にしのひがしの

作家志望の23歳女が書評とか映画とかの感想・書評を書いてゆくブログ。

2017見た映画・本一覧

覚えている範囲で書いていこうかと。。

映画

 

  1. ムーンライズ・キングダム(ウェス・アンダ―ソン、米)2012 
  2. ミザリーロブ・ライナースティーブン・キング、米)1990
  3. トゥルーマン・ショー (ピーター・ウィアー、米)1998
  4. シャイニング(スタンリー・キューブリック、英)1980
  5. 悪魔のいけにえ(トピー・フーパー、米) 1974
  6. 天才スピヴェット(ジャン・ピエール・ジュネ、仏)2014
  7. 時計じかけのオレンジスタンリー・キューブリック、英)1971
  8. アメリ(ジャン・ピエール・ジュネ、仏)2001
  9. ジャッジ 裁かれる判事(デヴィット・トプキン、米)2014
  10. アンフレンデッド(レヴァン・ガブリアーゼ、米)2016
  11. わたしはロランス(グザヴィエ・ドラン、仏・加)2013
  12. ばしゃうまさんとビッグマウス吉田恵輔、日)2013
  13. 味園ユニヴァース(山下敦弘、日)2015
  14. この世界の片隅に片渕須直・こうのふみよ、日)2016
  15. 桐島、部活やめるってよ(吉田大八・朝井リョウ、日)2012
  16. ラ・ラ・ランドデイミアン・チャゼル、米)2016
  17. サガンー悲しみよ、こんにちはー(ディアーヌ・キュリス、仏)2008
  18. 東京ゴッドファーザーズ今敏、日)2003
  19. リリーのすべてトム・フーパー、米)2015
  20. ふがいない僕は空を見たタナダユキ窪美澄、日)2012
  21. ムーンライト(バリー・ジェンキンス、米)2017
  22. 作家、本当のJ.T.リロイジェフ・フォイヤージーク、米)2016
  23. ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ (マイケル・グランデージ、米)2016
  24. 苦役列車山下敦弘、日)2012 ※記事あり
  25. メアリと魔女の花米林宏昌、日)2017 ※記事あり
  26. 静かなる情熱 エミリー・ディキンスン(シンシア・ニクソン、米)2017
  27. 娚の一生廣木隆一、日)2014 ※記事あり
  28. 怪盗グルーの月泥棒 (クリス・ルノー、米)2010 ※記事あり
  29. かいじゅうたちのいるところスパイク・ジョーンズ、米)2009
  30. 告白(中島哲也、日)2010 ※記事あり
  31. ブロークバック・マウンテンアン・リー、米)2005
  32. SEVEN(デヴィッド・フィンチャー、米)1995 ※記事あり
  33. マイ・ブルーベリー・ナイツウォン・カーウァイ、香中仏)2007
  34. リップヴァンウィンクルの花嫁(岩井俊二、日)2016 ※記事あり
  35. キャロル(トッド・ヘインズ、米)2015
  36. バードマン(あるいは無知がよたらす予期せぬ奇跡)(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、米)2014
  37. ニューイヤーズ・イブ(ゲイリー・マーシャル、米)2011
  38. メイドインアビス [アニメ] (小島正幸、つくしあきひと、日)2017

 

 

  1. 灯台へ ヴァージニア・ウルフ ※記事あり
  2. 劇場 又吉直樹
  3. 瓦礫の天使たちーベンヤミンから映画の『見果てぬ夢』へー ※記事あり
  4. 太陽がいっぱい パトリアシア・ハイスミス  ※記事あり
  5. アメリカの友人 〃
  6. 贋作 〃 
  7. 月と6ペンス モーム ※記事あり
  8. 地下街の人びと ジャック・ケルアック ※記事あり
  9. まなざしの記憶 鷲田清一植田正治
  10. 木島日記 大塚英志
  11. ヴァリス P.K.ディック
  12. ...

 

こんな感じでしょうか。

特に本は上京したばっかりで、狭い部屋から逃げ出して、カフェや図書館や喫茶店でずっと読んでた時期に稼いだ感があります。映画は年初映画好きの人と付き合ってたので結構見たな…。思い出が溢れ出ますね、やっぱり。。

今年はNETFLIXも契約したし、家も引っ越したし、この倍くらいは伸ばしたいところです。

2018見た映画と本一覧

 更新あんまりしていなかったのですが、今月のPVが100行ってました。来てくださってる方本当にありがとうございます。今年もよろしくお願いします。

にしのの2018年の目標は、映画100本、本100冊読む!というものです。

ずっと小説家ワナビでいないためにも、たくさん物語を消化して、触れていかなきゃと思います。「小説を書こう」と思っても、長く二次創作を書いてたためか、物語の構成が全くわからない感があるので…。

本当は見た映画すべて、読んだ本すべてについて記事がかければいいのですが、合わないやつや書きづらいものも出てきてしまって。無理やりも苦痛になってしまうし、このブログにはグッときたものの感想だけしたためていければいいのかなと。なので、今年は見たものリストを作ることにしました。順次書いていければ…いいな…。

 

映画

 

  1. 怒り (李正日・吉田修一、2016) ※記事あり
  2. オートマタ (ガベ・イバニェス、2014)
  3. アメリカンホラーストーリー S1 
  4. きいろいゾウ ※見直し (廣木隆一、2012)
  5. 百円の恋 (武正晴、2014)
  6. FARGO  (コーエン兄弟、1996)
  7. ストロベリーショートケイクス
  8. 真珠の耳飾りの少女
アニメ

・DEVIL MAN CRYBABY S1-6話まで

甲殻機動隊 S1-22話まで 

Fate stay/night UBW S2-2話まで

墓場鬼太郎 S1-5話まで

 

書籍

1月

  1. 人間仮免中 (卯月妙子、2012)
  2. 人生仮免中つづき  (〃、2016)
  3. 人間の土地 (サン・テグジュペリ、1939)
  4. 凪のおいとま 1ー3巻
  5. アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(P.K.ディック、1968)
読みかけ

嵐が丘

・夜間飛行

・この人を見よ

・Flowers for Algernon(原書)Daniel Keyes, 1966

 

 とりあえず今月はこんな感じです。続きものの漫画やアニメ・ドラマの処理をどうするのか悩みますが…。とりあえずシリーズやシーズンの最新の話で見たら一作品としてカウントしようかな。そんな厳密じゃなくてもいいとは思いますが。

映画一本でも、途中で見るのをやめるのが結構多いんですよね。今月だけでも、パルプフィクションインセプションインターステラー、トム・アット・ザ・ファーム、帰ってきたヒトラーぼくのエリ 200歳の少女…が途中になってる。。うー…。でも全部見ないでカウントするのは不純だしな。。

一応このページには通年の一覧を書いて、月ごとにも、新しい記事で、Twitter等にあげた感想をつけてまとめなおしていこうと思います。

あんまりキッチリしようとすると続かないので、ゆるゆるとやっていけたらいいです。続けるためには、ゆるゆる大事ですよね。でも、今月はもう1本くらい映画見ときたいところだなー、足りないや…。見途中のを一本でも見終えられればいいな。時間をおくと億劫になってきてしまうけども。

 

『怒り』感想

 

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『怒り』Netflixで見れたので見ました。飽きないで見れました。どちらかというと「え、もう終わり?」って感じで、充実した時間でした。

1. 森山未来やばすぎワロタ

2. 宮﨑あおい幸せになってね

3. 妻夫木ゲイゲイしすぎ&綾野剛演技の幅広い

まとめるとこんな感じでした。。でも良かった気がする。映像の説得力とか、音や場面の転換とか、きれいさはさすがだなと。端正な感じの表現をする監督だと感じました。李相日監督の映画は「悪人」を見たことがあります。当時の感想はこんな感じ。(2016/09/23付でした)↓↓

60点くらいかなあ。原作は傑作なようなので、原作を読んだほうが良かったのかなと思った。
演出とか雰囲気は好きだし、抑制された感じからの動の緩急の付け方も、場面転換の切り口も良かったと思う。キャスティングも良い。脇の満島ひかり樹木希林も凄い。ただテーマである『悪人』の掘り下げ方が足りない、浅い。紙の月見た後だから余計そう思っちゃったのかもしれないけど…。間違って人を殺しちゃった不器用なチンピラ男と、偶然出会った美女のつかの間の逃避行…みたいな昭和のメロドラマ感から抜け出せない。目指したのであろう、祐一や佳乃を取り巻く人々の善悪の交錯が立ち上がってはこなかった印象。
田舎の閉塞感も、出合い系サイトで出合いを求めて出会っちゃったり、そういうのは凄い分かる。わかる。光代は健気で良い子で、純朴な女性。祐一は、不器用で愛想がなくて頭があまり良くなくて、でも根は優しい傷つきやすい人、というのも伝わってくる。でも、中心がない。ふたりの関係が愛なのか、そうじゃないのか、がわからない。
衝撃だったのはラストの展開。そこで、あなた、絞め殺すの?って。愛を信じられなかったのか、離れ離れになることが辛かったのか、彼女を逃亡幇助者として巻き込みたくなかったのか、彼女に愛想を尽かせられたかったのか、それとも警察に対する演技だったのか。そして、首を締めあげられたとき光代はどういう思いだったのか。
それまでの2人の恋愛の経過が薄かったために答えが得られず苦しい。
映画だと結構ブレているというか、惜しい印象だった。

↑↑
「動の緩急の付け方」「演出」「雰囲気」「場面転換の切り口」はやっぱりこの時も好きだった。群像的演出は「悪人」もそうだったな。。
『悪人』より『怒り』は良かったです。簡潔になってたし、更に緊迫感が増していた。

 

1.森山未來やばすぎワロタ


 考えてみると『怒り』は『悪人』より「悪人」に徹底的な説得力をもたせたせいで、わかりやすくなっていたのかもしれません。森山未來は『苦役列車』で見てたのでまだ「あああ…」で済んだけど、これが初森山未來だったら軽くトラウマになっていたかもしれない。
森山未來の破壊力の凄さなんなの。文字通り何かをぶっ壊すときの勢いがすごすぎる。見ながら思わず「やめなよお〜〜〜ああああ〜〜〜〜…」って言ってしまう。あのやみくもな鬱憤をぶつけるみたいな破壊の仕方はすごい。「あっこいつヤバイ、なんとなく分かってたけど、やっぱヤバイ」っていう説得力すごい。あれは呆然として見つめるしかできないわ。
あと辰也くんに襲い掛かるときに「怒」をめっちゃ刻みなおしてから行ったのすごい。あれは漫画だったらわかるけど実写であの勢いであれやれるのは…。ちょっとでもダレたら「え、何今のw」ってなりそう…。身のこなしや気迫というか勢いというかが頭のネジ外れた人のそれでしかない。
彼の「絶対悪」感はすごいよね、本当。「これしか知らない」って感じ。それなりに本当それなり〜〜〜に社会に適合しつつもヤバさが抑えきれないのがにじみ出ている。そりゃ役柄なんだろうけど本人はちゃんと社会生活できているのだろうか…できてるんだろうけど…。
落ちとしてはまあこの人になるよなーって感じ。
広瀬すずは、レイプ後の終始逆光と海と共にある美しい描かれ方に忖度を感じました。
辰也くん役の子の生々しい田舎の高校生感は良かったです。

(『苦役列車』の感想はこちら。初記事でした)

hlowr4.hatenablog.com

 

2.宮﨑あおい幸せになってね

この女の子ちょっと知的障害入ってますよね。本人の「私なんかといてくれる人なんかいない」って思いと、父親の「娘が幸せになれるわけがない」って思いが呼応して現れ、殺人事件とは別の重いテーマになってました。
渡辺謙がいいお父さんですね…。倒れないでほしい。松ケンの不幸で不器用で、朴訥な青年って感じの演技も良かった。愛子と田代君でこじんまりと幸せに生きていってほしい。愛子の純粋で難しいことがわからない感じが、きっと田代君には居心地が良くて、無二の存在になれたんだろうな。原作上下巻ということでかなり端折ってるんでしょうけど、演技に説得力があって、二人の愛情がひしひしと伝わってきました。
吉田修一は『女たちが二度遊ぶ』を読んだことがあって、その女性の書きかたが活きてる感じする。ちょっと欠けてる女の子を生々しく、でも愛情を持って書いている。

 

3.(・妻夫木ゲイゲイしすぎわろた
 ・綾野剛演技の幅広いすごい)

妻夫木ゲイにしか見えなかった。最後男泣きだけどシャツの襟めっちゃあいてるのがちょっとおかしかった。ごめん。
綾野剛は『リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁』で胡散臭いなんでも屋役で出てて、そのイメージだったけど、カメレオンみたいに役で変われるんだなあってびっくりしました。ちょっと儚げな青年の役でしたね。ぱっと見胡散臭いけど、蓋を開けてみればなんてことない、不幸で浮世離れした男の人だった。サナトリウムでお母さんと話してるシーンが一番自然で、合ってるように見えた。

あと、愛子のお姉さん役でちょっと池脇千鶴さんが出てたんですね。妻夫木と池脇千鶴さんといえば『ジョゼと虎と魚たち』。すごく思い入れのある作品なので、ちょっと嬉しかったです。宮﨑あおいと顔似てる気がして姉妹っぽかったです。ジョゼみたいなぼんやりした身勝手な役から、チャキチャキお姉さんまでやれちゃうのがすごいっすね。

告白(映画)感想・批評比較・分析

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原作未読です。ざっくり言うと、あまり良いとは思えませんでした。引き込まれはしなかった。

 

ディープラブとか山田悠介を支持してた小学生高学年〜中学生がメイン客層な気がします。もっと本格ミステリかと思ってたので意外でした。
映画全体としては「リリイ・シュシュのすべて」(2001)と「女王の教室」(2005)を足して2で割って劣化させたような感じ。

 

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(「女王の教室」のメインビジュアル、冷たい雰囲気の女性教師が一人で大写しになっているところが似てますね)
これ2010年公開らしいんですが、7年前って高校生とかまだガラケーだったのか…じ、時代を感じる…。
学生たちの群像劇で、クラス内でのカーストとか、いじめとか、「桐島、部活やめるってよ。」(2012)みたいなものをめざしたけど作れなかった印象がすごいです(私は「桐島〜」はすごく好きです。吉田大八監督の作品はどれも傑作だと思います)。原作がポンコツすぎるせいじゃないかとは思うのですが。

 

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映像作品としての質は高いなと感じます。特に橋本愛がいいです。本当に綺麗で存在感がある子で、お肌もツヤツヤ目も迫力があって美しい。芦田愛菜も可愛くて天使みたいだ。音楽も良いし(ダウナー系の女性歌手の歌とか使っててリリイ・シュシュの既視感はあります)、毒殺犯に憧れる女の子と天才の男の子との戯れ合いのシーンとかすごくいいなと。爆破シーンの逆モーションとかも、教室の硬質な光なんかも、もっといい映画なら痺れたのかもしれない。

諸批評


見終わった後ざっと評判をググってみたんですけど、賛否両論だったんですね。知らんかったわ。

ojisan777.net

この映画は実は賛否両論あって、評価が割れている。公開された年の興行収入では第7位を記録して、日本アカデミー賞では4冠を達成しているのだが、映画雑誌「映画芸術」では2010年に公開された映画のワーストワンの映画であるという位置づけであった。

このワーストワンの理由とは、松たか子が淡々と語る長いセリフの部分が映画的ではないというところだそうだ。確かにこの映画は松たか子始めキャラクターが、BGMをバックに淡々とセリフを語っていき、また映像もテレビのコマーシャルの様な映像を流す手法がとられている。(これは実際に見ていただければ納得いただけるだろう)それが始めから最後まで貫かれている。斬新ではあるのだが、そこが評価されなくてのワーストワンという事らしい。

 

 公開当時の2ちゃんのログなんですけど、ここでもだいぶ評価が割れてることがわかり、興味深いです。

www.logsoku.com

 

 

10 : エビ男(西日本)[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 01:23:57.54 ID:Bsd697qo0 [1/1回(PC)]すごい痛快だったけどな
これぞダークヒーローっつう感じだった

 

14 : リョーちゃん(dion軍) 投稿日:2011/01/23(日) 01:26:19.31 ID:GSuGLu2SP [1/1回(p2.2ch.net)]評論家()は取りあえず話題になった物は叩く。
それによって「一般人とは違う」というのをアピールする。

 

40ばら子ちゃん(不明なsoftbank)[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 01:47:37.79 ID:BfxWHRr60 [1/1回(PC)]俺は凄く面白かった。
後々ワースト1に選んだ雑誌や批評家の方に逆に傷が付くし汚点が残るよコレ。
ぱ悪には悪で対抗するしかなく、DQNは何処まで行ってもDQNってのを実感させられる映画。

 

42雪ちゃん(東京都)[sage] 投稿日:2011/01/23(日) 01:48:05.29 ID:QpElOv7V0 [1/1回(PC)]・言うことを聞かないくせに、牛乳は温和しく飲む中学生たち
・エイズ感染してるもしれない殺人者を、不気味がらずにいじめの対象にできる中学生たち
・エイズ感染してるもしれない殺人者を、当局に通報しない中学生たち
・そんな殺人者にエイズウイルスを飲ませて殺害しようとした教師も通報しない中学生たち
・クラス全開でイジメてるのに、全く気づかない教師たち
・チャックに触れただけで電流が流れる意味不明な防犯グッズ
・そんなものが発明コンクールで優勝して、あまつさえ大事件が起こった日の新聞の社会面に掲載
・モザイクが外れるAVのDVDと、いまどきそんなものを有り難がる中学生たち
・いまどき大学で電子工学wを研究してる優秀な女博士
・ブログに実写動画で犯行動機UPしてるのに、松以外誰も見てない件
・そんな美味しそうなブログを、早速祭らないν即民たち
・爆弾作りで一番難しい、ビルが吹っ飛ぶくらいの強力な爆薬をあっさり調達する中学生
・足元の爆弾をわざわざ携帯で起爆させる必要性
・母親が死んだと電話で告げられたら、確認もせずに号泣して鼻出血

 

72 : ハッチー(関東・甲信越) 投稿日:2011/01/23(日) 02:29:01.29 ID:y+LKFz4NO [1/2回(携帯)]つうか「告白」を褒めちぎってるのはまともに映画とか読書とかでカタルシスを得たことがない文化的情弱。「告白」っていう映画は、中島哲也のリトマス紙的な映画で観るものによって評価が代わるという意見がある。
シネフィル的な人達には評価が低い、ベタ誉めしてるの普段まったく映画も本も読まない連中がセンセーショナルな内容に騒いでるだけ。

 

84DD坊や(千葉県)[] 投稿日:2011/01/23(日) 08:12:39.24 ID:IIB2UkJL0 [1/1回(PC)]悪い意味で日本的な映画
まるで土曜21時の安いドラマを見てるような感覚
中高生やライト層に受けそう
世界からの評価は得られないだろう

 

褒めてるブログ

movie.maeda-y.com

 

numbers2007.blog123.fc2.com

「そうしたら、スゴク良く出来ているというか、映像とか素晴らしいし、斬新な感じだし、話もスゴク面白い。というか興味深い。それでなんというのかな…映画を観ているとき、自分の思う『こういう風にしちゃうと、別の意味になっちゃうじゃん』『話がまとまんないじゃん』『ここオカシイじゃん』とか、『この撮り方ないじゃん』『ご都合主義じゃん』とかが無いんです」
「すごく良く出来ているし、出てくる人の性格とかも『こういうヤツなんだ』『腹立つわ』とか思うんだけど、あまりに出てくるヤツが全員腹立ってくる、キライというか…だから、すごい正しいことだと思うんです。要するに、『清々しいほどこの映画に出てくるヤツ、全員キライ』って思うし、嫌なヤツがいっぱい出てくるストーリーだから、それで良いんだけどね。狙い通りなんですよ」 

「『告白』って映画が、俺は嫌いでしたね。ダメ、とかツマンナイとかじゃないんです。すごい面白かったし、すごい興味深かったんだけど、俺がとてもキライだったもの、みたいなものがあまりにキチンと描けているから、ホントに最後まで観て、『うわ~ぁ…もう観たくない』って思いましたね」

  

 

ameblo.jp

82点

(中略)

でも、まぁ、良いんですよ。僕的には自警団モノの亜流というか、ジャンル映画だと思ってるので、勢いがあって面白いから全然OK。

 

貶してるブログ

www.tadamonkugaiitakute.com

 

blogs.yahoo.co.jp

 ぼくは「告白」という映画が嫌いです。2010年のワーストだと思ってます。そのくらい嫌いです。(ちなみに封切作品は年間6,70本ほど見てます)
 
 アバターも酷かったでけど、あれは害のないつまらなさだと思うんで別にどーでもいいんです(見終わった直後には金返せと思ったけど)。告白はアバターとは全く異なる次元で嫌いなんです。害悪とすら思ってます。

 

 

d.hatena.ne.jp

さて、今回は本当は、中島哲也「監督」の「映画」というふれこみの『告白』という、CMもどきの単なるかっこよさげで意味を欠いた薄汚い映像の羅列について語るつもりだったが、もう面倒くさくなったからやめる。

 

私なりの分析

レビューに目を通していくと、褒めている人・貶している人のざっくりした傾向が見えてきます。褒めているレビューで取り上げられるのは映像表現の美しさ、松たか子を始めとした俳優陣の演技、原作や映画のテーマ性を褒めている。一方、貶しているものでは設定・脚本のお粗末さが指摘されていたり、また、これ見よがしの映像表現が鼻につくんじゃというものもありました。

私は賛否でいうと否より、です。映像表現の目新しさ、美しさはあるのかもしれないけど、私は映像畑の人間じゃないから専門的なことはよくわからない。公開から七年も経つと、このくらいの綺麗さって結構いろんな映画で見れるようになってきている感じもする。学校で「命」について考えるということをテーマにした作品は結構作られてるので、題材にそこまでセンセーショナルと思えなかったというのはあるかも。(例:「先生を流産させる会」(2012)、「ブタがいた教室」(2008))

他洋画だと、私が見たことあるのだと、「エレファント」(2003)には、米コロンバイン高校で起きた実際の銃乱射事件に基づいて、犯人の少年の視点から高校生活を描かれています。血しぶきなども描写していることからR15指定を受けていたり、心象的な映像表現が多く見られるなど、「告白」と似た点があります(「告白」も血液などの暴力的表現からR15指定)。また、どちらにおいても主人公に共犯者となる同性・同年代の少年がいたこと、犯人の少年が、異性・同性双方とキスするシーンがあること、クラスでもあまり目立った存在ではないこと、なども、共通点です。私は「エレファント」はすごく好きです。

湊かなえが「エレファント」を参照して小説を書いたかはわかりませんが(多分偶然かな)、見比べてみると面白いかもしれません。どちらかというと、湊かなえ自身が少年犯罪について調べた中で、無意識に断片的な情報が紛れこんでしまったというのが近いのかも。本当に資料として参照していたなら、もう少し作品自体が作り込まれたものになった感じがします。特に橋本愛の存在とか、もっと違ったものになったような気がするんですよね。

 

www.nicovideo.jp

 

映画「告白」における私があまり良いと思えなかったところを、思いつく範囲で書いて見ます。

  • 「母親の愛に飢えた命の価値を知らない少年が殺人を犯す」という設定の安直さ。
  • 展開があまりに安直であること。(「少年犯罪だから大丈夫」・「HIV患者の血液を飲んだら感染して絶対に死ぬ」のような「公式」が未熟)
  • 「バカ」という言葉が軽々しく使われることが厨二感を掻き立てている。
  • 全ての人間の精神年齢・思考回路があまりに同列・似通っており、登場人物がガワだけのハリボテであるような感じがすること。
  • 最後の「なーんてね」等「読める」セリフが多い。
  • 大人(親・教師)が役立たずすぎる。
  • 全体的に人命が軽々しく扱われすぎ。

いくら映像表現がいいと言っても、やはりこのへんのところが解消されなければ、映画として素晴らしいとはいえないように思います。個人的には「告白」はやっぱり、映像表現としては満点なのかもしれないけど、脚本としてはお粗末である、という感じの結論を出したいですね。

とある記事では、「告白」が受けたのは時流にあっていたからというのがあり、それは結構あるのかもしれません。「デスノート」の残滓がまだ残っていたり、「悪人」が同年公開しているなど、犯罪者視点の表現が受けていた頃なのな。(「悪人」のコピーが「なぜ、殺したのか。なぜ、愛したのか。」というのも考えさせられるものがあります、「告白」とコンセプトが似てるのかも)

 

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短めにしようと思ったんですけど、思いのほか掘り下げ甲斐があり、結構長めの記事になってしまいました。良い傾向である。

今回もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

東京と、孤独と、スマホ〜『リップヴァンウィンクルの花嫁』感想

見ました。※がっつりネタバレしてます

http://eiga.k-img.com/images/movie/83603/poster2/200.jpg?1448333497

 


岩井俊二監督は『リリイ・シュシュ』と『四月物語』を見たことがあります。ただ、どちらもリアルタイムではなかったので、どうも古い感じがしてピンとこなかったんです。

リリイ・シュシュ』は特にいじめの描写もきつかったので…。でも『リップヴァンウィンクルの花嫁』は「今」に合ったもので面白かったし、監督は「時代の色」を切り取る、感じるのがすごくうまいのだと思いました。三時間弱あるので、途中で飽きたり疲れたりすると思ってたんですが、ずっと惹きこまれて見てました。

黒木華ってこんなに演技が上手いんですね。地なの?ってぐらい自然すぎてびっくりでした。綾野剛も、出て来た瞬間は先入観がありすぎて、「綾野剛だ…!」って言っちゃったんですけど、自然で、しぐさとか喋り方にリアリティがあって良かったです。
CoccoはもうCoccoで良かったけど、それでも、偽家族と最初に喋るシーンなんか上手かったし、七海に自分の部屋(?)を紹介する際の「ちょっと秘密」にくすっときました。
私はずっとCoccoのファンで、KOTOKOも見たしゴミゼロのドキュメンタリーDVDも持ってるんですが、癖があるのに温かみがあって、動物的で、周囲になんだかんだ愛されていくところとかはまんま地だなと思いました。KOTOKOよりは狂気の影は全面には出て来てなくて、生きるイメージが表だっていたので、精神衛生上は良かったです。

 というか、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』全体が、「狂気(みたいなもの、≒、孤独?)を託ってそれなりに生きる」にフォーカスして作られていますよね。第一線だったのは結構前のCoccoを、「今」のかたまりのようなこの映画に起用したというのは、監督の時代精神への敏感さを示している気がする。Coccoは古びない種類のもの、孤独感や愛、生きる苦痛なんかを歌っており、それはむしろどんどん表面化しつつあるものな気がするから。

 

見た後1日くらいずっと見放された感じとか、寂しい感じが去ってくれなくてきつかったけど、それくらい質が高いということだろうなあと。

七海の設定とか性格とかが自分に近くてつらかったです。理屈よりも感情、感傷でみる映画なのかなって感じがします。 七海は弱くて、純粋で、不器用で、口下手で、傷つきやすくて、すぐ騙される。頭もそれほどよくないのかもしれないし、人と関わるのも下手で、精一杯の自己表現といえば、SNSの表層をうっすらと文字で引っ掻くみたいに、何行かの投稿することだけ。綺麗とか派手な感じではないし、どちらかといえば可愛「らしい」というか、「ああよくいるちょっと暗めなタイプね」っていう感じ。でも、肌がしろくて、ウェーブのある黒髪ロングがよく似合っていて、家事をするために髪をあげると、はっとするほど平凡で、没個性的で、「何でもない」ような女性に見える。伏し目がちで、小さな綺麗な声で喋って、自分に自信がなくて、少しおびえたように生きている。 中盤、姑に責められて、泣きそうになった弾みで(お酒のせいもあってか)しゃっくりが止まらなくなってしまって、「何ふざけているの?」と辛辣な言葉を浴びせられるシーンがあるんですけど、そこがすごく七海っぽいと思いました。綺麗に泣くこともできない、要領が悪くて、ちょっと見苦しい感じが。

Cocco演じる真白は、そういう七海の「自分を大事にしてください」という言葉に対して、「私この涙のためなら死んでもいい」と言う。真白自身もやはりいびつな精神を持つ女性であり、AV女優として生計をたてながら、毎日飲み歩いて、無茶な散財を繰り返している。ただ、不思議な存在感と包容力、鷹揚さがあり、そこが七海も一緒にいて楽なんだろうなと感じます。

真白の本質は、七海の純粋さ、計算のない思いやりのような言葉に、誇張でも何でもなく「死ねる」といえるところだという気がする。純粋なものへの底抜けの愛、というか。なんでもかんでも愛して、傷つけられて、まる裸のまま生きてる。ウェディングドレス姿で七海と横たわりながら、真白は言う。

「ねえ、私ね、この世は幸せだらけなんだと思うの。だって人ってみんな優しいんだよ? 運送屋のおじさんが、汗だくで家まで荷物を運んで来てくれたりするの。私ね、そういうことされるたびに、幸せすぎて耐えられなくて、壊れそうになるの。だから、せめてお金を使うの。人間って、他人の優しさとか、思いやりとかを直接受け取ると、眩しすぎてとても耐え切れないから、お金を発明したんじゃないのかな」(大意)

これはすごく「Coccoっぽい」セリフ。ある意味おめでたいと受け取られかねないけれど、でも見るべきなのはそこではなくて、真白というキャラクターが「普通の幸せ」にとても耐えられない心のうつわであること、とても「普通に幸せになる」なんてことを受け止め切れないもろい生き方をしていること。それほどに、彼女の人生は、冷たく、救いのない孤独なものだったということ。

綾野剛演じる安室のチンケな小悪党みたいな感じもよくて。彼自身も別に良い人でも悪い人でもない。良い人のように見せかけた悪い人のようにも、悪い人のように見せた平凡な人のようにも、何にでも見えるし、きっと彼も何でもない。ただの「何でもない」人。息をするように裏切れば、出来るのであれば息をするように助ける。安室も、彼自身彼の責を、本質的に負えるような存在でもない。ある意味狂言回しのようなポジションではあるのですが、等身大(すぎるくらい)のただの「人」でした。

リップヴァンウィンクルの花嫁』は、何本か軸があるように思えました。「東京」、「いびつな家族」、「SNS/スマホ」、そして「待つ」。整理してみたいと思います。

 

 東京

この映画の一つに「東京」っていうのはコンセプトがあるのは確実といってもいいです。冒頭のSNSで知り合った男性と雑踏で待ち合わせるシーン、安室と会うカフェや、働く旅館、真白と行ったウェディングドレスショップとか、あえてどの場所を使ってるのがわかるようにしてあるし。また、ラストらへんに、ビデオ通話?で勉強を教えている生徒から「先生、東京ってどんなところ?」と聞かれて、「どんなところ……なんだろうねえ」と七海が答えるシーンがあり、単なる場所以上の意味を東京に求めているような気がする。そのことについて書きます。

この映画を見ていると、東京は人がたくさんいるくせに、離れているかと思えば近づいて、近づいたかと思うと離れて、いなくなって、触れて、その繰り返しのような気がしてくる。人間同士の距離の酷薄さがより際立つというか。とくに七海と安室との関係は利害関係の一致でしかないし、彼はだいたい七海を利用することしか考えていない(七海はそれに全く気づいていず。最後まで安室に感謝している)。真白との別れはもっとも大きなファクターですし、人と人が会う、親しくなる。離れていく、傷つく、別れる。「その意味って何なの?」を考えさせられる町が、この映画の「東京」な気がします。

 

いびつな家族

見終わったあと反芻していて気づいたんですけど。この話一つとしてまともな家族が出てこないんですよね。

七海の家族は仮面夫婦で仲は冷え切っている。父親が七海に「お前は幸せになってほしい」と親らしいことを話したり、結婚式で涙ぐむところはあるんだけれど…なんか全然響いてこなくて、白ける感じがある。それは、そもそもその結婚式が、七海と夫の間にすれ違いがあること、偽の親戚を招いたものであるからなんでしょう。嘘の上に跨った、どこか白けた涙。 実際、七海が義母に浮気していると誤解され、「実家の岩手に帰りなさい」とタクシーに押し込められても、彼女は父と母どちらも頼ることなく(連絡をとる描写もなく)、都会の雑踏に揉まれ続けることを選びます。そして夫の実家は夫の実家で、母は息子を病的に愛しており、週に2回は上京し、ホテルに泊まって息子と食事をしている。

真白の家はといえば、AV女優になったことで徹底的に縁を切られており、母親に安室が連絡をとっても、「捨てた娘だから骨などいらない、川にでも撒いてくれ」と言い捨てられる。

七海や真白は、家族や家庭に戻れない。状況して、東京に揉まれ、他人同士に挟まれながら、偶発的な出会いに存在や人生を賭けていくしかない。考えてみれば、今の20代とかと親との感覚の断絶ってすごいんじゃないかな。七海が義母に罵られたように、真白が母親に「都会で金稼いで好き勝手に遊んで楽しいか」と吐き捨てられるように、なんというか、世代の生き方が断絶しすぎて、かけ離れ過ぎていて、通じ合えないことも多いような気がする。 

 

スマホ

ちらほらSNSが出てくるんですけど、そこまで大きな存在感はありません。むしろもっと大きく、 スマホでの人との繋がりのほうが大きいかも。少し例をあげます。

七海が当てもなく、荷物を抱えてぼうっと町を彷徨っているタイミングで、偶然安室が電話をかけてくるところかなあ。我に返った七海が「あれ? ここ…ここどこなんでしょう…」と泣き、安室が「行きますから待っててください、今どこですか?」と尋ねるが、七海が場所を確認する前にバッテリーが切れてしまう。ただの筐体となったスマホを握りしめ、泣き崩れるというシーン。

また、七海が真白とアプリで連絡先を交換したのち、雑踏に紛れて真白がどこかに消えてしまうシーン。渋谷(だったかな?)の雑踏で一人で立ちすくんでから、携帯を取り出し、真白のアカウントにメッセージを送って微笑む七海は、一人だけれど、もう孤独ではない。真白とスマホで「繋がっている」から。これってすごく日常的な出来事でもある。見知らぬ街では特に、スマホの存在は大きい。目の前を通り過ぎる他人よりも、スマホアプリや、アプリを介して繋がる人たちのほうが大切で、かけがえがなくて、自分の生きるよすがになっている。

この映画でスマホSNS、ネットでの繋がりというのは、七海を首の皮一枚どうやってか食い止めて、生へと押しとどめるような役割を持っています。大きいのは安室という詐欺師の存在ですが、その安室だってどこにでもいる平凡で、卑怯な男でしかない。だから、その平凡で卑怯な男一人だけでも巡り会えることで救われる七海の生について考えてしまう。彼女を救ったのはやっぱり、安室ではなくて、スマホやアプリなんだろうなと。座間の事件でSNS規制が叫ばれていますが。たとえば七海からこの映画でスマホSNSを取り上げたとして、彼女が救われるとは考えづらい。もともと孤独な人間の行き場を奪うことで、さらに生きづらくなり、たった一人で死へ向かってしまう可能性も十分に考えるべきだと思います。

待つ

この映画のAmazonのある人のレビューに『「〜を待ちながら」でもあるまいが…』という文章があるんですよね。興味のある方は探してみてください。そのレビューは結構的確な気がします。ラストシーンで、七海が一人でテーブルに座って、向かいの椅子を眺めるシーンがある。そして、立ち上がって向かいの椅子に歩いて行って、背もたれに少し触れる。そこを見て、私は七海は「もう一人」を待ってるんだなって感じました。かつて七海の向かいの席に座ったのは、夫であり、次には真白であったけれど、今はもういなくて、だらしがないみたいに、学習しないみたいに、まだ性懲りもなく、向かいの席に座ってくれる人を求めて、たった一人に戻って生きてる。それがこの映画に描かれた七海の生です。

映画の題名を少し分析すると、やはり「待つ」という要素が現れます。『リップヴァンウィンクル』とはそもそも19世紀のアメリカの作家アービングによる寓話らしい。(以下wikiより引用)

アメリカ独立戦争から間もない時代。呑気者の木樵リップ・ヴァン・ウィンクルは口やかましい妻にいつもガミガミ怒鳴られながらも、周りのハドソン川キャッツキル山地の自然を愛していた。ある日、愛犬と共に猟へと出て行くが、深い森の奥の方に入り込んでしまった。すると、リップの名を呼ぶ声が聞こえてきた。彼の名を呼んでいたのは、見知らぬ年老いた男であった。その男についていくと、山奥の広場のような場所にたどり着いた。そこでは、不思議な男たちが九柱戯(ボウリングの原型のような玉転がしの遊び)に興じていた。ウィンクルは彼らにまじって愉快に酒盛りするが、酔っ払ってぐっすり眠り込んでしまう。 ウィンクルが目覚めると、町の様子はすっかり変っており、親友はみな年を取ってしまい、アメリカは独立していた。そして妻は既に死去しており、恐妻から解放されたことを知る。彼が一眠りしているうちに世間では20年もの年が過ぎ去ってしまった。 

 (リップ・ヴァン・ウィンクル - Wikipedia

 

文字通り捉えると、この物語で「リップヴァンウィンクルの花嫁」(つまりリップヴァンウィンクルの妻)は、20年帰らぬ夫を待ち続けて死んだわけです。監督は「リップヴァンウィンクルの花嫁」という存在に焦点を当てることによって、「帰らぬ(来ぬ)人を待ちながら(…死ぬ?)」という側面を強調したかったのではないかと思います。

確かに映画で、七海は二回ウェディングドレスを着て、指輪を(真白とは架空の指輪ですが)交換しており、「花嫁」というに相応しい記号性を持っている。何と言っても真白のハンドルネームがリップヴァンウィンクルであり、七海は彼女と婚礼めいた儀式をしたわけですから、リップヴァンウィンクルの花嫁=七海は結構瞭然かもしれない。(ちなみに七海のハンドルネームは、夫と出会い結婚するまでは「クラムボン」、以降「カンパネルラ」。)  

ただ、花嫁姿という点では真白もウェディングドレスを着ている。より積極的に着たがったという点では、七海よりもそこは強いのかもしれない。また「死ぬ」というのも、真白は死んだわけですから、より完成はされているということにはなります。ではその場合リップヴァンウィンクルとは? という問題にもなってきてしまいますが…。まあ、原作での「恐妻」という要素も削ぎ落とされているので、そこまで準拠する必要はなさそうだし、やはりここは七海を指していると考えていいと思います。

Coccoが好きという贔屓目で見ても、黒木華綾野剛の演技は白眉だし、映画自体の現代性、孤独感なんかもすごく真に迫るところがあります。他のちょい役の方々もすごくいいです。個人的には、七海が一時期働いてた旅館の人たちが好きですね。あ、あと、野田洋次郎さんがちらっと出てるらしいです。真白と二人で行ったレストランでピアノ弾いてた人だろうか…。すごくしっとりして、きらきらしていて印象的なシーンです。Coccoも少しだけ歌うし。黒木華の歌声が綺麗で、本当に可愛い声なのでそれにびっくりしました。KOTOKOよりも激しくないしグロくもないので、Cocco見て見たいって人はこっちからのほうが入りやすそうです。

 

 

SEVEN感想 *短め

  

ブラピのちょっと単純で肉体派で、いかにも男って感じがいいし、モーガンフリーマンのちょっと頑固?だけど、優しくて鋭い感じとよく合ってました。バディものとしてもとってもいいバランスです。
映像美がとにかくすごかった! ワンシーンワンシーンもそうだし、オープニングやエンドロールのセンスも好きです。ホラーとかサスペンス映画って、何で光と影がこんなに綺麗なのか。冷えた白や青の色合いが好みでした。
カメラワークもよくて、、犯人を追ってるときのふっと下にそれてドキッとさせたり、変に広いところから撮って余白で不安にさせたり、犯人の自首シーンでの一瞬の違う角度からの挿入とか、とにかく凝ってる感じがしました。特に、最初は一部しか映さないけど、最後にパッと全体像、みたいな見せ方が好きだなと思います。街並みとか、空からの眺めとか。
脚本は何であんなふうにしたのか。。ラストシーンはあれでよかったんだろうか。結果の是非をいうつもりはないんだけど、ちょっと尻切れトンボ感があったような気がするんだけど、大丈夫だったのかな。バッドエンド自体は全然良いんだけど…。

ミルの家が地下鉄のそばで揺れる、という設定と描写は何だったのでしょう。何となくすごく好きでした。意味のなさみたいな、リアリティみたいなものが。あと、それで初めて笑うサマセットも良かったし、あそこでふわっと空気が打ち解ける感じの力がすごくあった。「四季」(だよね)に合わせて、失楽園とか地獄の挿絵などが挟まれていくのもいいし、やっぱ場面づくりが凝ってるなあと。
犯人役の人の、奇妙に柔らかくて、静かで、隙のない話し方も良かったですね。適度に人間みが感じられて。
コメディやアクションとかのテンションの高さに疲れるときがあるので、サスペンスやホラーのアンニュイな雰囲気が性にあうのかもしれないです。
セブンは最初はよくわからなくて「?」ってなったけど、静けさというか、少し冷えていて、哲学的?な雰囲気が良いなと思います。引き込み方もうまい。
WikiにはSEVENの画面作りやコンセプトに関しての記述がありました。

 

.フィンチャーは「フリードキンエクソシストの後に作ったかもしれない種類の映画」としてセブンを製作した。彼は映画撮影技師のダリウス・コンジと仕事をし、「肩越しに後部座席から徐々に見えるようカメラを動かす」というような(全米警察24時 コップスの影響を受けた)単純な撮影技法を採用した[9]銀残しという現像の手法を使い、コントラストの強い映像となっている。特に捜査官が用いるゴム手袋、図書館のライト、街頭で配られるクーポン券など、淡いグリーンの配色に執着している。
フィンチャーが示したかったように、騒々しい住人や常に降り続くように見える雨、込み合った都市の通りは本作の不可欠な要因である。「汚い、暴力、倫理の欠如といった、憂鬱にさせる表現。視覚的に、そして文体的に私たちはこの世界を描写したかった。できるだけ本物で、かつ生きるためには必要とされるものすべてを」。この目的のために、陰気で、しばしば不気味な世界を作るようデザイナーのアーサー・マックスは注文された。「私たちは、都市の中の人々のモラルの腐食を反映させるためセッティングした」とマックスは述べている。

セブン (映画) - Wikipedia)

 

これを読む限り、やっぱり私が印象的だった表現は、意図して演出されたものみたいですね。でも、グリーンは気づかなかったな。そういえばDVDジャケットも淡い緑が使われてます。どういう意図でこの色を選んだんだろう。苔とか、退廃の色…?

でもどれだけ監督が退廃的に映そうとしようとしても、街並みを美しいと感じてしまうのは日本人の感覚なのかな。最初の人が殺された部屋とか、犯人が潜んでいるアパートとか、そういうのは嫌な感じだったけど、街並みは、アンニュイさまで綺麗だったし、ヘリで飛ぶときに見えた、等間隔な四角いビルディングも綺麗だった。
雨の強さとか、雑にコーヒー渡す感じとか、そういうのまでオシャレだったですね。
日本の田舎のもの寂しさは画にならない殺伐さがあるから、そこでホラー映画撮ったらどうなるんだろう。でも、とうもろこし畑と田んぼじゃ話にならないですね。。比較で次は日本のホラー映画を見てみようかな。

今日は短めですけど、このへんで。

これから短めの記事を短めのスパンであげるというのも試してみようと思います。
お読みいただきありがとうございました。

ウルフ「灯台へ」感想


ご無沙汰してました、にしのです! 閲覧有難うございます。
先日ヴァージニア・ウルフ灯台へ」を読み終わりました。初ウルフ作品でした。

 

  by カエレバ

  

本作は「英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき」必読小説1000冊」入りしてるらしいです。あと、早稲田大学院教授?の渡部直己さんの『私学的、あまりに私学的な 陽気で利発な若者へおくる 小説・批評・思想ガイド』でも必読書としてリスト入りしてました。yurilam.wordpress.com

 

  by カエレバ

 

 

大学の授業で「意識の流れ」の人と教わったのですが、実際の文章は読んだことがなかったので、新鮮に読みました。女性の生き方、人の生き方、生きづらさ、人と人は分かり合えるのか、人の本質とは何か・どこにあるのか。哲学的な主題というよりは、日常的な疑問をつぶさに受け取って、丁寧に詰めていく、という方が近いような気がします。人と人が関わる上で焦点に入って来る瑣末な疑問・不思議な感覚を、実験的に一つ一つ、小説の中で追い求めて行こうとしているような感じ。

それと、はちょっと「ムーミン」みたいな雰囲気(?)があるような感じがしました。なんと言うか、どこかちょっとおとぎ話めいているというか、上品というか、寓話っぽいというか。海辺の大家族(8人の子供と、哲学者の父親、美しい母親)と客人たちの話、というのが浮世離れしていて。色は間違いなく青っぽい。いろんなトーンの青が混ざって、それにけぶりを掛けたような雰囲気です。そういえばトーベ・ヤンソンもウルフも同性愛者ですね。あ、ハイスミスもか…。

映画のカメラが横並びに人を映し出して、「この人は…一方この人は…」みたいなカメラワーク?描写?があると思うんですが、ウルフはそれを登場人物それぞれの意識のレベルでやってます。人間観察眼、というのも陳腐な言葉に思えるくらい、的確に・鋭く人間を描いており、実益と美しさを兼ね備えた比喩が登場します。さまざまな人が、お互いのことを同じように思ったり、違ったように思ったり、評価したり貶めたり、ある人物の行動と考えていることが全く違っているのに騙される人もいれば、それを見抜いて矛盾に思いをはせる人もいる。その情報量は筆舌に屈し難いものがある。その混沌が一同に介し、海辺の景色と綯い交ぜになりつつ、自然や人間に何がしかの真理を見出そうと常に伺っている。潮の満ち引きのように、理解や無理解、鈍感と敏感、拒絶と許容、愛と憎しみ…いろんなものが混ざり合っていきます。

一番内面が赤裸々に描かれ、作者の立場と近いように思われるのは、画家志望のオールド・ミス、リリー・ブリスコウです。彼女は美しいラムジー夫人を尊敬しつつも、彼女の内面にあるものや、周囲の人々の良い(美しい)面と、悪い(醜い・あまり良いとは言い難い)面について思いを馳せ、様々な感情や疑問を覚えます。
 
…では、これらをぜんぶ合わせると、どんな答えがでる? 人はどのように他人を評価し、判断をくだすのだろう? どうすれば、あれとこれを足して、好きとか嫌いとか言う結論を出せるのだろう? 結局のところ、そういうことばには、どんな意味がついてくるのだろう?(32)

 
…とはいえ、きっとご本人はあそこに見える完璧な姿形とは、実際には違う存在なのだろう。でも、どうして違うの? どう違うの? …奥さんは見た目とはどう違うのだろう? あの方の内なる精神とは、本質とは、どんなものなのだろう。ソファの隅で見つけた手袋が、その折れ曲がった指の形から、ぜったい奥さんのものだと断言できるような、あの方の本質とは?(64)

 
…まともにものを見るには、目が五十対くらい必要のようね。ーその中には、あの美貌がわからない目も一対ぐらい必要だ。なによりも欲しいのは、秘密の知覚機能とでも言おうか、空気のように薄くて、鍵穴をもくぐり抜け、たとえば、編みものをしたり、おしゃべりをしたり、独り黙り込んで窓辺に座っていたりする夫人を包み込んで感じ取ることができるような力。…ラムジー夫人にとって、あの生垣はどんな意味をもつか。庭はどんな意味をもつか。波は砕けたときにどんな意味をもつか?(253)
 
リリーはラムジー夫人に時折結婚のことを尋ねられて、彼女をうざったくも思いつつも、度々ラムジー夫人の美しさに打たれ、後半部においては彼女の突然の死について、その意味を考えつづけます。解説では「同性愛的」と指摘もされていますが、しかし、彼女の夫人への感情には性的対象に向ける即物的な欲望とは単純には置き換えられない敬意が読み込めます。いや、もっと言ってしまえば「不可思議なもの・神秘的なものへの驚嘆、崇拝」とでもいうような。そもそもラムジー夫人は単なるキャラクター以上の意味を「灯台へ」において持ち続けます。その人間離れした美しさもそうですし、途中で突然亡くなるという「欠けた」存在になるというのも意味深長な秘密を帯びます。彼女のみが屋敷のすべてを掌り、客人や家族というすべての人々を接げる役割をもっているため、夫人の存在は、密やかに、けれど唯一絶対の、物語を導く(抑制〔コントロール〕する)推進力となっています。自然や意識、その外か内にあり、人間の理解を超越した所で、着実にその調和を保ち続ける謎。秘密のかたまり・結晶というエッセンス。その「不可思議さ」は、地の文章の中でも表現されます。「灯台へ」では、意思がない風や波、自然、物が自分の意識を持って行動を起こしているように描かれている文が多く見られます。多分これがウルフのスタイルなんだろうと思います。それが思いっきり表出するのは物語の「連結部」とされる第2章「時は流る」。自然の圧倒的な力、時間の暴力、人間や生活の非力さが存分に表現されています。他にも、
 
山腹の狼狽ぶりを憐れんでか、面白がってかわからぬが、周囲を取り囲む丘たちが、曇り翳った斜面の運命をとっくりと考えている、といった風情だ。(216)
 
などといったような表現。ちょっと漱石の初期(「虞美人草」とか)に似た感じの文章のような(漱石は英文学者ですね)。確かに英語は日本語より無生物主語表現は多いけど、それでも独特な感じがあります。その意図はなんなのか。こういった表現に対して少しずつの「違和感」が結晶するのは終盤のリリーの独白です。
 
やはり、わたしはなんの不足を感じないながら、奥さんを求めて泣いているってことなのかしら? …だったら、これはなんなのでしょう。どういう意味なんでしょう? ものが手を突き上げて、人をつかんできたりしますか? 剣が人を切りつけたり、拳がつかみかかってきたりしますか? 安らぎはどこにもないのですか? いわゆる処世術を覚え込んでも、詮ないものですか? なんの導きもなく、身を寄せる隠れ蓑もなく、人生とはすべて奇蹟の賜物で、つねに高い塔の頂から宙に身を躍らせるようなものなのですか? どう年を重ねても、なお人生とはこんな、意外で、不測で、未知のものでしかないなんて、そんなことがあり得るものでしょうか? いまここでカーマイケル老人と自分が芝生にすっくと立ち上がり、なにものもこの目はごまかせんぞと万全の気迫で、なぜ人生はかくも短く、かくも不可解なのか説明していただきたいなどと烈しく詰め寄ったあr、放散した美がくるくるとその身をまとめあげて、あたりに充ちるのではないか、この虚しく伸びる曲線や唐草模様がなにか形をなすのではないか、もしふたりで声高く呼びかけたら、ラムジー夫人が帰って来るのでないか、そんな気がした。(231)
 
ウルフが哲学とか高尚ぶったところにいかず、目の前の瑣末な疑問・傷について考え続けたのではないかと私が思う理由がここです。なんていうか、日常的に感じるような、平易な、些細な想いを書いてる印象です。「死」について、というのはあまり紋切り型で、すこし陳腐な感じにもなってきてるかもしれないんですけど(特に文学では)、でも、「剣が人を切りつけたり~」という文には何か非常に切実さを感じます。またここでは明らかにラムジー夫人の死は人生の不可解の代表として数え上げられ、それ以外の世界全てに対する疑問、たとえば曲線、唐草模様の意味と連なるような、そんな神秘的なものに属しています。ウルフが度々「剣が~」のような表現を用いるのは、どうしようもない不可知の何か・なんらかによって、自分(人間・存在)がどうしようもなく左右される、あるいはある意味で「侵される」ような感覚を持ち続けていたためではないのかな。
 
さて、ウルフが自分の投影として用いたのは、次点ではなんとなくキャムのような気がします。キャムは第1章でラムジー家のおてんばな女の子としてちょっと登場しますが、第3章ではメインキャラとして出てきます。
えっと、ラムジー夫人ばかりフォーカスしてしまいましたが、夫のラムジー氏もだいぶ曲者です。哲学者で、今の言葉でいうならちょっとアスぺっぽいおじさんというか…。まず物語の冒頭で、息子が「明日灯台に行けるかな?」ってわくわくしているのに、お母さんが「いけるといいわね」って言うのに対して、「この雨じゃ行けんよ」って、ぶちこわしてがっかりしてべそをかかせちゃうような、一事が万事そういう感じの人なんですね。あとは、まあ時代とお国柄なのでしょうが、男尊女卑思想も結構強い。若くて快活でちょっとおバカな娘が好きで、その子が「わかんな~い」みたいに言うのをバカにするのが結構好き。このへんはどこの時代も誰でも同じなんだなあ…ってちょっと面白かったりします。夫人の言葉を借りれば、「うちの人はこういう若い娘たちが好みなのよ。こういう金朱色に輝く娘たちは、すっ飛んでいて、ちょっと手に負えなくて、そそっかしいところがあって、髪をひっつめにしたりしないし、主人に言わせればリリー・ブリスコウのように「貧相」でもない。こういう娘たちはことによれば、主人の髪を切ってあげたり、時計の鎖を編んだり、彼の仕事中に「ねえ、いらっしゃいよ、ラムジーさん。こんどはあたしたちがやっつける番よ」などと呼びつけて邪魔したりして、するとうちの人はテニスをしにほいほい出て行ったりするのだろう。」(126)。
 
だいたい自分の世界に入ってて、独り言をぶつぶつ言ったり、いきなり癇癪を起こしたりするくせに、妻がぼうっとしてたり、怒ってたりすると傍にきて構ってくれみたいなオーラを出す。妻の死後はもうフォローしてくれる人が誰もいなくなったので、「暴君で分からず屋の父親」として子供たちから憎まれてます。ちょっとびっくりしたのはすでに「抑圧」という言葉が使われていることですね。息子が母親に愛着がありその反面父親を憎んでいる感じとかはちょっとフロイトを思い出させて、影響を受けていたのかなと思いました。
不器用で、学者肌で、妻の死後は女たちに自分の惨めさをアピールするして同情してもらいたい気持ちでおかしくなりそうになってる。そんな人を克明に描けるのはやはりウルフの才なんだろうと思います。
 
…それにしても、さっきの朝食では、またもや少々かんしゃくを起こしてしまったなあ。さて、こうなるとーーそう、なんだかわからないうちに、とてつもない衝動に襲われ、だれでもいいから女に近づいてーーその才は手立てなど問わない、それくらい強烈な欲求だーー自分の求めるもの、つまりは同情を無理にでも引き出したくなるのだ。(195)
 
…それは老いの弱々しさと、疲弊と、哀しみが要求される役どころであり、そうしてこそ、女たちの降るような同情が得られよう。女たちに優しくなぐさめられ、同情されるようすを想像して、この夢のなかに、女たちの同情が極上の喜びを映し出すと、ラムジーはため息をついて、愁う声でそっと諳んじた。(214)
 
このように、周囲とうまく繋がれないやもめ男の心中を容赦なくありありと描きつつも、しかし、人の意識の中では全くそれは異なったものとして受け取られる。それがウルフの関心ですし、手法ですから、その評価も、作中の焦点を当てられる人ごとに全く異なったものになっている。
そ娘のキャムは結構父親のことを「鼻持ちならない」と思いながらも「美しい」と表現し、その不器用な接触の仕方に「応えてあげたい」と考えています。
 
…なにしろ、お父さんほど魅力的な人は他にいない。キャムにとっては父親の手までが美しく、その足も、声も、ことばも、あの癇性も、学問へのほとばしる情熱も、あたりはばかりなく「われわれは滅びぬ、おのおの独りにて」なんて言い出すところも、何もかもが美しいのだった。(218)
 
ラムジー氏は、公平にいっても、父親としても夫としても男としてもあんまり魅力的ではないんだけど、この書き方がすごく無条件的?で、ここにもウルフの私情が現れている…キャムに自分を投影しているような感じを受けました。ウルフの両親も文学的に造形が深い人だったようですし、また、彼女の家に幼少期様々な知識人がやってきたことを思うと、キャムが似たような環境の中に置かれて、彼らに非常に好感を持っていた、なんでも教えてくれるお爺さんたちといると落ち着いた、というようなことを考えるところがあるのもそうですね、
 出て来る男性がポールっていうイケメン好青年以外はだいたい学者肌で頭はいいんだけどちょっと嫌な感じの人ばっかりで、この偏りも彼女が囲まれていた男性たちの特色によるものなのでしょうか…。
 
全体的に、男女観は確かにちょっと古いところはあるのですが、それでも、
 
人はみな結婚して子どもを持たねばだめよ、などと、お尻に火がついたみたいに言ってまわるなんて、自分もそこになにか逃げ道を求めているのだろうか。(78)
 
みたいに、ちょっとぎくっとさせる文章が出て来るところが、好きですね。

ではでは、今回も最後までお読み頂いて有難う御座いました! 

 

(短くてすみません;無理していっぱい書こうとすると、重くなりすぎて書けなくなることに気づいて。アクセス履歴があったので、覗いてくれてる人がいるから、また短めでも書こうかなという気持ちになれました。有難うございます。読書録にもなるし、文章にして公開することは悪いことではないような気がします。ブログは自分にちょうどいい配分を見つけて続けていきたいです。)