にしのひがしの

小説家志望の24歳女が本の感想を書いてゆくブログ。

しずけさ 町屋良平 文学界5月号

 

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あらすじ

鬱で仕事を辞め、自宅療養中の青年・棟方と、小学校五年生の笹岡樹が深夜の久伊豆神社で出会う。樹は大麻を栽培している両親により夜の二時から六時まで家を追い出されるため、警察に捕まらないよう、毎晩神社で時間を潰していた。棟方(「かれ」)は、小学校時代の同級生だった椚という少年を樹に重ね、彼を「椚くん」と呼び、樹もそれを受け入れる。会話らしい会話もせず、棟方はほぼ黙ったまま、樹だけが好きに喋るという関係だったが、 お互いにそれを心地よく感じる。 ある日 親の大麻仲間の一人が捕まったことから、樹は夜も家に居てよくなり、神社に行かなくなる。棟方も調子が回復しないまま就活を始める。二人は再び神社で再会し、樹の希望で棟方は翌朝の面接に彼を連れて行く。樹は初めて来た表参道に感動し、世界の広さを体感する。面接から戻ってきた棟方は樹に“Kid’s Mommy”(子供のミイラ)と書かれた寝袋を送り、樹の背が伸びたことに驚く。

 

***

 

こう書くと青年と少年の交流物語のようだ。そして、物語自らがそのような皮を被ろうとしていることも理解できる。でも、丁寧に読んで行くと、そういう話ではないことがわかってくる。というか、そういう話として読むには不完全さが看過できない。

棟方と樹は強い対称性をもつ。共通の内容、心理を時間差で語らせている。それはほとんど同一人物的だといってもいい。
二人は二人でいることで、どちらも「自己同一性」の辛さから逃避できている。その状況に甘んじるために、双方が相手に対して「いなくならないでほしい」「ずっとそのままでいてほしい」と強く感じる。お互いのニーズをお互いが知らぬままに満たし合っているという構図だ。棟方は樹のことを椚くんと呼び、樹の前では小学生のような、樹よりさらに子供っぽい態度をとる。棟方は会社勤め時代は自制が強いタイプだと説明され、それは「かれ」の退行、子供がえり的しぐさだと読み取れる。「じぶんのことばがこわい」、と棟方は思う。「からだもことばも壊れていて、自己同一性を偽ってくる」と。大人でいること、「じぶんのことば」が棟方には重く、「ゆううつ」の波に押しつぶされ、生き延びることで精一杯の状況にある。棟方が会社に行けなくなったのは、小学校時代ピアノ教室に行きたくないと母親に反抗したのと根本的には同じ理由である、と作中で説明される。それは「“ちゃんと行く”と理解されている自分に反抗したい」「強制と消極的同調から成り立つこの世のシステムへの反抗」だという。
樹もまた「自分を投げ出したい、笹岡樹の同一性こそがにくらしい」「笹岡樹という自己同一性を維持しながらまたこの夜をすごすのはこわい。自分が異物になって、自然はまたただの敵になる」という。樹は親から夜家を追い出されている自分を、「そう」と認めるのが恐ろしい。だから「椚くん」と呼ばれることに対して抵抗がなく、むしろ安堵の念を抱く。
「椚くん」とは、棟方に「大人ってのは自我がないよな」と言い、小学校時代の彼に「自分たちは社会に合わせて自我を失っていく」と悟らせた友達である。彼は現在はプロのフットサル選手になっていて、物語中でスター・ヒーロー的存在といえる。なので、作中で「椚くん」と作中で呼ばれ続ける樹は、健全に大人に成長してゆくこと、正しい過程を辿っていくことが運命的に示唆されている。

だからこそ、樹は親の変化を契機に生活が正常な状態に戻ると、社会に押しつぶされた棟方の辛さに思いを馳せ、「大人にがんばってほしい。すこし前までは、かれだけはまともになるのは許せない、とおもっていた。いまではもう、どうでもいい。夜をひとりで越えてゆく。椚くんじゃなくても、おれはおれで越えてゆく」というところまで行き着ける。そして棟方からは“Kid’s Mommy”を送られる(=子供の自分から卒業する)。それは、物語上の計略であり、システムだと思う。ただ一読して、どうして樹がそうなったのかは明瞭ではない。
物語の前半部、樹の、親に対するこどもの微妙で切実な気持ちの書き方は非常にリアルで巧みだ。たとえば「「やさしくしないで」といえたらどんなにかつよいだろう。しかし心底から両親にやさしくしてほしかったいつきくんにはそれがいえなかった。真心でなくてもやさしくしてほしいなんて、おれはなんていやな子ども。」とか、「いつきくんの両親はお酒をのむといつきくんにやさしくなる。どんどんお酒をのんでほしいといつきくんはおもっている」とか、「いつきくんは一挙につらくなり、さっきまでたのしくなんてなるんじゃなかったな、とおもった。うっかりたのしくなってしまうなんて、なんて迂闊だったんだろう」。
子供が親に抱く複雑な気持ちが描かれているだけに、「樹くんを夜外に出す」という行為をやめただけで、こどもの心の整理が描かれないまま、フワッと成長してしまう。そういうふうに感じて「惜しいな」と思った。だが、幾度か読み直して伏線に気がついた。

川は水中までぬるくなっていて、魚はよろこんでいる、明日には釣られる鮒が、川のながれをたのしんで泳いでいる。いつもよりたくさんの量が蒸発して、空気がずっとしめっている。 しかしねむらないと、傷を気にしてさわってしまうし治らない。_椚くんは目の前のかれが明日には無言に戻っていることがわかった。 (122)

下線部は裏を返せば、「たくさん眠る」ということは、「治る」と繋がり、「成長」に導かれていくと読める。それは法則、あるいは力学だ。これに則って、親から追い出されなくなり、家でゆっくり眠れるようになった樹は、心身ともに成長する。序盤でも樹は炬燵のなかで眠るシーンで、確かに彼は成長の萌芽を見せている。

おおきくなる。つよく逞しく、この夜を越えてゆけ。いつか家を出る。親を越えられる。社会を越えて、個人を越えて、おれは自分自身になる。自由を不自由に当てはめ、不自由を自由に当て嵌めて、ことばを探し、ひとりで生きられる。ぜんぶをはなせる親友と、ぜんぶを表現できる言語領域を獲得し、ひととわかりあう。いまはむりだ。だれにもいえない。なにもいえない。けれどいつかは、おれはやる。(120)

この決意は、ラスト周辺ですこし言葉を変えながら反復される。

夜をひとりで越えてゆく。椚くんじゃなくても、おれはおれで越えてゆく。きっとこの世界は、おれがおもっているよりもっと辛い。もっと厳しい。関わることのない他人の辛さを肌で味わって、それでも自分の生活を設けていくのはとてもたいへん。もっといろいろなことをしりたい。いろんなひとが、どんなことを辛くおもっているのか、ちゃんとしりたい。(151)

「眠り」はまた「夢」とも関連する。『しずけさ』では夢がかなり特異な地位を占めている。夢は逃避先でもあり、成長の場でもあり、あらまほしい自分の姿でもある。
だからこそ、棟方は夢の中で、今の自分が失ってしまった感情を奔流させる自分を羨ましく思い、「ゆめのなかで[失ってしまった]じぶんのことばと再会する」。(137)
樹は、夢・夜・眠りの中で成長した自分を現実——昼の世界に還していく。それで、「夜のしたでも、じっとおなじ場所にいることはなかったのだ。自分の足で世界を拓けばよかった」(151) と述懐するに至る。少し説明不足感があるのは仕方ない。やはり樹の成長に関してはもう少し描写が要ると思う。ただ健全に育つと物語にセットされたから、育ちました。そういう感じがどうしても残る。

それを考慮しても、まだ、『しずけさ』にはどこか煮え切らない印象が残る。結局棟方は樹に対する「甘え」からどのように抜け出したのかが不明瞭であるという点だ。定石であれば、棟方は樹との出会いを通じ、その眩しい姿とか純粋さに影響を受け、社会復帰への一歩を踏み出す、という筋なのだろうが……。読んでいると、むしろ、棟方は樹に「甘えていい」」とする潮目が作中に遍在する気がした。

処女作『青が破れる』でも、町屋氏は、作品のラストシーンにおいて、少年・陽を、主人公にとって「結晶のように純粋で「果てしなく甘えられる恋人みたい」」な存在として描いていた。

 

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『しずけさ』にも同じ力学が働いていると考えられる。「少年」は「青年(主人公)」にとって、恋人のように、母のように、甘えられる対象、甘えをゆるす存在なのだ。
だから、棟方は、小説の中でうつ病をかこって少しずつ進み始めはするけれど、樹への「甘え」から明瞭に脱しようとはしていない。おそらく、今後の展開としては、むしろ樹が棟方のつらさ、苦悩を理解し、彼を守るようになっていく、という方向にいく予感がある。
だからこそ…『しずけさ』の読み味は奇妙で、肩透かし感がある。変則的なボーイミーツボーイ、といっていいのだろうか。実のところよくわからない。詩のような文体で、鬱病の状態や、少年の心理が巧みに描かれている。けれど核にあるのは、"大人が甘えられる"少年という、少し倒錯的にも見える構図だ。それは或いは無垢だとか、無性だとか、幼年期だとか、還る場所の象徴であって、少年そのもの、ではないのかもしれない。今はまだよく、わからない。

 

 

邦画『恋の門』(2004)感想

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みた〜〜〜
すごく漫画感のある映画だった。あえてなのかなと思う。終わり方の軽さも含めて、あえてペラペラさを残している感じがした。これを軽妙ととるか軽薄ととるかは、見る人によると思う。
最初は大丈夫かな?って思ってたけど、恋乃の借金発覚の下りからすごい面白くなった。主役がイイと思う。松田龍平の「変な男」感と酒井若菜の「変な女」感が合ってた。門はぱっと見変だけど案外まともで、恋乃はぱっと見まともだけど案外変。そのあたりのキャラクターのバランスが絶妙。
セリフ回しが面白いですね。最初の会社のネチネチ男もマスターの毒舌もくすっと来た。恋乃がキレるところがいちいち好きです。同人誌で1000万稼いでるって嘘だったんか。。信じたじゃねーか。。でも言われてみればあんなのそんな売れるわけないか。、恋乃の絵柄とか作風のさじ加減が絶妙ですね。掲示板クッソ荒れてるのも面白かった。そういえばなんか書き込みで煽ってる場面あったなあ。地味に伏線だったのか。
門が初めて描いた漫画であっさり受賞しちゃわないとこがよかった。そんなのただのジャンプだもんなーって。あの結果で「ヒーローとヒロイン(トロフィー)」じゃなくて「ダブル主人公」なんだなって思った。『バクマン。』とかは同じ漫画家目指すものでも、ヒロインは結局のところトロフィーだよね。恋乃はただの賞品にするには惜しいキャラだよなあ。ただのコスプレイヤーでもあばずれでもなく。絶妙な感じ。
藻鞠田やっぱ監督か。。。なんか普通に俳優さんでもよかった気が。。何となくね。本人の雰囲気がちょっとかっちりしすぎてるかなあって思った。映画全体としては、ちょっとクドカン風ではありつつあそこまで会話劇ではなかったね。比較的どこか淡々としているというか、ちょっと距離を置いて見れる感じがあって、個人的に居心地悪くはなかったです。クドカン作品は良くも悪くも巻き込まれすぎてなんとなく疲れてしまうので。
門と恋乃は幸せになってほしいですね…。熱すぎもせず冷めすぎもしてないテンションがストレスなく見れる。キスしてるシーンで思ったけどなんかこの二人肌質が似てる。肌色?かな。私にそう見えただけかもしれないけど、後ろで流れた「粒子は同じものでできている」って言葉がそれで際立っていていいなあって思いました。それは映画ならではの表現だなと思うので。

 
あの〜恋乃の信者の人?信者の人の最後のセリフがなんかやけにキマってて好きです。「王道からの脱出ーそれが恋乃の本質よ」みたいなやつ! こう、「ボロクソ言ってるけど本当に恋乃の本質を知ってるのはわたし、恋乃の良さを一番理解できるのもわたしなのよ」って感じが! なんか燃えました。恋乃も外側から見てるとだいぶわかりにくいキャラだからよかったのかもしれません。歪んだ信者のああいう愛情ってかなりメンドくさそうだけど、一番良い部分があそこででていた気がする。
男性的にはメジナってグッと来るのかなー。喋り方がわざとらしすぎてあんまり好きになれなかったな。一癖二癖あるなと思いきや十三癖くらいあったね。双子という謎の設定も面白かった。あの人こそ未消化の部分多すぎた。結局何で生計たててるんだ? 二期というか恋の門2あるならあの人の掘り下げくるよなあ。息子の方もいいキャラでしたね。いやそもそもそこにいると誰も思わなくない?一人で笑ってしまった。子役上手かった。憎たらしさが自然だったなあ。憎たらしいこと言いたい年頃だと思いきや普通に大人びてるのかなあとはっとさせられる。「子供の言うこと聞いてんじゃねーよ!」よかったな〜〜。門と一緒にいるの可愛かった。嫌ってると思いきや甘えてると思いきや叱咤して。いいキャラ。
片桐はいりカップル。天狗おもろかった。あのSMプレイ?の店主っぽい人もそうだけどちょいちょいインパクトのためか顔知れてる人使ってますね。良くも悪くも「ウケ」を計算して作られてるんだなと思いました。

個人的に、こういう映画で作中の人が創作してるシーンってすごい好きで。三人で頑張って漫画を描いてるシーンにすごく燃えました。ああいうバッバッバッて変わる感じツボです。カップ麺食べたりしながら頑張っている情景にロマンを感じる。音楽もアツくて楽しかった。同じ創作の部分が楽しかったのは『キル・ユア・ダーリン』かな。ノリにのってタイプライター叩いてるシーンがすごくテンション上がりました。 

 

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ジャケット画像見て思ったんだけど『恋と未来を掛けた漫画バトル』っていうのはあるけど、それはストーリーで。なんかもっと奥にあるものって違うなあって。ガチで恋と未来が懸かってるわけでは一応ないじゃないですか。編集者謎の急死を遂げたりするし、結果の出方も何となくアッサリだし。この映画の本質ってそこではなくて…何て言うか門と恋乃それぞれの夢の追い方というか、夢との付き合い方、なのかなと感じます。付き合い方…"漫画をどう描いていってどう向き合っていくのか"。それは門の漫画が石→紙とペンに変わったことからも分かります。ていうかそもそも石っていうのが謎すぎるんだけど、でも何か門には門なりに石でしか表現できないものが自分の内側にあった。それが紙とペンで描くことで、他人にも読める・認められる形に変わっていく。石から紙に変わるってところがすごく大事なのかなと思っていて。他の漫画家目指す漫画でそういうの絶対ないじゃないですか。そこはすごくオリジナリティがあるし、『恋の門』の独自の主題だと思う。自分のもっているものを人に示す為に、何を通せばいいのか。闇雲なパッションしかない門が「漫画家志望」に変わっていくということが大事なことなんじゃないか。

にしのが見てきた映画で他にコスプレとかコミケが出て来るのって『ふがいない僕は空を見た』かな。あの衣装がすごく安っぽい感じがあって。まあ題材が題材というか、結局あの映画でのコスプレHって現実逃避だから、そういう扱われ方は全く違うんだけど、なんだか衣装がちゃんとしてるように見えました。単に役者さんに似合ってただけなのかなー。

松田龍平さんの映画で印象強いのは『羊の木』です。あの人物は凄く謎が多くて、不気味、気持ち悪い印象が終始あった。口では結構いいヤツぽいけど、実際目に何が映っていて、それをどう受け取っているのか全く理解ができない感じ。顔ものっぺりとして目も口もちょっとのっぺらぼうみたいな雰囲気があって。普段からこの人こういう感じなのだろうか………ってうっすら怖くなった。あと『まほろ駅前 〜』も見たことある。そのときは松田龍平って人って知らなかったけど、役柄の雰囲気的には『羊の木』と似ていたと思う。反面『恋の門』では喜怒哀楽豊かで、トーンが明るい役を自然にこなしていて、こう言う役もできるんだーってなった。いやお前松田龍平のなんなんだよって感じなんですけど。ぱっと見変だけど普通のトーンのツッコミが意外と面白かったりして、センスあるんだなーって思いました。一番笑ったのは安部セイキ?の「ちんぷんかんぷんだ」ですね。いやあの人何者なんだろう。なんなんだろうあの空間。宗教?

 

映画『脳内ポイズンベリー』(2015) 感想

※どの記事もそうなんですががっつりネタバレしてます。

 

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原作未読の感想になります。作者水城せとなというのはクレジットで知って納得しました。恋人候補を天秤にかけて片方を選んだのに、うまくいかなくて別れるっていう、夢みたいなシチュエーションからの現実を描いているところが水城せとならしかった。恋愛に沼ってる人はこれ見たらいいと思う。

映画の随所にツッコミどころがたくさんあって面白かった。なんだろう、いろんなところのチープさやほころびが かえって明るい雰囲気を醸し出してた。そもそも脳内の城?のようなところで五人(正確には六人)の人格担当?がいてわーきゃー会議やってるっていう限りなくメルヘンというかファンタジーふうな設定なので。全体的に少しふわふわな感じでした。
脳内会議の結果、いちこ(ヒロイン)の言動が意味不明になってる(特に序盤)のとか面白いです。ほとんど会話成立してないし。合コンで会ったけど全然話さなかった男の子をたまたま駅のホームで見つける。掃除するって部屋に押し掛けてきて「やっぱり帰りたくない!」っていってワンナイトしちゃった翌朝、寝ているうちに逃げ帰る。そんないちこと、それでも付き合うって決める早乙女くんがよくわからない。早乙女くん合コンで野菜すべてよけて食べてるし、そもそも色々と生態が謎なんですよね。そんな男に「サオトメ!スキ!!」になっちゃうヒロインもよくわからないけど……まあ、ちょっと変わった男の子が好きなのかなあ。納得できるような具体的なポイントはあんまり示されていない。個人的には32歳で青文字系、どこでも赤いニット帽をかぶってるファッションはだいぶ勇気いるなあと思った。いちこがデビューする小説の、携帯小説に毛が生えたようなゆるふわ加減も突っ込める。しかもそれがトントン売れて、映画化までされるというんだからすごいです。そこは結構ドリーム的かも。
その反面、実際描かれてる恋愛っていうのはゆるふわあまあまじゃない。苦いものもたくさん入っていて、対極の要素が絶妙なバランスで成り立ってる作品と言えます。

 話の中心となるのは、いちこの脳内で延々と会議(というか言い合い?喧嘩?)を繰り広げる5人。議長吉田、ネガティブ担当小池、ポジティブ担当石橋、トキメキ(かな?)担当ハトコ、書記係岸。中間管理職の苦悩を背負う西島敏幸とポジティブ担当の神木くんかっこよかった!神木くん演技うまいな~~全力でいいヤツ!で、無理してない自然さで好きだった。ネガティブ思考担当の小池(吉田羊)はちょっと気強すぎて個人的にはイライラしてしまった。わりとヒステリックになるし、的外れな意見でも威圧的に押し通そうとするし。でもある意味正鵠を得ているとも思った。ネガティブ思考ってさも正しいように思えてくるし、なかなか払拭できないし。それに、そもそもとしていちこの性格の本質は「小池」なんだと思う。それが反映されているために、小池は強気でガンガン行くタイプになってるのかもしれないですね。

 

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いちおう正ヒーロー(というのか?)である早乙女くんのクソ男っぷりがまあすごい。
こいつ別れを決めたいちこが家を出てってもなおも追いすがってくる……反省してないくせに……普段ぬぼーっとしてるのにセックスに持ち込むときと追いかけてくるときだけ素早い動きする……。なんとなく爬虫類的なイメージ。若さゆえではあるんだろうけど、ゲームするからってデート断るし、彼女(いちこ)の成功を祝えず嫉妬するし、すぐ浮気を疑うし、物に当たるし、元カノとちゃんと別れてないし、人妻と不倫して家庭崩壊させた前科があるし。ただそんな早乙女くんにはどうも女性を引き付ける独特の魅力がある。過去彼と女性関係でライバルになり、何度か女をとられてしまったという因縁があるのが、いちこの編集担当である越智さん。
この人はまあ出てきた時点でかませだろうなっていうのは分かる。少女漫画的な「きゃ~どっち選ぶんだろ?ドキドキ~!!」っていうのは皆無かな。一応惜しいとこまではいくんだけど。越智さんが告白しに来るのと、自然消滅寸前だった早乙女くんからの「また会いたい」というメール受信がかぶって、どうするいちこ!?ってなるんだけど……まあわかるよな?って感じでサクッと飛ばされてておもろかった。

そんなこんなで越智さん踏み台にしてなんとか早乙女くんと付き合ういちこ。でも早乙女自身の幼さもあり、付き合いは暗雲がたれこめるばかり。そんななか、いちこの小説の映画化記念パーティで越智さんと早乙女くんがたまたま鉢合わせ喧嘩に。ここで終始大人の態度を貫いてきた越智さんが豹変して、「馬鹿にしてんじゃねーよ!!」といちこを怒鳴り付ける。この怒りはもっともだと思った。その後ついに早乙女とはもう付き合えないと悟ったいちこは別れを告げて家を飛びだす。前述のとおり早乙女は追ってくるんだけど、いちこのほうから「振り向いちゃダメだ」と突き放す。大筋だとこういうお話です。

 最後の場面、賛否両論あるようですけど自分はよかったです。いちこがまた偶然誰かと出会って、学習しない性懲りもない恋が始まって、踊るばかりの議会が幕をあける、という。

見る人によっては内容のない話だなと思えるかもしれない。あんなに頭のなかでわーきゃーぎゃーぎゃーやりあって、ののしりあって、でも結局のところいい選択ではなかったというところ。でも私はそこが逆にいいなと思ったし、終着点の見つからない人生の姿だとも思った。

欠陥だらけのいちこ、くずな早乙女、真面目に生きてるはずなのに、いつもそんな早乙女に負け、いちこにまで恥をかかされる越智さん。この作品のキャラクターたちは必死に自分を守ろうとしている。自分の何を、とさらに具体的に言うと、たぶん「プライド」を。ちょっと珍しいような気がする、恋愛漫画で自分のプライドを守るっていうテーマが出てくるのって。
いちこは自分のプライドを守るためにずっと試行錯誤してたし(ネガティブ担当であるコイケの言動に顕著)、結局その自分自身のために早乙女と別れた(「あなたのことは好きだけど、あなたといる自分が嫌い」)。
早乙女は、自分のクリエイターとしてのプライドのせいで、最後までいちこの成功を祝福できなかった。
越智さんは、自分のプライドをいちこと早乙女に傷つけられたから、大人の態度をかなぐり捨ててあんなにも激怒した。

いちこの人生は暗黒栞だらけだ(った)し、たぶん早乙女にも越智さんにも、今回の恋愛は暗黒栞として残ったんじゃないか。私にも暗黒栞は無数にある。だからといって、そうそう首を吊るわけにもいかない。脳内のポイズンたち(?)があんなにもふんじばって、西島秀俊が眼鏡割って、吉田羊と神木隆之介が言い争って、ひよりちゃんが空を飛んで、浅野和之永遠に記録し続けている。みんな自分を守って少しでもいい結論を出せるようにやってることで、それはやそんな自分を自分で否定するわけにはいかない。映画を見て私はそういうふうに思えました。

あとは……あの、会議を強制終了させるボンテージ姿の女王様はなんだったんだろう。あんまりはっきり示されてなかったよね。最初は「本能」みたいなものなのかなと思ったんだけど、ラストのとこであまり良いものではない扱いをされている。(会議メンバーに「もうあなたは要りません」みたいなことを言われる。)「本能」だったらそこまで悪くはないものだよね。会議をしているメンバーが理性や記憶を司るものだとして、彼らを無理やり気絶させてしまえるものってなんなんだろう? えええーーいもういいやーーーヤケクソだーーーってときにでてくるものなのか。暴走? 彼女が何者なのかは、多分あえて、映画のなかではボカされていました。

いちこのお部屋が半端なくおしゃれで憧れしかない。あの執筆環境は切実に羨ましい。ほしい。もうちょっと幼い感じの部屋のほうがいちこっぽさがある気もしたけどね。
あと、クレジットがひと工夫あってかわいらしかった。眼鏡だったり、パタパタ~って飛んでったり、そこは少女漫画って感じがありました。ヒロインの名前「いちこ」と題名の「ベリー」は多分かかってるんだろうなあ。 

今の彼氏とどうしても先が見えない、別れたほうがいいってなんとなくわかってるけど、踏み切れない、という女性には特に響く内容なんじゃないかなって思います。ガワはわりとあまくてふわふわなんだけど、芯の部分は恋愛の厳しさが描かれていて…そこのギャップは結構ある作品でした。主演に真木よう子さんっていうのもそれを加味してのキャスティングだったのかもしれないなあ。

お読みいただきありがとうございました!

卯月妙子『実録企画モノ』『人間仮免中』『人間仮免中つづき』

今回も文学作品でなくコミックエッセイの感想です。卯月妙子という漫画家の性質上、統合失調症やアダルト業界について触れているので、苦手な方はご注意ください。

 

『実録企画モノ』

あっけらかんと書いてるので感覚が狂う。
ぶち抜け方が常軌を逸している。トラウマとかメンヘラとかいう話ではない。 本作の卯月さんの状態を軽くまとめてみると、次のようになる。

小学5年生で統合失調症発症。中学3年で自殺未遂。大学時実母が死亡、父親が再婚し、グレる。20歳で結婚、一児の母に。夫は汚物恐怖症(精神障害)があり、仕事は詐欺紛いの企画業。卯月さんの収入に頼る自転車操業
→結婚まもなく夫の立ち上げた会社倒産。21歳でSM系グロAV出演(卯当時同性と不倫)
→借金がかさみ夫飛び降り、自殺失敗からの植物人間化→一年半後死亡

これを終始ギャグ調で書けるのは何故?????
自殺の際のやりとりもまたネジが外れている。卯「オイラの体はもう限度ワク超えちまった!!/お父さん、アンタはもうスデに人生の限度ワク超えてやりたい放題やり尽くした!/頼むから死んでくれ!」→夫「逝ってきまーす!」→横着して向かいのビルから飛び降りる
この人は頭が良いんだと思う、口から出る言葉が肚が座っていて、どこか達観したところがある。すっぱり自分や人生を割り切っていて、「漢」を感じるところすらある。
この人みてると「自分を大切に」とか全然意味ないというか、そういうなまっちょろい感覚が全然ないように感じる。自分を捨てているという気が凄くする。もうAVの企画物がやれるとこまでやりきっちゃって、自分で考え出したアイディアが「ミミズおいしー♥️」じゃないよ。タガが外れているというか、ないというか。自暴自棄なのかなと思うとそうでもなく、「やりたいことをやってる」っていう感覚なのがよくわからない。いや、本当にそういうことをしたいのかもしれないけど。そこまで人生のアクセル踏み切れちゃうのが、なんか、頭の中身が違うんだなあと思う。悲惨過ぎる経験をこんなノリの下ネタ満載の漫画として描いているのも、ギャグならギャグに振り切って書く!という卯月さんなりの根性だったのだろうか。筋を通し過ぎて、かえって自分を苦しめてしまう人だという感じもした。


人間仮免中

 

人間仮免中つづき』
 
こういう人生を駆け抜けてきた人から出る「人生って最高だ」「生きてるだけで幸せだ」というメッセージは、その深みを完全に理解することまでは出来ないけれども、しかし胸に迫る。ぜひ年末に読んでみてください。ちょっと重いかもしれないけれど。

『カルト宗教信じてました』感想メモ

 

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読みました。エホバの証人信者の母親のもとに生まれた女性の、体験告白コミックです。いろいろ考えたことをつらつらとのせていきます。

幸福とか、あるべき生き方とかって答えのないものだから、はまりそうになるのはわかる
でも、エホバは答えのない問に一人で向き合えないひとたちが、独特な決まりをつくって集団を形成している感じがする
このシステムがながいあいだ受け継がれてきているってことは、そこに人間の本能的なものがあるんだろうな
すごくあやうい
こうしていれば幸せ(になれる)と言う共同幻想をつくっているようにみえる

 

アマゾンレビューには同じくエホバに疑問を持ち、脱退した元信者の方の感想も書かれていた。
このひとたちはほんとうに世界の終わりや破滅というものと真っ向から向き合ったのだ、取っ組み合い、抜け出したのだ
そこには非信者のひとが思い付きもしないような深い経験、感情があったのだろう

エホバ問わずカルト宗教への入信のきっかけが、元々の潜在的な弱さや不安である(二世や身近な人が信者だった場合はまた違う圧力がかかってくるが)、というプロセスを考えれば、離脱者が体験することは、奇跡のような心理的脱出、精神的解脱(?)といっていいのではないだろうか
世界の終わりという途方もないものと向き合い、未知の世界に出ていくということ。

 

人間を「ある状態」にしたてあげるやり方というのは、似通ってる
「ある状態」ーー特定の対象に依存・没頭させ、思い通りの言動をとるように強制していくこと。その結果、自由意思が曖昧となり、依存対象以外のものと孤立を深めて更に抜け出せない状態になること。
離脱・回復の過程もそれらと変わるところはない。
ただ、今回のカルト宗教だと、使われる言葉、概念が「神」や「世界の終わり」というスケールの大きいものであるため、より劇的な効果が生まれていると思う。ひとつの作品としても感動的だ。

 

 

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しかしエホバの排他性が露骨すぎて。。もし何か疑問を覚えたら「自分で考えるのはだめで(理由は人間は不完全だから)」、出版物を当たるか、祈るか、長老的な人に聞くか、のどれかだなんて。人間が不完全なら、当然その出版物を書いた人も長老も不完全な存在なのに。おかしい。
そもそも自分で考えることを放棄させる宗教なんて変だ。禅なんかは十牛図なんかにある通りとことん馬鹿みたいに自分で延々と考えさせて、悟りまで自分を深めていくものなのに。ただ、もし信者にそう言っても、そのひとたちは「禅や仏教がおかしい(≒サタン)と思うんだろうけど。絶対物は絶対なの、だって絶対物だから。これだけのなんの理論でもない理論。

上から思考停止を促してくるものに正しいものなんてひとつもない。「集団」「決まり」という「思考が通用しないもの」を作り、思考停止させていく、絶対視させていく、というのはとても古典的かつ普遍的なやり方だ。苦しみや辛さはがっぷり四つみたいな感じで直視していかなきゃどうしようもない。自分の内側で蛇みたいになってく。
ネットが普及する前は「偉い人に聞いたりエホバ関連本を読んでね!」で成立してたのかもしれないけど。今は一瞬で検索できるし、もうそんなこと言ってられないと思うんだけどな。

「救い」をちらつかせ、判断力や自由意思、人生の楽しみ、ときには子供の命すら奪いながら、信者からお金を巻き上げて生き血を吸う。 なんて効率的で非道なシステムだろう。忘れてはいけないのは、洗脳というファクターを通せば、それが充分に可能であるという点だ。洗脳は、人間を自動ATMにも、奴隷にも、傀儡にもしてしまえる力がある。しかも宗教なら無税!そりゃ上の人たちからしてみたらウハウハだよね。

 

エホバが最初から腐ったカルトだったといいはしない。もしかしたら最初は少数の信者がひっそりと集まって、純粋にお互いを高めあっていたのかもしれない。組織が肥大化するにつれ、いろんな部分が変質し、破綻し、結果的に洗脳+集金機関になってしまったのではないだろうか。教祖がロレックスをつけて豪遊するような…。


たぶんエホバの信者は、みんな心が弱いか、頭が悪い。あとは、すごく流されやすい。もともとそうでなくとも、宗教活動に参加するにつれて心や頭の機能が奪い去られているのではないか。作者の母親が輸血に超反対したのに、輸血して完治した孫と嬉しそうに遊ぶとかダブスタがひどすぎてイラつく。結局自分の都合がいい方に流されてるだけじゃん、と思ってしまう。二世の人は親や周囲の圧力などほんとうに大変な人生を歩んでいると思う。

 

狡いところは「死後」というのを隠れ蓑にしてごまかしていること。多くの宗教で死後は出てくるけど…そもそも現世をより良く生きるために死後という一種の方便が使われるのであって、死後のための現世ではない。エホバの証人はそこが転倒している。エホバの協議を信じて信じて信じぬいて一生過ごして死んで、どうなったかなんて誰もわからない。答え合わせの答えがない。死人に口なし。信仰心を利用しようとする人にとってはこれほど都合のいいことはない。「ハルマゲドン」とかいって初手脅しから入ってるとこも好きになれない。

 

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エホバの証人貧困ビジネスに近いものがある、と書いていたのも興味深かった。

信者たちが社会制度に弱いというのも無知を象徴している。宗教活動に打ちこみ貯金をせず、結局生活保護を受給する、というのはあまりにちぐはぐな結論だ。信者に宗教活動中心の生活を強制する以上、教団が信者の面倒を見るべきだし、そうしなければ筋が通らない。社会制度に「寄生」するだけの宗教ということになってしまう。エホバ信者は宗教外の世界、勤労者や非信者を見下しながら、そのひとたちの税金によって生きているというねじれた状態が生じている。
「外の世界は恐ろしいから触れないように」育て、無知でいさせるというのは真の愛ではない。それが恐ろしく汚らわしいものであればあるほど、外の世界に対して知識を蓄え、それと戦って行ける強さを身につけさせる必要がある。作者が三十代半ばで信仰をやめるとき、「これからどうやって生きていくの!?」と葛藤するシーンがある。そこで作者の想像する「外の世界の人のイメージ」が、「北斗の拳かよ」と突っ込まれている。この作者の怖がりようは、まるでずっとお城のなかで生きていたお姫様みたいだ。「外の世界は怖い人だらけだよ」「あなたは誰か強い人に守られて、私達と一緒にいないといけないよ」は、子供を支配しようとする親にありがちな洗脳だけれど、まるで一緒のことが行われている。

 

全体的に視点がフラットで読みやすい。絵を描くのが好きなおとなしい女の子というキャラで入り込みやすかった。それだけにサラッと出てくるエホバ用語?が生々しかったりするのだが、それもまた味。すごく常識的な感覚で生きてる人に見えるだけに、エホバの悪質さが目立つ。それでも旦那さんと出会えてよかった。旦那さんはエホバなしでも生きていける感じなのに、何故エホバを信じていたのだろう。そのへんも含めて、また本を描いてくれると嬉しいな。

 

 

最近買った本とか読んだ本とか

 読んだ本

 

 

多分初川上未映子作品。 卵の白身のようにぬめって延びてゆく文章。 下品だったり、およそ知的とはいえない会話そのままの言葉づかいを敢えて多用している。生の言葉であるがゆえに、どことなく切迫した感情があり、感覚的に響いてくるものがある。身体と心と社会、三者の間にひろがる埋まらない欠落。生きる上で歴然とあるのに、無いものとされている醜さについて、という主題だろうか。緑子の母を思う気持ちが一途で胸に刺さる。あまり表立たない語り手の夏子が、だんだん生きづらそうなのがわかってきて心配になる。その夏子の体にフォーカスして、物語は終わりを迎える。これは解消されない心と体、社会との齟齬を暗示するものだと思う。二つ目の話も生きづらそうな女性。このひとの名前は最後までないが、名前の有無は川上氏の小説で何か意味があるのだろうか。表題作の人物がもっていた名前がないだけ、この女性の存在は無価値で、儚く、悲しいものに感じられる。現代女性の普遍的な不安を描こうとしているように見えるのに(「女性」と一般化された名詞を使うことで)、個別の名前すらもたない。「名前のない」ことのこの両義性。川上氏の皮肉げなスタンスが感じられた。

 

 

 

 

 

 
珍しく社会本。こういう本もこれからどんどん読んでいきたい。タイトルの「日本再興」にちょっと右翼っぽい感じがしたのだが、そんなことはなく、すごくラディカルに日本を立て直して行く方法が書かれている。

AIやロボットが普及した未来を舞台にしたSFでは、人間が人工知能に支配されたディストピアが度々描かれる。だが、この本では、人間の限界ーー肉体的・知的な脆弱性を、AIが優しく補強し、その可能性を拡張していく希望ある未来があった。

日本の歴史を概観し、生活や感覚の移り変わりをロジカルに述べていて刺激的。「こういう価値観は日本人に合わない」「そもそもこういう感覚は日本にはなかった」というふうに、現代日本の「生きづらさ」を分析している。昭和や欧米(落合氏によると本来「欧米」という概念は間違いらしいが)の感覚が入り交じり、混乱している現在が一番辛いのかも、と楽観的に考えたくなる。日本人ageが度々あり、日本人という国民性を誇りに思っている層にも受け入れやすい内容になっていた。結構尖った意見?なのに、時代の変化を受け入れづらい年長層も尊重していると感じる。私がお婆ちゃんになる頃には、介護ロボと自動自動車が普及してたらいいな、と心から思った。

 

 

@ 『高野聖

幻想的っていうより生々しい話。文蛭ほんと気持ち悪すぎて勘弁してって思った。女も、山も、蛇も、白痴も、滝も、みんな立体的っていうか、活字の上に3Dプリンターで印刷してあるみたいに、もうありありと目に浮かんでくる。「ぬめぬめ」とか「つやつや」とか「どろどろ」とか、擬音的なモノを漢語調で伝えにくるのがすごいと思う。蛆や白痴のキモさも、天女の美しさも表現できるんです、って泉鏡花自身が言いたそう。これが代表作だというのはそういう技術的な面もあるのかな。お坊さんの語りも人情味に溢れつつ上品で、抑制されている印象がありいい感じだった。

 

@『国貞えがく』泉鏡花
これは、ある筋というより、いろんな異形が渾然と出てくるのを眺める ような話なのかな。 会話がでてからだいぶ読みやすくなった。郵便局から始まるのが何かいい。物理書によって錦絵の女たちを追い払った…というイメージもいい。本の黒い革の匂いと鼬のけものの匂いがリンクするとことか技術を感じる。尻切れ蜻蛉な終わりかたが、妖怪たちがずっと連面と進んでいく感じ(?)でおもしろい。泉鏡花は女性が出てくると一気に気合いが入るというか、「描写し尽くさずにはおらんぞ」ってモードに入る。目の細かさに執念というか変態臭さを感じる。


@『女客』

ぱっと通じた恋の話で、二人の間の空気が良かった。信頼しきっているというか。

 

 

胸から溢れてくるものがありすぎて感想が書けなかった。

『秋日子かく語りき』『庭はみどり川はブルー』『ロングロングケーキ』『水の中のティッシュペーパー』は読んだことがある。どれも清冽に覚えていた。

『山羊の羊の駱駝の』は初めて読んだ。これを最後にもってくるのはやめてほしい。ぐったりする。カモられるヒロインの無垢が愚かで美しくてもうどうしようもない。この少女を、この世界を肯定的に描くのが大島弓子さんだよなあ〜〜〜〜〜と、身構えはするんだけど、すごく寂しくて切なくて頭が痛くなる。

 

 買った本

 

うーん。勉強になる人はなるのかなあ。ざっと読んだけど、単に著者の好みの本を語ってみた、という感じがした。 芥川賞直木賞を獲るための実践的な記述(たとえば芥川賞受賞作品を分析するとか)はない。「より良い小説を書くための」くらいの題名のほうがいい。

 

 

2ch創設者ひろゆきさんの新刊。この人の頭の中はいろんな意味ですごいですね。ずる賢いっていうかあくどいっていうか。。邪道だけど要領がいい人ってこういう感じなのかな。蛇の道は蛇って感じがすごくする。真面目に考えちゃうゆえにコミュ障になる人は(私含め)目から鱗でおすすめだと思う。働き方完全無双も読みたい。

 

 

 まだ読んでない本二冊

おんなのこきらい(2014)

 

 

 

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意外とよかったー
すごく性格が悪い女の子のはなしです。女の子のどろどろな映画みたい気持ちになって。主人公の子がだいぶ苦手なタイプで最初はウッ…てなった。でもちゃんと痛い目見ていて、中盤からは共感できるところも出て来て楽しめました。
主人公キリコは、自分の可愛さを武器に生きていて、男の人なんかすぐに落とせるし、人生それでいいって思ってる。マカロンやケーキといった可愛い食べ物を大量摂取して吐くっていう、いわゆる摂食障害で、病的に「可愛い自分」に囚われている。

 キリコがこんな性格になったのは、可愛い可愛い言われてちやほやされちゃうからだと思う。街を歩けば即ナンパされてるみたいだし。「女の子なんてかわいくなきゃ誰も見てくれない」って発言して、同僚の女性に呆れられても気にしない。女の子はかわいくなきゃ〜っていうのは、実際世の中がそう思っているというよりは、キリコが自分自身を見くびっているから出る言葉だと思う。私の中身を気にする人なんかいないの、っていう。そう考えると、キリコの顔だけ見てちやほやして適当に付き合ったりしちゃう男の人たちが一番罪深い、ともいえる。 

 

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そんなキリコが仕事先で出会ったコウタに「そんな顔してて疲れませんか」とかいろいろと厳しいことを言われる。それからキリコが何回か押しかけて、だんだん仲良くなる。ここは、ちょっと、キリコが結局は女の武器を使ってコウタをなんだかんだ懐柔?籠絡?していく感じにも見えてもやっとしました。でもここでキリコはともかく、初めてそのままの自分を見せられる男の人と仲良くなれた。
話が面白くなるのはこのへんから。キリコはバーのマスターが好きなんだけどセフレ状態だった。そんな中新しく入ったバイトのサヤカに彼をとられそうになる。だけどその子もメンヘラで、いろんな男と寝ていた。清楚系のキリコとは違う、活発で親しみやすいタイプ。メンヘラビッチVSメンヘラビッチってなかなか新しくないですか?? よかった。このへんからだんだんキリコの素が見えてくる。失恋して髪を切ってからはすごくいい! ショートカット、ゆるふわロングより全然似合うよ。

印象に残ったセリフ

・「かわいいっていうか、かわいそう」
キリコが考案したアクセサリーに対してのコウタの言葉。アクセサリーに対してのようで、キリコ自身への意見にもなっている。可愛く見せることしか考えないなんて、かわいそう。

・「そのままの自分を見せてなくなるものなんて、最初からないんだよ」
これもコウタの言葉。さらっと言ってるんだけどいいセリフ。キリコは「可愛い自分」…「可愛い表情」「可愛い仕草」「可愛い言い方」で、自分を飾っている。でも「可愛い」を、たとえば「頑張ってる」とか「弱い」とか、なんでもいいけど、ちがう言葉に入れ替えると、少なからずみんなやってることになる気がする。「最初からない」って、そんなふうに諦められたらいいよね。

 

・「あなたが好きなの。あなたに好かれるなら、世界中の他の人に嫌われてもいいの」
キリコがバーのマスターに言ったセリフ。使われがちな言葉だけど、これって裏を返すと「あなたに嫌われたらもう他に何も無い」っていう、あやうい意味だなあと。キリコの言い方を聞いて気づいた。

 

・「好きでもない女の子に可愛いなんて言わないでよ」

ニュアンスこんな感じ。これはすごく普通にそうだなって思った。それで、ずっとキリコのことを可愛いさばっかり追って…って思ってたのに、どうせなら可愛いって言われたいし、可愛いって言われたら期待するなって思った。だとしたら別に、キリコのやっていたことは、発展系であって、ある意味では筋が通っている。

 

キリコ役の女優さんが可愛くないみたいなレビューが結構ありました。確かに設定みたいな絶世の可愛いではないけど、泣きの演技がすごく上手くて。最後まで見て、この女優さんでよかったと思いました。「清楚系メンヘラ」感も絶妙だった。服の振り幅が面白かった。
個人的には、ああいうオチでよかった。

 

キリコは「私にはカワイイしかない」「何にも無い」って思う。そういうときに「キリコちゃんには何があるの?」って聞かれる。自分が唯一持ってると思い込んでるモノ。それを無くすっていうのは、怖い。仕事しかない、お金しかない、なんでもいい。それを削ぎ落としたら何もない。キリコは映画の最後に、ナンパ男に「君カワイイね」って言われて「はい!」って答える。答えてるけど、それ以外何もないってことに向き合ってから、回収した「それ」は、以前の縋るもの、執われるものから、自分の基盤のようなものになってるのかもしれない。そういう体験をしたキリコは、単に恋が実るより、確実に成長していた。


音楽もポップポップで、歌詞にちょっととげがあって、映画と合ってました。ふぇのたすさん。。
素のキリコは、変にウジウジしたり群れたりしないのが見ていて気持ちよかった。本当のところは結構失礼で、飾らない、言うことは言う性格なんだと思う。