にしのひがしの

小説家志望の24歳女が本の感想を書いてゆくブログ。

東京と、孤独と、スマホ〜『リップヴァンウィンクルの花嫁』感想

見ました。※がっつりネタバレしてます

http://eiga.k-img.com/images/movie/83603/poster2/200.jpg?1448333497

 


岩井俊二監督は『リリイ・シュシュ』と『四月物語』を見たことがあります。ただ、どちらもリアルタイムではなかったので、どうも古い感じがしてピンとこなかったんです。

リリイ・シュシュ』は特にいじめの描写もきつかったので…。でも『リップヴァンウィンクルの花嫁』は「今」に合ったもので面白かったし、監督は「時代の色」を切り取る、感じるのがすごくうまいのだと思いました。三時間弱あるので、途中で飽きたり疲れたりすると思ってたんですが、ずっと惹きこまれて見てました。

黒木華ってこんなに演技が上手いんですね。地なの?ってぐらい自然すぎてびっくりでした。綾野剛も、出て来た瞬間は先入観がありすぎて、「綾野剛だ…!」って言っちゃったんですけど、自然で、しぐさとか喋り方にリアリティがあって良かったです。
CoccoはもうCoccoで良かったけど、それでも、偽家族と最初に喋るシーンなんか上手かったし、七海に自分の部屋(?)を紹介する際の「ちょっと秘密」にくすっときました。
私はずっとCoccoのファンで、KOTOKOも見たしゴミゼロのドキュメンタリーDVDも持ってるんですが、癖があるのに温かみがあって、動物的で、周囲になんだかんだ愛されていくところとかはまんま地だなと思いました。KOTOKOよりは狂気の影は全面には出て来てなくて、生きるイメージが表だっていたので、精神衛生上は良かったです。

 というか、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』全体が、「狂気(みたいなもの、≒、孤独?)を託ってそれなりに生きる」にフォーカスして作られていますよね。第一線だったのは結構前のCoccoを、「今」のかたまりのようなこの映画に起用したというのは、監督の時代精神への敏感さを示している気がする。Coccoは古びない種類のもの、孤独感や愛、生きる苦痛なんかを歌っており、それはむしろどんどん表面化しつつあるものな気がするから。

 

見た後1日くらいずっと見放された感じとか、寂しい感じが去ってくれなくてきつかったけど、それくらい質が高いということだろうなあと。

七海の設定とか性格とかが自分に近くてつらかったです。理屈よりも感情、感傷でみる映画なのかなって感じがします。 七海は弱くて、純粋で、不器用で、口下手で、傷つきやすくて、すぐ騙される。頭もそれほどよくないのかもしれないし、人と関わるのも下手で、精一杯の自己表現といえば、SNSの表層をうっすらと文字で引っ掻くみたいに、何行かの投稿することだけ。綺麗とか派手な感じではないし、どちらかといえば可愛「らしい」というか、「ああよくいるちょっと暗めなタイプね」っていう感じ。でも、肌がしろくて、ウェーブのある黒髪ロングがよく似合っていて、家事をするために髪をあげると、はっとするほど平凡で、没個性的で、「何でもない」ような女性に見える。伏し目がちで、小さな綺麗な声で喋って、自分に自信がなくて、少しおびえたように生きている。 中盤、姑に責められて、泣きそうになった弾みで(お酒のせいもあってか)しゃっくりが止まらなくなってしまって、「何ふざけているの?」と辛辣な言葉を浴びせられるシーンがあるんですけど、そこがすごく七海っぽいと思いました。綺麗に泣くこともできない、要領が悪くて、ちょっと見苦しい感じが。

Cocco演じる真白は、そういう七海の「自分を大事にしてください」という言葉に対して、「私この涙のためなら死んでもいい」と言う。真白自身もやはりいびつな精神を持つ女性であり、AV女優として生計をたてながら、毎日飲み歩いて、無茶な散財を繰り返している。ただ、不思議な存在感と包容力、鷹揚さがあり、そこが七海も一緒にいて楽なんだろうなと感じます。

真白の本質は、七海の純粋さ、計算のない思いやりのような言葉に、誇張でも何でもなく「死ねる」といえるところだという気がする。純粋なものへの底抜けの愛、というか。なんでもかんでも愛して、傷つけられて、まる裸のまま生きてる。ウェディングドレス姿で七海と横たわりながら、真白は言う。

「ねえ、私ね、この世は幸せだらけなんだと思うの。だって人ってみんな優しいんだよ? 運送屋のおじさんが、汗だくで家まで荷物を運んで来てくれたりするの。私ね、そういうことされるたびに、幸せすぎて耐えられなくて、壊れそうになるの。だから、せめてお金を使うの。人間って、他人の優しさとか、思いやりとかを直接受け取ると、眩しすぎてとても耐え切れないから、お金を発明したんじゃないのかな」(大意)

これはすごく「Coccoっぽい」セリフ。ある意味おめでたいと受け取られかねないけれど、でも見るべきなのはそこではなくて、真白というキャラクターが「普通の幸せ」にとても耐えられない心のうつわであること、とても「普通に幸せになる」なんてことを受け止め切れないもろい生き方をしていること。それほどに、彼女の人生は、冷たく、救いのない孤独なものだったということ。

綾野剛演じる安室のチンケな小悪党みたいな感じもよくて。彼自身も別に良い人でも悪い人でもない。良い人のように見せかけた悪い人のようにも、悪い人のように見せた平凡な人のようにも、何にでも見えるし、きっと彼も何でもない。ただの「何でもない」人。息をするように裏切れば、出来るのであれば息をするように助ける。安室も、彼自身彼の責を、本質的に負えるような存在でもない。ある意味狂言回しのようなポジションではあるのですが、等身大(すぎるくらい)のただの「人」でした。

リップヴァンウィンクルの花嫁』は、何本か軸があるように思えました。「東京」、「いびつな家族」、「SNS/スマホ」、そして「待つ」。整理してみたいと思います。

 

 東京

この映画の一つに「東京」っていうのはコンセプトがあるのは確実といってもいいです。冒頭のSNSで知り合った男性と雑踏で待ち合わせるシーン、安室と会うカフェや、働く旅館、真白と行ったウェディングドレスショップとか、あえてどの場所を使ってるのがわかるようにしてあるし。また、ラストらへんに、ビデオ通話?で勉強を教えている生徒から「先生、東京ってどんなところ?」と聞かれて、「どんなところ……なんだろうねえ」と七海が答えるシーンがあり、単なる場所以上の意味を東京に求めているような気がする。そのことについて書きます。

この映画を見ていると、東京は人がたくさんいるくせに、離れているかと思えば近づいて、近づいたかと思うと離れて、いなくなって、触れて、その繰り返しのような気がしてくる。人間同士の距離の酷薄さがより際立つというか。とくに七海と安室との関係は利害関係の一致でしかないし、彼はだいたい七海を利用することしか考えていない(七海はそれに全く気づいていず。最後まで安室に感謝している)。真白との別れはもっとも大きなファクターですし、人と人が会う、親しくなる。離れていく、傷つく、別れる。「その意味って何なの?」を考えさせられる町が、この映画の「東京」な気がします。

 

いびつな家族

見終わったあと反芻していて気づいたんですけど。この話一つとしてまともな家族が出てこないんですよね。

七海の家族は仮面夫婦で仲は冷え切っている。父親が七海に「お前は幸せになってほしい」と親らしいことを話したり、結婚式で涙ぐむところはあるんだけれど…なんか全然響いてこなくて、白ける感じがある。それは、そもそもその結婚式が、七海と夫の間にすれ違いがあること、偽の親戚を招いたものであるからなんでしょう。嘘の上に跨った、どこか白けた涙。 実際、七海が義母に浮気していると誤解され、「実家の岩手に帰りなさい」とタクシーに押し込められても、彼女は父と母どちらも頼ることなく(連絡をとる描写もなく)、都会の雑踏に揉まれ続けることを選びます。そして夫の実家は夫の実家で、母は息子を病的に愛しており、週に2回は上京し、ホテルに泊まって息子と食事をしている。

真白の家はといえば、AV女優になったことで徹底的に縁を切られており、母親に安室が連絡をとっても、「捨てた娘だから骨などいらない、川にでも撒いてくれ」と言い捨てられる。

七海や真白は、家族や家庭に戻れない。状況して、東京に揉まれ、他人同士に挟まれながら、偶発的な出会いに存在や人生を賭けていくしかない。考えてみれば、今の20代とかと親との感覚の断絶ってすごいんじゃないかな。七海が義母に罵られたように、真白が母親に「都会で金稼いで好き勝手に遊んで楽しいか」と吐き捨てられるように、なんというか、世代の生き方が断絶しすぎて、かけ離れ過ぎていて、通じ合えないことも多いような気がする。 

 

スマホ

ちらほらSNSが出てくるんですけど、そこまで大きな存在感はありません。むしろもっと大きく、 スマホでの人との繋がりのほうが大きいかも。少し例をあげます。

七海が当てもなく、荷物を抱えてぼうっと町を彷徨っているタイミングで、偶然安室が電話をかけてくるところかなあ。我に返った七海が「あれ? ここ…ここどこなんでしょう…」と泣き、安室が「行きますから待っててください、今どこですか?」と尋ねるが、七海が場所を確認する前にバッテリーが切れてしまう。ただの筐体となったスマホを握りしめ、泣き崩れるというシーン。

また、七海が真白とアプリで連絡先を交換したのち、雑踏に紛れて真白がどこかに消えてしまうシーン。渋谷(だったかな?)の雑踏で一人で立ちすくんでから、携帯を取り出し、真白のアカウントにメッセージを送って微笑む七海は、一人だけれど、もう孤独ではない。真白とスマホで「繋がっている」から。これってすごく日常的な出来事でもある。見知らぬ街では特に、スマホの存在は大きい。目の前を通り過ぎる他人よりも、スマホアプリや、アプリを介して繋がる人たちのほうが大切で、かけがえがなくて、自分の生きるよすがになっている。

この映画でスマホSNS、ネットでの繋がりというのは、七海を首の皮一枚どうやってか食い止めて、生へと押しとどめるような役割を持っています。大きいのは安室という詐欺師の存在ですが、その安室だってどこにでもいる平凡で、卑怯な男でしかない。だから、その平凡で卑怯な男一人だけでも巡り会えることで救われる七海の生について考えてしまう。彼女を救ったのはやっぱり、安室ではなくて、スマホやアプリなんだろうなと。座間の事件でSNS規制が叫ばれていますが。たとえば七海からこの映画でスマホSNSを取り上げたとして、彼女が救われるとは考えづらい。もともと孤独な人間の行き場を奪うことで、さらに生きづらくなり、たった一人で死へ向かってしまう可能性も十分に考えるべきだと思います。

待つ

この映画のAmazonのある人のレビューに『「〜を待ちながら」でもあるまいが…』という文章があるんですよね。興味のある方は探してみてください。そのレビューは結構的確な気がします。ラストシーンで、七海が一人でテーブルに座って、向かいの椅子を眺めるシーンがある。そして、立ち上がって向かいの椅子に歩いて行って、背もたれに少し触れる。そこを見て、私は七海は「もう一人」を待ってるんだなって感じました。かつて七海の向かいの席に座ったのは、夫であり、次には真白であったけれど、今はもういなくて、だらしがないみたいに、学習しないみたいに、まだ性懲りもなく、向かいの席に座ってくれる人を求めて、たった一人に戻って生きてる。それがこの映画に描かれた七海の生です。

映画の題名を少し分析すると、やはり「待つ」という要素が現れます。『リップヴァンウィンクル』とはそもそも19世紀のアメリカの作家アービングによる寓話らしい。(以下wikiより引用)

アメリカ独立戦争から間もない時代。呑気者の木樵リップ・ヴァン・ウィンクルは口やかましい妻にいつもガミガミ怒鳴られながらも、周りのハドソン川キャッツキル山地の自然を愛していた。ある日、愛犬と共に猟へと出て行くが、深い森の奥の方に入り込んでしまった。すると、リップの名を呼ぶ声が聞こえてきた。彼の名を呼んでいたのは、見知らぬ年老いた男であった。その男についていくと、山奥の広場のような場所にたどり着いた。そこでは、不思議な男たちが九柱戯(ボウリングの原型のような玉転がしの遊び)に興じていた。ウィンクルは彼らにまじって愉快に酒盛りするが、酔っ払ってぐっすり眠り込んでしまう。 ウィンクルが目覚めると、町の様子はすっかり変っており、親友はみな年を取ってしまい、アメリカは独立していた。そして妻は既に死去しており、恐妻から解放されたことを知る。彼が一眠りしているうちに世間では20年もの年が過ぎ去ってしまった。 

 (リップ・ヴァン・ウィンクル - Wikipedia

 

文字通り捉えると、この物語で「リップヴァンウィンクルの花嫁」(つまりリップヴァンウィンクルの妻)は、20年帰らぬ夫を待ち続けて死んだわけです。監督は「リップヴァンウィンクルの花嫁」という存在に焦点を当てることによって、「帰らぬ(来ぬ)人を待ちながら(…死ぬ?)」という側面を強調したかったのではないかと思います。

確かに映画で、七海は二回ウェディングドレスを着て、指輪を(真白とは架空の指輪ですが)交換しており、「花嫁」というに相応しい記号性を持っている。何と言っても真白のハンドルネームがリップヴァンウィンクルであり、七海は彼女と婚礼めいた儀式をしたわけですから、リップヴァンウィンクルの花嫁=七海は結構瞭然かもしれない。(ちなみに七海のハンドルネームは、夫と出会い結婚するまでは「クラムボン」、以降「カンパネルラ」。)  

ただ、花嫁姿という点では真白もウェディングドレスを着ている。より積極的に着たがったという点では、七海よりもそこは強いのかもしれない。また「死ぬ」というのも、真白は死んだわけですから、より完成はされているということにはなります。ではその場合リップヴァンウィンクルとは? という問題にもなってきてしまいますが…。まあ、原作での「恐妻」という要素も削ぎ落とされているので、そこまで準拠する必要はなさそうだし、やはりここは七海を指していると考えていいと思います。

Coccoが好きという贔屓目で見ても、黒木華綾野剛の演技は白眉だし、映画自体の現代性、孤独感なんかもすごく真に迫るところがあります。他のちょい役の方々もすごくいいです。個人的には、七海が一時期働いてた旅館の人たちが好きですね。あ、あと、野田洋次郎さんがちらっと出てるらしいです。真白と二人で行ったレストランでピアノ弾いてた人だろうか…。すごくしっとりして、きらきらしていて印象的なシーンです。Coccoも少しだけ歌うし。黒木華の歌声が綺麗で、本当に可愛い声なのでそれにびっくりしました。KOTOKOよりも激しくないしグロくもないので、Cocco見て見たいって人はこっちからのほうが入りやすそうです。