にしのひがしの

小説家志望の女が本の感想を書いてゆくブログ。

『カルト宗教信じてました』感想メモ

 

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読みました。エホバの証人信者の母親のもとに生まれた女性の、体験告白コミックです。いろいろ考えたことをつらつらとのせていきます。

幸福とか、あるべき生き方とかって答えのないものだから、はまりそうになるのはわかる
でも、エホバは答えのない問に一人で向き合えないひとたちが、独特な決まりをつくって集団を形成している感じがする
このシステムがながいあいだ受け継がれてきているってことは、そこに人間の本能的なものがあるんだろうな
すごくあやうい
こうしていれば幸せ(になれる)と言う共同幻想をつくっているようにみえる

 

アマゾンレビューには同じくエホバに疑問を持ち、脱退した元信者の方の感想も書かれていた。
このひとたちはほんとうに世界の終わりや破滅というものと真っ向から向き合ったのだ、取っ組み合い、抜け出したのだ
そこには非信者のひとが思い付きもしないような深い経験、感情があったのだろう

エホバ問わずカルト宗教への入信のきっかけが、元々の潜在的な弱さや不安である(二世や身近な人が信者だった場合はまた違う圧力がかかってくるが)、というプロセスを考えれば、離脱者が体験することは、奇跡のような心理的脱出、精神的解脱(?)といっていいのではないだろうか
世界の終わりという途方もないものと向き合い、未知の世界に出ていくということ。

 

人間を「ある状態」にしたてあげるやり方というのは、似通ってる
「ある状態」ーー特定の対象に依存・没頭させ、思い通りの言動をとるように強制していくこと。その結果、自由意思が曖昧となり、依存対象以外のものと孤立を深めて更に抜け出せない状態になること。
離脱・回復の過程もそれらと変わるところはない。
ただ、今回のカルト宗教だと、使われる言葉、概念が「神」や「世界の終わり」というスケールの大きいものであるため、より劇的な効果が生まれていると思う。ひとつの作品としても感動的だ。

 

 

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しかしエホバの排他性が露骨すぎて。。もし何か疑問を覚えたら「自分で考えるのはだめで(理由は人間は不完全だから)」、出版物を当たるか、祈るか、長老的な人に聞くか、のどれかだなんて。人間が不完全なら、当然その出版物を書いた人も長老も不完全な存在なのに。おかしい。
そもそも自分で考えることを放棄させる宗教なんて変だ。禅なんかは十牛図なんかにある通りとことん馬鹿みたいに自分で延々と考えさせて、悟りまで自分を深めていくものなのに。ただ、もし信者にそう言っても、そのひとたちは「禅や仏教がおかしい(≒サタン)と思うんだろうけど。絶対物は絶対なの、だって絶対物だから。これだけのなんの理論でもない理論。

上から思考停止を促してくるものに正しいものなんてひとつもない。「集団」「決まり」という「思考が通用しないもの」を作り、思考停止させていく、絶対視させていく、というのはとても古典的かつ普遍的なやり方だ。苦しみや辛さはがっぷり四つみたいな感じで直視していかなきゃどうしようもない。自分の内側で蛇みたいになってく。
ネットが普及する前は「偉い人に聞いたりエホバ関連本を読んでね!」で成立してたのかもしれないけど。今は一瞬で検索できるし、もうそんなこと言ってられないと思うんだけどな。

「救い」をちらつかせ、判断力や自由意思、人生の楽しみ、ときには子供の命すら奪いながら、信者からお金を巻き上げて生き血を吸う。 なんて効率的で非道なシステムだろう。忘れてはいけないのは、洗脳というファクターを通せば、それが充分に可能であるという点だ。洗脳は、人間を自動ATMにも、奴隷にも、傀儡にもしてしまえる力がある。しかも宗教なら無税!そりゃ上の人たちからしてみたらウハウハだよね。

 

エホバが最初から腐ったカルトだったといいはしない。もしかしたら最初は少数の信者がひっそりと集まって、純粋にお互いを高めあっていたのかもしれない。組織が肥大化するにつれ、いろんな部分が変質し、破綻し、結果的に洗脳+集金機関になってしまったのではないだろうか。教祖がロレックスをつけて豪遊するような…。


たぶんエホバの信者は、みんな心が弱いか、頭が悪い。あとは、すごく流されやすい。もともとそうでなくとも、宗教活動に参加するにつれて心や頭の機能が奪い去られているのではないか。作者の母親が輸血に超反対したのに、輸血して完治した孫と嬉しそうに遊ぶとかダブスタがひどすぎてイラつく。結局自分の都合がいい方に流されてるだけじゃん、と思ってしまう。二世の人は親や周囲の圧力などほんとうに大変な人生を歩んでいると思う。

 

狡いところは「死後」というのを隠れ蓑にしてごまかしていること。多くの宗教で死後は出てくるけど…そもそも現世をより良く生きるために死後という一種の方便が使われるのであって、死後のための現世ではない。エホバの証人はそこが転倒している。エホバの協議を信じて信じて信じぬいて一生過ごして死んで、どうなったかなんて誰もわからない。答え合わせの答えがない。死人に口なし。信仰心を利用しようとする人にとってはこれほど都合のいいことはない。「ハルマゲドン」とかいって初手脅しから入ってるとこも好きになれない。

 

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エホバの証人貧困ビジネスに近いものがある、と書いていたのも興味深かった。

信者たちが社会制度に弱いというのも無知を象徴している。宗教活動に打ちこみ貯金をせず、結局生活保護を受給する、というのはあまりにちぐはぐな結論だ。信者に宗教活動中心の生活を強制する以上、教団が信者の面倒を見るべきだし、そうしなければ筋が通らない。社会制度に「寄生」するだけの宗教ということになってしまう。エホバ信者は宗教外の世界、勤労者や非信者を見下しながら、そのひとたちの税金によって生きているというねじれた状態が生じている。
「外の世界は恐ろしいから触れないように」育て、無知でいさせるというのは真の愛ではない。それが恐ろしく汚らわしいものであればあるほど、外の世界に対して知識を蓄え、それと戦って行ける強さを身につけさせる必要がある。作者が三十代半ばで信仰をやめるとき、「これからどうやって生きていくの!?」と葛藤するシーンがある。そこで作者の想像する「外の世界の人のイメージ」が、「北斗の拳かよ」と突っ込まれている。この作者の怖がりようは、まるでずっとお城のなかで生きていたお姫様みたいだ。「外の世界は怖い人だらけだよ」「あなたは誰か強い人に守られて、私達と一緒にいないといけないよ」は、子供を支配しようとする親にありがちな洗脳だけれど、まるで一緒のことが行われている。

 

全体的に視点がフラットで読みやすい。絵を描くのが好きなおとなしい女の子というキャラで入り込みやすかった。それだけにサラッと出てくるエホバ用語?が生々しかったりするのだが、それもまた味。すごく常識的な感覚で生きてる人に見えるだけに、エホバの悪質さが目立つ。それでも旦那さんと出会えてよかった。旦那さんはエホバなしでも生きていける感じなのに、何故エホバを信じていたのだろう。そのへんも含めて、また本を描いてくれると嬉しいな。