にしのひがしの

小説家志望の女が本の感想を書いてゆくブログ。

石井遊佳『百年泥』(第49回新潮新人文学賞・第158回芥川賞受賞作)感想

 

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(新潮2017.11月号誌上で読みました)

 

※ネタバレ注意


最近の芥川賞って、こういう、ちょっとべらんめい感ある女性の一人称小説が好きな気がする。絲井秋子さんとか村田沙也加さんとか。
正直そこまで良い小説とは思わなかった。「わたしのインドで日本語教師体験記+ちょっと小説」、みたいな感じがした。
ラストの盛り上がりがあんまりなかった。主人公の語り口も、設定のぶっ飛び具合もあんまり面白いと思えなかった。
夢オチで済んじゃってもいいような、そんな話だから、主人公と現実との関わりが切迫してこない感じがした。
ファンタジックというには即物的で、ガチャガチャというわりには、ちょっと乙女チック。私だったら、どっちかを削るかなあ。混沌としていて、溶け合う、引き立てあう、って感じじゃないかも。違う要素をぶち込むっていうのは面白いと思うけど。

雑誌掲載ページ数でいうと、80〜101ページぐらいの、中盤がいちばん面白かった。
人魚姫みたいな何も喋らないお母さんと、「2本の脚」がわりになって生活していた少女時代。
お父さんと借金の取り立てに行ったときに、花畑の真ん中で花まみれで横たわって、カモフラージュしていた変なお客さん。
こういうファンタジックで、童話っぽいかわいい要素は好きだった。そのあまーい感じと、『インド』『泥』ってモチーフ、あるいはちょっと粗暴な感じの語り口が、うまく横並びになってなくて、どちらかが逸脱している感じがした。

「長くのびるものを、わたしは好まない」って文章がある。それで、「けだし、この世でいちばん長くのびるものは子宮である」って文章がある。んん、これはけっこう惹かれた。ただ、巧く活きてる、活用されてるなって感じなくて、勿体無かった。自分の母娘関係とか、インドにおける親子観とか、そういうものから派生して書かれた文章かもしれないけど、もっとつながる、訴えかけるモノがあってもよかったのかな。
あと、アナザーの世界というか、自分が選択しなかった行動や、場所や、時間の過ごし方、体験というものについて、気になってしまう、っていうのも、感受性としては魅惑的。

結構落語調というか、受け狙いというか、オチをつけるような語り口なんだけど、過去の思い出とかを話すときには、ふわっと変わって、ややもすれば美文調みたいな文体になったりする。印象的ではあるし、美文調は綺麗で好きだけど、乗ってる電車ががたぴしがたぴし揺れて落ち着かないような感じを受けてしまった。

タミル語が洪水が起きた朝に全部理解できるようになっている、インド人は交通混雑の回避のために翼をつけて飛ぶようになっている、大阪府との親交策によって、仏像と招き猫をトレードしている、日本語学校の美男子の生徒に見つめられて髪が焦げる。


「不可解」なこと、さして意味もないように見える奇跡がとかくたくさん、説明もなく起きる。そこに馴染めるか?面白がれるか?というのが、この小説を楽しめるかの分かれ目かも。