底的に批判したと書かれていました。私カポーティはすごい好きなんですよね。合わなかった理由がわかった気がして、ちょっと納得しました。好き嫌いが別れる作風なのかもしれません。この記事の執筆者さんは「地下街の人びと」が好きみたいです。

「いずれにせよ三十代半ばのケルアックが、幻想を抱き過ぎたがゆえ失恋を味わい、簡素な台所で独りタイプライターを打ちまくっている姿がありありと目に浮かぶ。このような男によって書かれた文学が、どうしようもなく孤独な夜、仮にも僕たちの枕元にあったならば、少しの慰めにはなるのではないか?」

女に救いを求めて、結果夢破れた、孤独な男たちの夜の彷徨。その傍らにあるべきバイブルとしての「地下街の人びと」。
レオは幻想を抱き過ぎたのかな、どうなんだろう。それはこの後ちょっと考えていきたいところです。

この作品。もっとストーリー重視であれば、ある程度平均水準っていうのが出てくると思うんです。あんまり好きじゃないかもって人でも、まあここは最低限評価できる、例えば終盤のどんでん返しや、意外な展開、みたいな。基礎点数っていうのかな。それをまるっと放棄しちゃってる感じがケルアックらしいというか、ビート文学っぽいなと思ったりします。訳者の真崎義博さんによれば、彼は書いたものをエディットすることを「最大の屈辱」とまで捉えていたみたいだし。

ケルアックは意識によることばの検閲を排除し、無意識の領域を掘り起こそうとする。ものすごい速度でタイプを叩きながら精神から湧き上がることばの泉を汲み取る。そしていったん記録されたものを決して推敲しようとしない。このような創作姿勢はビート作家に共通して見られるが、そのスピードにおいてケルアックは抜きん出ていた。作品を刊行する際に出版社から削除と書き直しを命じられたことは、彼にとって最大の屈辱だったに違いない。(194)

ビート派は、小説を書いている間に閃く一瞬の感情とか、表現とか、真理とか。そういうものを大事にしていた人たちだったと。それで、私生活もヒッピーしてドラッグやって呑んだくれて~って感じ。書き方も生き方も全体的に捨て身な感じですね。捨て身だからこそ一途さみたいなのも伺えます。主人公のレオもそうだけど、根本的に不器用で純粋ではあります。「トレインスポッティング」とかも少し似てますね。最近2やってましたね。

マードゥにはきっとモデルがいるんじゃないかな。彼女の少女性というのか…ある意味での純粋さっていうのが清冽で、べったり「(自分の)男の肉体」に依拠して生きてるレオ(≒ケルアック)に創れる感じがちょっとしないかなあ。表現がいいんですよね。マードゥ。本性的(?)に女性というか、少女だな、って感じがする。

「みんなと会ったころの私って、何も知らない女の子だったの。他人に頼ったりしなかったけど、とくに幸せとかなんとかいうこともなく、何かすべきことがあるわという感じだった。夜学に通いたかったし、いくつか仕事もしたわ。オルスタッドの店やハリソン通りのあたりの小さな店でも働いたのよ。学校の歳をとった先生はいつも、私なら偉大な彫刻家になれると言ってくれていたの。いろいろなルームメイトといっしょに暮らして、着るものを買ったりしてうまくやっていたのよ」(42)

この「着るものを買ったりしてうまくやっていたのよ」ってすごくいいと思いません? ああ、女の子なんだな、って感じがします。「うまくやっていた」中で特筆するものがお洋服なんだなあって。でも確かに女の子が洋服買えてたらそこそこうまくいってる感じはあるよね。「他人に頼りなんかしなかったけど、とくに幸せとかなんとかいうこともなく、何かすべきことがある感じ」っていうのもすごいいい。この絶妙な回りくどさ、とりあえず色々拾い集めている感じってすごく女子っぽい気がする。
マージはレオ曰く「生まれながらに健康的で風通しのいいところから愛を求めてやってきた」女性。彼女は都市部にやって来ますが、ある男性と寝た後、ふと「自分が何なのかわからなくなった」といいます。彼女は「自分が自分でなくなる」恐怖に、裸のまま男の家を飛び出して、雨降る夜に辺りをさ迷う。彼女はそこである種の「天啓」を得て、自分が充足してゆくのを感じたのだと語る。

「私、決心したの、何かは建てたわ。それは……でも、私にはできないーー」新しい出発、雨の中の肉体からの出発、「私の小さな心臓、足、小さな手、神様が温めようと私を包んでくれている皮膚、つま先、こうしたものをなぜみんなは傷つけようとするの?ーー神様はどうしてこういうものを衰えたり、死んだり、傷つけたりするように造って、私に気づかせて悲鳴をあげさせるの?ーー野生の大地や肉体はどうして壊れるものなの? ーー神様が恍惚としたとき、父が金切り声を上げたとき、母が夢を見たとき、私は身震いしたわーーはじめは小さかった私もいまでは大きくなり、また裸の子どもになって泣いたり恐れたりするばかりなのよ。ーーねえーー自分の身を守って。あなたは害のない天使、害を与えたことなどなく、そんなことは絶対にできず、清らかな殻を破ったり薄い膜のかかった苦痛を与えたりすることもできないあなたーーローブを纏って、優しい仔羊ーーまたパパがやって来て、ママがその月の谷間にあなたを抱いて温めてくれるまで、雨から身を守って待つの、忍耐の時という織機ではたを織るのよ。毎朝を幸せに暮らしなさい」

ここは名文だと、個人的には思います。なんていうか、ある少女時代…恵まれてなく、周りには何もなくて、むやみに周囲から傷つけられていたような少女時代を送った人なら「読める」んだと思います。逆に、あんまり苦痛を感じず生きてこれた人には、「この女やばっ」ってなるような感じがする。
マードゥは精神科のセラピーに通っているいわゆるメンヘラで、生きづらさを抱えています。インターネットにはそう言う女性っていっぱいいるんじゃないかな。

…彼女は借りた二ドルを手に通りを走り、閉店よりずっとまえに店に着いた。カフェテリアでひとりテーブルについてコーヒーを飲み、ついに世界や、陰鬱な帽子や、濡れて光る歩道や、焼いたカレイがあることを示す張り紙や、窓ガラスや柱にかかる鏡に映る雨や、冷たいご馳走やドーナッツやコーヒー・ポットの湯気が見えるカウンターの美しさを理解したのだった。ーー「世の中はほんとうにあたたかいわ、小さなシンボリックなコインを手に入れさえすればいいんですものーーそれさえあれば温かい店に入れてくれるし、食べたいものを出してくれるのよーー裏通りで皮を剥ぐ必要も、骨をしゃぶる必要もないのーーそういうの店は袋をかついだ慰めを求める人々が心地好くなれるようにあるんだもの」

コインで何もかも手に入るなんて、なんて優しいんだろうと彼女は感動する。自分の心身を引き裂いても得られぬ「何か」があって、それは絶対的なものだと思っていたのに、世の中にはお店とかがあって、雑貨とか、コーヒーとか、そういうささやかな慰めをもらうことができる。それが社会的に許されて、あまつさえ「普通」とされているなんて、優しくてかけがえがないことだと打ち震える。
この後マージは、「マリアナベンゼンドリンでハイになる注射をされたような気分になり、ハイな気分のまま通りを歩いてい他人と電気接触をしているのを感じる」「そういうときは誰かがひそかに彼女に注射し、通りを歩く彼女を尾行するから…感電するような感覚はそいつのせいで、そいつは宇宙の自然法則からは独立している」(52)みたいなことを言い出して(レオ視点なのでちょっと人称がおかしいですが)ちょっとヤバい感じなのがわかるんですけど。「雨の中、素直で美しく、正気を失っている」(62)は純粋な子供そのものだとレオは感じ取る。

「日差しが柔らかくて花が咲いていたわ。私、通りを歩きながら考えていたの、『これまでどうして退屈に身を任せていたのかしら?』ってね。その埋め合わせにハイになったり、お酒を飲んだり、怒ったり、誰もがやるようなごまかしをしていたのよ。なぜそうなるかっていうと、みんな、今あることを静かに理解する以外のことならなんでもしたがるからかもしれないわ。これって、たいへんなことだから。それで腹の立つ社会的な取引のことやーー腹の立つーー刺激的なことを考えたりーー社会問題や人種問題について口論していたのかもしれない。ほとんど意味がないことなのに。最後には大きな自信や朝の黄金いるの光も消えてしまうような気がしていたの。私はもうはじめていたのよーー私は、純粋な理解やずっと生きていこうとする意志のちからで、自分の人生をそういう朝みたいにすることもできたのに。そうなっていたら、どんなことより素敵だったでしょうねーーでも、何もかもが嫌なことばかりだった」(58)

言ってることも結構まともっぽかったりするんですよね。自分が生まれ変わったように思える朝、瞬間。全てのものがフレッシュで、自分の存在も、他人の存在も祝福されて、自分が見るものすべて、人間すべてが神様が定めた宿命であり、神聖なもののように思える。そういう朝を彼女は体験して、レオはそれを「あばたの地面にあいた穴から不安げで純粋無垢な精神が立ち昇り、砕けた自分の両手で安全な救いの場へと這い出してきたことがはっきりとわかった」と描写する。
狂人の純粋無垢性って私はすごく惹かれるテーマだったりするので、興味深いと感じます。マージ自身結構頭が良い子で、性格も真面目な感じがするんですよね。レオはマージのこの話を聞いて彼女を唯一無二の女の子だと感じます。

ーー灰色の日、赤い電球、僕は若い頃に知っていた偉大な人々、仲の良かったアメリカの偉大なヒーローたち、いっしょに無理をして刑務所に行き、みすぼらしい朝を迎えた人々、あふれそうな排水溝のなかにシンボルを見ながら歩道を歩いた少年たち、タイムズ・スクウェアにいるアメリカのランボーヴェルレーヌたち、こういう人々以外の口からこんな話を聞いたことは一度もなかったーー精神の苦悩を語ってぼくを感動させる女の子など一人もいなかったし、地獄を彷徨う天使のような輝きを見せる魂を見たこともなかった。かつてぼくは、その地獄とまったく同じ通りをぶらつきながら彼女のような人間を探し求めていたが、暗黒も、謎も、永遠の中でのこうした出会いも、夢想だにしていなかった。…ーーもはやそれは愛にも似ていて、ぼくは困惑したーーぼくらはリビングルームで、椅子のうえで、ベッドルームで愛を交わし、からだを絡ませあって充足感にひたって眠ったーー今度はぼくのもっと強い性衝動を見せてやろうーー(63)

最後は結局性欲かよ!!って思うんですけど。それはまあ置いといて。最初はヤリ目だったけど、話聞いてると結構色々悩んで苦しんでるんだなってことがわかって、それって実は俺もすごい悩んでたことだったんだよね。なんかこの子いいな、ちょっとヤバいけど。みたいな感じですかね。「もはやそれは愛にも似ていて、困惑した」っていうのが無責任さを際立たせているな〜〜〜〜。

レオはマージのこうした話の中に、彼女のルーツである黒人の歴史を読み取り、原始の力を持つはずの人々であった彼らが、奴隷制によって何もかも奪い去られ、すっかり力を失いながら生きるさまを重ね合わせています。このへんが結構難解で読むのに苦労しました。そして、多分これは後々また強調されて使われていくモチーフなんだろうなと思ってたら、最初だけぶつけてきて後にはほとんど出ないのもびっくりしました。書きなぐっている感じがしますね。

レオはマージ自身顔を合わせたこともない彼女の父親を夢想し、「ハンサムな彼はアメリカの片隅の寒々とした薄暗い明かりの中で誇り高く直立している。誰も彼の名前など知らず、気にも止めていないーー」と考える。レオにとってこの「薄暗い中で〜誰にも名前を知られず、気にも止められず〜誇り高く生きる」っていうのがポイントっぽいんですよね。題名にもなっている「地下街の人びと」に惹かれる理由も根本的にはそれのような気がする。貧しく暗い中で、生に対して絶望を抱えながら、ひっそり生きる。うわべはどうでも、中身には傷つきやすい心とか、繊細な魂を抱えている。無数にいる人間の中に没して飲み込まれそうになりながら、自分なりの正しさや生き方を追い求めていく。そういう姿を彼は「地下街の人びと」見出して、惹かれているような気がします。

で、だからさぞかしスケールの大きいロマンスになるんだろうなーって思って読んでたんですよね。マージという女性を介して黒人全体の歴史を視る、そんなことができるのかなーって。あとはあまりにどうしようもないカップルだから、どうしていくんだろうか、みたいな。「僕らは深い愛と、敬意と恥辱の身のうえにたってロマンスをはじめた。ーーというのも、勇気への最大の鍵は恥辱だからだ。」ってなんかかっこいいこと書いてるし。
でも、結局後半が、レオはマージが止めるのに毎日呑んだくれて、小説書くからって言ってウザくなってマージの家に行かなくなったり、たまにムラッとしてヤりにいったり、(さんざんゲイこきおろしてたのに、酔ったはずみでなのか)美青年と寝てマージを嫉妬させてみたりする。話のターニングポイントは、レオがマージが浮気している夢を見たこと。その夢にだんだん縛られてって、マージがユーゴスラビア人のイケメン・ユーリと話してると色目を使ってるだの、楽しそうだの、やっぱり彼女は若者がいいんだ、とか考えたりする。「おまえは年寄りだ、歳をとったろくでなしなんだ、こんなに若くて可愛い女を手に入れるなんて幸福なんだぞ」って自分に言い聞かせながら、同時に「彼女に気づかれずに彼女と別れる方法はないか」とか考えたり。途中月を見て唐突にお母さんのことを想って号泣したりします。時々マージからいい表現が書かれた手紙を受け取って、「彼女を誠心誠意愛さなければ」って思い直すんだけど、結局酔いつぶれてベロベロで会いにいったりする。マージが実家出て一人暮らししたらって言っても、お母さんが大事だからとか、お母さんに嫉妬してるんだろみたいなこと言ってとりあわなかったり。で結局マージが「ユーリと寝ました」って言って、「私は私でいたいの」って言って、愛想つかされて家に帰る。みたいな感じ。でも実際「ユーリと寝た」っていうのも実際嘘か本当かわからないみたいな書かれ方をしている。その上レオは結構関係末期になっても「女は殴れば言うこと聞く」みたいなこと言うし。
こんだけダメの役満だと、逆にダメを売りにしてる感じもする。一番ダメな男像を提示して、共感を集めているのかな。それにしても約10歳年上の男がこんな器狭かったら私嫌だなあ…。

ブログをここまで書くにあたって軽く読み直しまして。
最初のほうに書いた「レオは幻想を抱いていたか」っていうのは、ああ、抱いてたんだな、ってわかりました。でもそれは身勝手な幻想だとも思った。マージはいい子ですよ。レオが見出したような純粋さとか、狂気とか、そういうのはあるし、同情を買おうとしたわけでもなんでもない。自分が自分でい続けるために、ダメ男を切るくらいの決断力も、賢さもある。普通メンヘラって男に依存するのに、そこは偉いと思います。単純にレオがそこまで幻想を見て惚れ込んだ女の子と結局一緒にいれないくらいダメだっただけです。裏切られた!所詮女ってこんなもん!みたいな感じの書き方ですね。でも終わり方的に、その自分のどうしようもなさもなんとなーく分かってそうなところがまだ救いかな。
でも「こんな彼氏ヤダ」みたいなところでレオを責めたところできっとナンセンスなんですよね。きっと話のキモはそこではなくて、この話の魅力は男にしかわからない男のダメさみたいなところにあるんじゃないかなと思う。

でも、ダメじゃない男だっているのに、こういう本をもってきて男ってダメな生き物だから、とか言ってるダメ男は違うと思うよ!