今回も文学作品でなくコミックエッセイの感想です。卯月妙子という漫画家の性質上、統合失調症やアダルト業界について触れているので、苦手な方はご注意ください。
『実録企画モノ』
あっけらかんと書いてるので感覚が狂う。
ぶち抜け方が常軌を逸している。トラウマとかメンヘラとかいう話ではない。 本作の卯月さんの状態を軽くまとめてみると、次のようになる。
小学5年生で統合失調症発症。中学3年で自殺未遂。大学時実母が死亡、父親が再婚し、グレる。20歳で結婚、一児の母に。夫は汚物恐怖症(精神障害)があり、仕事は詐欺紛いの企画業。卯月さんの収入に頼る自転車操業。
→結婚まもなく夫の立ち上げた会社倒産。21歳でSM系グロAV出演(卯当時同性と不倫)
→借金がかさみ夫飛び降り、自殺失敗からの植物人間化→一年半後死亡
これを終始ギャグ調で書けるのは何故?????
自殺の際のやりとりもまたネジが外れている。卯「オイラの体はもう限度ワク超えちまった!!/お父さん、アンタはもうスデに人生の限度ワク超えてやりたい放題やり尽くした!/頼むから死んでくれ!」→夫「逝ってきまーす!」→横着して向かいのビルから飛び降りる
この人は頭が良いんだと思う、口から出る言葉が肚が座っていて、どこか達観したところがある。すっぱり自分や人生を割り切っていて、「漢」を感じるところすらある。
この人みてると「自分を大切に」とか全然意味ないというか、そういうなまっちょろい感覚が全然ないように感じる。自分を捨てているという気が凄くする。もうAVの企画物がやれるとこまでやりきっちゃって、自分で考え出したアイディアが「ミミズおいしー♥️」じゃないよ。タガが外れているというか、ないというか。自暴自棄なのかなと思うとそうでもなく、「やりたいことをやってる」っていう感覚なのがよくわからない。いや、本当にそういうことをしたいのかもしれないけど。そこまで人生のアクセル踏み切れちゃうのが、なんか、頭の中身が違うんだなあと思う。悲惨過ぎる経験をこんなノリの下ネタ満載の漫画として描いているのも、ギャグならギャグに振り切って書く!という卯月さんなりの根性だったのだろうか。筋を通し過ぎて、かえって自分を苦しめてしまう人だという感じもした。
何年経ったのかな?3人め?の旦那さんと離婚したあと巡りあった、ボビー(※日本人)という25歳年上の男性との顛末が書かれる。ボビーも結構キワモノ感がある(若いときは土地転がしとか色々やっていたとか)64歳。情に篤く、社会経験豊富で世の中のことを知り尽くしている。
卯月さんから告白。年の差を気にして「わたしが立たなくなったらどうする」というボビーに「そしたらボビーの万年筆でオナニーするとこ見てもらう💖」と即答する卯月さんの強さ。それでも「不憫だ、不憫だ」と言い続けるボビーに業を煮やした卯月さんは、ボビーに無断で行きつけの掘り師のところに行き、局部に楷書でボビーの名前と干支の猪を入れてもらう。ぶっ飛び加減がよくわかる。これは病気関係なく本人の資質なのだろうか。どれがどうと切り離せるものではないだろうが。
ぶっとび加減でいうと、酔っ払った卯月さんが大勢の前で「M女とは悲しいものでございます~」と言って酒瓶で手首をきったというエピソードもなかなか。私はこのエピソードの勢いが結構好きだ。
『
人間仮免中』までで卯月さんは4回精神科の
閉鎖病棟に入っている。ボビーのおかげで一時期病状は安定したものの、ヨガが効いてると勘違いした卯月さんは勝手に薬を減らし、
統合失調症が悪化していく。妄想が最高潮に達しハイになった卯月さんは歩道橋から飛び降り顔面から車道に落ち、危篤状態で救急病院に搬送。一命はとりとめたものの、顔面は崩壊し片目は失明。ボビーや家族、病院スタッフの励ましを受け、入院生活を送り退院。このとき彼女がみていた支離滅裂な幻覚は漫画内に詳細に描かれている。投身する時「げっ 3時37分!おいら6時間も悩んでた!」と言って家を出るのに、実際の投身時は「本当は午前9時15分でした」と書かれていたのが怖かった。
統合失調症ってすごくリアルに幻覚が見えるんですね。入院を通して周囲の暖かさや愛情に気づき、生きる気力を取り戻した卯月さん。退院してボビーとともに知人に挨拶へ行き、いっとき平和な日常が訪れる。
ボビーが職場の派閥争いに巻き込まれ、卯月さんとの同居が続けられなくなった。実家の母親が鬱になり、卯月さんは昔の知人のツテを頼り北海道の施設へ。それから5年の遠距離の末ボビーがやっと北海道に。この時卯月さんの病状は最悪の状態で、もう一度
閉鎖病棟に入ったらもう出られないと言われていた。薬で
寛解を待つしかないが病状は安定せず、副作用で85kgになった卯月さんと69歳のボビーが北海道の僻地で暮らし始める。
何というか、生の醜さが描かれ、夫婦二人というよりは 獣二匹、という言葉が、印象としてふさわしい。前作と比べ、筆致が明らかに凄みを増している。力強さが増した主線のせいか、毎話詠まれる自作の句のせいか。野趣が際立ち、ありのままの生が剥き出されている。二人の再開シーン
からしてそれは明らかだ。卯月さんはボビーを迎えに空港まで行くがその間ずっと
統合失調症の症状が出ている。ボビーと再開し抱き合っている間も、まわりの女子高生が嘲笑っている幻聴が、卯月さんの頭のなかには響いている。「ウワ~~何あの
カップル!」「チョ〜マジ泣きしてる!」「キモい!ウザイ!死ね!」そんな罵詈雑言を頭のなかで確かに聞きながら、卯月さんは次のように思う。
「幻聴でもリアルでももうどーでもいい/ーーだってーーおいら、生きてるーー!!/ボビーが生きてるーー!!/笑われたって、キモくたって/今、今…生きてるーー!!」
このモ
ノローグが本作の全てを指し示している。
離れていた4年間で確実にボビーは老化し、卯月さんの病気は進行した。卯月さんは「わたしは漫画を描く、右腕さえあればいい/左腕と、両足を差し上げますから、どうかボビーをお守りください」と願い、ボビーは「俺はさあーー…人生の最後があなたで良かったよ。」「ここにきてあなたの病状がどんなに重いかがわかった。/万が一、次に入院の可能性が生じたら一緒に死のう」と卯月さんに語りかける。
病や老いの醜さ、生きていく辛さがしたためられ、そしてそのすべてが「生きているだけで最高」という言葉に変転する。
ボビーが作中で口にする「まずあること、次に心地よくこの世にあること」という言葉がこの作品そのものだと言える。
卯月さんの病状が悪化し、ボビーが生きる気力をなくすくだりは、この本の「
どん底」といっていいだろう。ふたりは、それぞれの傷だらけの人生で舐め取ったものを差し出し合い、時に怒鳴り合いながら、一人では乗り越えられない苦しみを乗り越えていく。ボビーの「ーー急がなくていい。ゆっくりやろう。あなたの背負う気味の悪い亡霊は、わたしが全部壊してやるから。」というのは究極の愛のメッセージだ。
こういう人生を駆け抜けてきた人から出る「人生って最高だ」「生きてるだけで幸せだ」というメッセージは、その深みを完全に理解することまでは出来ないけれども、しかし胸に迫る。ぜひ年末に読んでみてください。ちょっと重いかもしれないけれど。