にしのひがしの

小説家志望の24歳女が本の感想を書いてゆくブログ。

おんなのこきらい(2014)

 

 

 

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意外とよかったー
すごく性格が悪い女の子のはなしです。女の子のどろどろな感情の映画みたいなって気持ちになって見て見ました。
だいぶ苦手なタイプで最初はウッ…てなった。でもちゃんと痛い目見ていて、中盤からは共感できるところも出て来て楽しめました。
主人公のキリコは、自分の可愛さにすごく自信をもってて、男の人なんかすぐに落とせるし、人生それでいいって思ってる。マカロンやケーキといった可愛い食べ物を大量摂取して吐くっていう、いわゆる摂食障害もあって、病的に「可愛い自分」に囚われている様子がわかる。

キリコがこんな性格になったのは、可愛い可愛い言われてちやほやされちゃうからだと思う。街を歩けば即ナンパされてるみたいだし。「女の子なんてかわいくなきゃ誰も見てくれない」って発言して、同僚の女性に「話にならんわ」って言われてるけど、あんまり気にしない。女の子はかわいくなきゃ〜っていうのは、実際世の中がそう思っているというよりは、自分が自分を見くびっているから出る言葉だと思う。私の中身を気にする人なんかいないの、っていう。そう考えると、キリコの顔だけ見てちやほやして適当に付き合ったりしちゃう男の人たちが一番罪深い、ともいえる。
そんなキリコが仕事先で出会ったコウタに「そんな顔してて疲れませんか」とかいろいろと厳しいことを言われる。それからキリコが何回か押しかけて、だんだん仲良くなる。ここは、ちょっと、キリコが結局は女の武器を使ってコウタをなんだかんだ懐柔?籠絡?していく感じにも見えてもやっとしました。でもここでキリコはともかく、初めてそのままの自分を見せられる男の人と仲良くなれた。
話が面白くなるのはこのへんから。キリコはバーのマスターが好きなんだけどセフレ状態だった。そんな中新しく入ったバイトのサヤカに彼をとられそうになる。だけどその子もメンヘラで、いろんな男と寝ていた。清楚系のキリコとは違う、活発で親しみやすいタイプ。メンヘラビッチVSメンヘラビッチってなかなか新しくないですか?? よかった。このへんからだんだんキリコの素が見えてくる。失恋して髪を切ってからはすごくいい! ショートカット、ゆるふわロングより全然似合うよ。

印象に残ったセリフ

・「かわいいっていうか、かわいそう」
キリコが考案したアクセサリーに対してのコウタの言葉。アクセサリーに対してのようで、キリコ自身への意見にもなっている。可愛く見せることしか考えないなんて、かわいそう。

・「そのままの自分を見せてなくなるものなんて、最初からないんだよ」
これもコウタの言葉。さらっと言ってるんだけどいいセリフ。キリコは「可愛い自分」…「可愛い表情」「可愛い仕草」「可愛い言い方」で、自分を飾っている。でも「可愛い」を、たとえば「頑張ってる」とか「弱い」とか、なんでもいいけど、ちがう言葉に入れ替えると、少なからずみんなやってることになる気がする。「最初からない」って、そんなふうに諦められたらいいよね。

 

・「あなたが好きなの。あなたに好かれるなら、世界中の他の人に嫌われてもいいの」
キリコがバーのマスターに言ったセリフ。使われがちな言葉だけど、これって裏を返すと「あなたに嫌われたらもう他に何も無い」っていう、あやうい意味だなあと。キリコの言い方を聞いて気づいた。

 

・「好きでもない女の子に可愛いなんて言わないでよ」

ニュアンスこんな感じ。これはすごく普通にそうだなって思った。それで、ずっとキリコのことを可愛いさばっかり追って…って思ってたのに、どうせなら可愛いって言われたいし、可愛いって言われたら期待するなって思った。だとしたら別に、キリコのやっていたことは、発展系であって、ある意味では筋が通っている。

 

キリコ役の女優さんが可愛くないみたいなレビューが結構ありました。確かに設定みたいな絶世の可愛いではないけど、泣きの演技がすごく上手くて。最後まで見て、この女優さんでよかったと思いました。「清楚系メンヘラ」感も絶妙だった。服の振り幅が面白かった。
個人的には、ああいうオチでよかった。

キリコは「私にはカワイイしかない」「何にも無い」って思う。そういうときに「キリコちゃんには何があるの?」って聞かれる。そういう、唯一のもの。それを無くすっていうのは、怖い。仕事しかない、お金しかない、なんでもいい。それを削ぎ落としたら何もない。キリコは映画の最後に、ナンパ男に「君カワイイね」って言われて「はい!」って答える。答えてるけど、それ以外何もないってことに向き合ってから、回収したそれっていうのは…なんていうんだろう、縋るもの、執われるものから、基盤みたいなものになってるのかもしれない。そういう体験をしたキリコっていうのは、単に恋が実より成長したと思う。


音楽もポップポップで、歌詞にちょっととげがあって、映画と合ってました。ふぇのたすさん。。
素のキリコは、変にウジウジしたり群れたりしないのが見ていて気持ちよかった。本当のところは結構失礼で、飾らない、言うことは言う性格なんだと思う。

「小説とは何か」を具体的に考えるための25の質問

 

www.kikikomi.info

こちらの記事で公開されていた「小説とは何か」を具体的に考える25の質問、に自分なりに答えてみました。

内容は以下のとおりです。

 

1 「小説とは何か?」を考えることで、あたなの身に何が起きると思うか。
2 文字だけで構成されている世界が持つ意味ってなんだろう?
3 フィクションと嘘の違いってなんだろう?
4 他の表現法と比べて、小説の優れた点はどこだろう?
5 他の表現法と比べて、小説の劣った点はどこだろう?
6 面白い小説とはどんなものか。
7 小説は読者のどんな感覚をもっとも強く刺激するだろうか。
8 小説は世界に必要だろうか?
9 小説はどんな人を救うだろうか?
10 小説が世界に必要ではなく、人を救う力もないとして、それでも小説を書く理由は?
11 小説と音楽の接点は?また、小説と絵の接点は?(スポーツ、お笑い、恋愛、写真なんでも可)
12 50年後、小説はどうなっていると思う?
13 小説を書く(読む)最高のシチュエーションはどんなものだろうか。詳細に。
14 小説(文学)が禁止されている世界、あなたはどう感じる?どうする?翻って、今現在世の中で禁止されているもののことを考えてもその態度は変わらないだろうか。
15 小説が持つ、ストーリー以外の嘘にはどんなものがあるだろう。
16 小説内の挿絵の効果と弊害について
17 詳細に描写されたAという人物のイメージが読者により異なる不思議について
18 眠るときに見る夢は、小説のアイディアになるだろうか。
19 小説と現実の共通点は?
20 小説を書く(読む)力と、現実の経験値は比例するだろうか。
21 小説家の役割とはなんだろうか。
22 小説が満たしていなければならない条件はあるだろうか。
23 20か国語扱えるとしたら、どの言語で書く?(読む?)それはどうして?
24 小説を書く(読む)上での、あたなのガソリンはなんですか?
25 これらの質問に答えるうちに、自分の中に見つけた矛盾はある?

 

解答

1 「小説とは何か?」を考えることで、あなたの身に何が起きると思うか。


うーん。漠然としかいえないけど、小説を書いたり、読んだりするうえでの、何らかの評価基準が新たに加わるのではないか。というか、それを期待して答えてみる。自分の中での「いい小説」の輪郭線がハッキリするというか。

 

2 文字だけで構成されている世界が持つ意味ってなんだろう?


意味…じゃあ、絵だけで構成されている世界、音だけで構成されている世界、もしくは、映像と音と匂いと味と触覚で構成されている世界に意味はあるのか? 全然ないか、もしくはどれも同じ意味をもつのじゃないだろうか。

3 フィクションと嘘の違いってなんだろう?


フィクション→人が中に棲めるもの。心を動かされるものは多分みんなフィクション。創作物。
嘘→表面的、その場しのぎ、会話の上だけ。捏造。
上の定義を超えるような嘘はフィクションだといえる。

 

4 他の表現法と比べて、小説の優れた点はどこだろう?


優れた点。うーん。私にとっては、表現しやすいということ。安価。コストが少ない。映画を撮ったり絵を描いたりするときには必要な物理的なモノが必要ない。時間帯も制限がない。

5 他の表現法と比べて、小説の劣った点はどこだろう?


劣る。そもそも比べるものではないような気もしつつ、考えてみる。
完全に自給自足ということ。あと、パクリとかがわかりづらい。
ぱっと見て評価したり感動したりできないということ。それゆえ、基本的に限られた人向けの閉じたメディアともいえるかも。

6 面白い小説とはどんなものか。


人それぞれではある。私にとっては、奥深いもの、変わった角度から世界が読めるもの。
優れた小説と面白い小説はちょっと違うかもしれない。

 

7 小説は読者のどんな感覚をもっとも強く刺激するだろうか。


どんな感覚。五感ということ? 違うな。もっと奥深い、哲学のようなものを刺激すると思う。もっとも強くというなら。

8 小説は世界に必要だろうか?


うん。世界はわからないけど、まあ、私には必要かな。

 

9 小説はどんな人を救うだろうか?


弱い人。悲しい人。暇な人。頭がいい人?
(この設問は「小説はどんな人に読まれるだろうか」ではなく、「どんな人を救うだろうか」である。だから、「小説によって救われる人はどんな人か」というふうに考えた)

 

10 小説が世界に必要ではなく、人を救う力もないとして、それでも小説を書く理由は?


うーん。。自己満足。でも、自己満足としたって自分を救うために書いてるのかもね。本当に小説を書いても自分も含めて誰も救われないなら、小説は書かかれないんじゃないかな。書いたとしても、賞がつくられたり活計がたつほど社会的に評価はされない。

 

11 小説と音楽の接点は?また、小説と絵の接点は?(スポーツ、お笑い、恋愛、写真なんでも可)


音楽→読み取り方?のようなもの。心地よい和音・心地よい文章の組み合わせとか。
絵→ストーリー性という点では接点があるかも。音楽にもストーリー性はあるか。ストーリー性でスポーツも恋愛もお笑いも写真も接点としてくくれる気がしてきた。

 

12 50年後、小説はどうなっていると思う?


普通にある。ベストセラーとか文学賞がどうなってるかは知らないけど。でも本質的な小説は絶対に生まれ続けている。

 

13 小説を書く(読む)最高のシチュエーションはどんなものだろうか。詳細に。


書く→静かな図書館や室内で、逆光が反射しない窓際で。小雨とか薄曇りでもいいな。お腹はちょっと空いてて、手とキーボードがくっついて離れないみたいに文章が出てくる。自分と小説世界がリンクして、救済が染み渡る。飲み物はあってもなくてもいい。誰にも見られて居ないし、誰もお喋りをしていない。他の人は静かにうたたねしてるのがいいかな。
読む→書斎で自分にちょうどの椅子と机で。ちょっと狭いくらいがいい。
それか、空いてる電車や新幹線に乗っている。最近気付いたけど結構これも集中できる。ちらっと目をあげると窓の外とか、ほかの人が見えるのがいいね。

 

14 小説(文学)が禁止されている世界、あなたはどう感じる?どうする?翻って、今現在世の中で禁止されているもののことを考えてもその態度は変わらないだろうか。


うーん。誰も楽になれないんじゃないか。それは言い過ぎか。でも、結構な割合の人が楽になれない、のでは。でも禁止されてなくても全然本は読まない、ネットとテレビしか見ないって人ざらにいるしな。
本を読んでた人は、禁止されても今まで集めた本を隠し持ってこっそり読むんじゃないかな。私もそうする。麻薬みたいに規制されたり逮捕されたりするのかな…無理だなあ。

15 小説が持つ、ストーリー以外の嘘にはどんなものがあるだろう。


んん。嘘というより誇張? 誇張は嘘? 設定は嘘? 嘘というよりセットだよな。嘘と呼べるものはないんじゃない? 読んだ人が嘘と思うのか、書いた人が嘘と思うのか。よくわからない。

16 小説内の挿絵の効果と弊害について


あんま興味ない。でも萌え絵の絵本はあんまり子供に読ませたくない。
作品のイメージにあって、作者が認めたんなら基本的には口出すことではないのでは。

17 詳細に描写されたAという人物のイメージが読者により異なる不思議について


不思議なのか?読者ごとの感性じゃないか。
例えば「世話焼き」ってだけでも「頼れる」って人と、「鬱陶しい」と思う人とはいるだろうし。

 

18 眠るときに見る夢は、小説のアイディアになるだろうか。


なる。

 

19 小説と現実の共通点は?


一筋縄ではいかないところ。

 

20 小説を書く(読む)力と、現実の経験値は比例するだろうか。


現実のなんの経験値か。旅行に行った経験値?異性と付き合った経験値?仕事の経験値?
リンクする場合もまああるんじゃないかな。たとえば旅行記を旅行によく行く人が読めば、予備知識はついてるから色々と汲めることもあると思う。
小説に限った場合は、、そもそも読む力と読み取る力って違うのかな。なんかわかんなくなってきた。

 

21 小説家の役割とはなんだろうか。


役割。。。社会的責任?とか?と考えてみたけどなんか偉そう。小説を書くこと。以外にないのでは

 

22 小説が満たしていなければならない条件はあるだろうか。

満たしていなければならない。。誰か読み手のために、席をあけておくというか、読み手を包含したものを書くということじゃないかな。その読み手というのは限られたごく一人かもしれないけど、それでもそれはある程度小説じゃないか。あとは、読むに耐える文章と展開にするということ。最近のラノベとか見てると、自分の狙った層に面白い・読むに耐えるということなのかもしれない。

 

23 20か国語扱えるとしたら、どの言語で書く?(読む?)それはどうして?


ネイティブじゃないか。英語勉強してるけど、やっぱり「ネイティブの言葉から」しか究極できないなって思う。でもナボコフとか、多和田葉子さんとか、いろいろ特例はいるけどね。そもそも二か国語もできない人間に答えられないなあ。

 

24 小説を書く(読む)上での、あなたのガソリンはなんですか?


つらいこと、とか。自分浮いてるなあ現実でやってけないなあって気持ち。あとは…認めたくないけど、自己顕示欲とか承認欲求もあるんじゃないかな。

 

25 これらの質問に答えるうちに、自分の中に見つけた矛盾はある?


読み返せばあるかも。今のところはないような?

 

感想

自分は負の力で小説を書いている感じがしますね。 わりと思いついたままババッと書いたのですが、答えやすい質問が多くて、楽しかったです。懐かしの一問一答の文学バージョンみたいな感じで。自分だと結構根も葉も無い解答になってしまった部分があるのですが、他の方だとまた全然違う答えになりそうで、興味深いです。書き手さんはぜひやってみてください。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

  

読んでる本と最近してること

10/16現在の読んでる本と感想メモなど。

 

Kafka on the shore by Haruki Murakami

原作がすごく好きだったので、せっかくならボキャビルがてら英語版を読んでみようと思いついて。チャプターが短いので1日1チャプターずつ読むのにちょうどいい感じです。 現在Chapter3まで読んだ。 始まり方がとてもよくて 英語で読んでも日本語で読んでも変わらない。シンプルな文章が多いので翻訳映えするのかも。

 

子供の領分 吉行淳之介

 

本は読めないものだから心配するな 菅啓二郎

ヴィレヴァンで見つけて。朗読とかでゆっくり読んだりしてる。初めて見たけど、書店ランキング1位だたり、有名な本みたい。エイミー・ベンダーの翻訳で知りました。頭がいい人の頭がいいエッセイという感じで、こういうものを書く人でも本は読めないもの、と思ってると思うとちょっとほっとする。本って読みたいと思ってすぐ読み終われるものじゃないし、理解しようと思ってすぐ理解できるもんでもない。読書って全然一筋縄じゃいかない。

 

愛の渇き 三島由紀夫

 

図書館からミランダ・ジュライ「一番ここに似合う人」とスティーブン・ミルハウザー「ナイフ投げ師」もかりたんだけど読みきれそうにない。またいつかかな。最近和文を読みたい感じです。多和田葉子犬婿入り』がよくて、コアな日本作家をもっと読みたくなりました。

 

あと、最近は、日課で英検準一級の勉強をしています。嫌にならないように1日一時間半くらいで。でも全然進まないなあって感じる。ずっとそうなんだけど、単語とか、その成り立ちとか、意味の一つ一つまで調べたくなっちゃって、電子辞書で英和辞書もOEDもひいて、語源調べて、ノート書いて、暗記カードつくって、ってなってるとあたらしい単語4、5個で終わったりする。そんなことやってたから、学生時代毎日の単語テスト全然間に合わなくていっつも点が悪かった。今はテストがないから、心いくまでゆっくりじっくり調べられていいです。全然進まないけど、血肉になってくってこういうことなんじゃないかと信じたい。

 

今日もお疲れ様でした。 

 

 

 

 

 

kill your darling(2013) 感想

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ビートニクスを代表する作家であるアレン・ギンズバーグダニエル・ラドクリフ)と、友人ルシアン・カー(デイン・デハーン)の大学時代を描いた、実話にもとづく映画です。他にもケルアック、バロウズなどが出てきます。

ずっと見たいと思ったけど昨夜Netflixで見つけて観ました。
ちょうど「パリ・レビュー・インタビュー」のケルアックとボウルズを読んですぐに観れました。いいタイミングでした。

 

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この本、私はカポーティ目当てで買ったのですが、ケルアックとジェームズ・ボールドウィンのインタビューでルシアン・カーの名前が出てきています。収録されているインタビューもどれもとても素晴らしいので、興味を持ってる方にはとてもオススメです。

 

…でも、『ジョヴァンニの部屋』の芽はアメリカにあるのよ。デイヴィッドはぼくが考えた人物だけど、もとになったのはルシアン・カーという青年が関係した特異な事件で、かれがある人間を殺したの。かれは、ぼくの知り合いたちのあいだでは有名だったのよーーぼくは個人的には知らなかったけどね。

(ジェームズ・ボールドウィン、257)

 


『キル・ユア・ダーリン』予告編

 

 

感想

よかった~~!!
キャストと音楽と映像100点です。ビートに合わせてタイプライターうちながら麻薬でキメキメになってるシーンがまさにビートニクス!ってかんじで興奮しました。
話はちょっと駆け足しと思うとこもあったけど(2時間でもよかった)、「大学入りたての青年たちの青春映画」感があって、重い話なのに爽やかなテイストに仕上がってた。ビートニクスの詩人たちって破滅的な生き方をしてるって先入観があったんだけど、イメージが変わりました。

ルシアンが魔性の小悪魔すぎる。。バナナフィッシュのアッシュを三次元にしたみたいな色気と美。この子は大学何しに来てたんだろう。口ではすごくカッコいいこと(文学を革新する)言ってアレンやケルアックを焚きつけながら、自分は大学の宿題もできないし、裁判の口述すら人に頼むという。。その生き方を助長していたのは間違いなくデイヴィッドだったと思うけど。でも、映画に触れられているとおり、デイビッドなしでは生きていけないもろい部分、弱い部分がルシアンにはあったのだと思う。せっかくデイヴィッドと切れたのに、変わろうとせず、デイヴィッドの代わり(レポートの代筆)をアレンにまんま求める辺りけっこう未成熟な内面だったんだろうな。書くアレンもアレンだけど。でも自分でやれよ〜〜!っていうとプイッてそっぽ向いてどっか行っちゃいそうなルシアン。惚れた弱みですね。

ルシアンにとってデイヴィッドがほぼ父代わり、愛憎渦巻きながらも一蓮托生だったのだと思うと、ルシアンのデイヴィッド殺害には父殺しというテーマも感じとれる。

アレンはラドクリフ補正もあってか、苦悩続きの実直ないい奴ってかんじでした。授業でこの人の詩を読んだときはぶっとびすぎてて正直よくわからなかった(孤独のイメージはすごく強く感じたけど)んですけど、だいぶイメージが変わりました。ボートの中で読んだ詩、とてもよかった。まっすぐな愛と、純粋さがある。真っ向から愛する絶望に向かう魂を持ってる。大きすぎる黒い目と、いつもちょっと居心地悪そうにしてる感じがとても魅力的だった。くるくる変わる表情も。

そしてバロウズが一癖ある傍観者で大変好きです。この人いいキャラすぎるでしょう。パリス・レビューのインタビューで「自分には自我というものがろくにない」って言ってるんだけど、かなりそんな感じがする。でも深い部分ではすごく友達思いなんだろうなあって思う。皮肉屋で乾いて見えるけどマグマみたいな感情が奥底に眠っていそう。

ケルアックはスポーツマンでナイスガイです。この人が現れたとき、アレンはルシアンがケルアックに取られちゃうんじゃ…ってちょっとヒヤヒヤしてるんだけど、わかる。タイプとしてはちょっとヘミングウェイとだぶるかも? 雰囲気が「破天荒でダメ男だけどまあモテちゃうよね」ていう感じがあってよかった。

話は全体的に男同士の痴情のもつれ、という感じがあるのですがw、そういうの生理的に無理って人以外には観てほしいなあと思います。ビートニクスの詩人たちを好きになれる一本です。

 

蛇足

なんか、もう、映画の半分はルシアンを演じるデイン・デハーンの美と色気で構成されているような気がしてならないのですが。ほんとに美しくて気位が高くて大の男を翻弄しちゃう、儚さと魅力がある感じで。素晴らしいです。ちょっとカポーティと似ててときめきました。似てないですか?

 

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デイン・デハーン

 

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(カポーティ

2018年7月〜8月に読んだ本

 7月〜8月に読んだ本で、記事を書いていなかったものをまとめました。

(案の定)長くなりましたが…。一冊あたりは短いので読んでみてください。

 

優しい鬼 レアード・ハント

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奴隷制があった時代の、中西部(ケンタッキー州シャーロット郡…『パラダイス』)で起きた悲劇。

悲惨な物語は、生々しく開いた傷口を連想させる。ノーベル文学賞作家かつ、黒人女性であるトニ・モリスンの『ビラブド』『青い目がほしい』の痛々しさを思い出させるところがあった。彼女も、黒人たちの苦痛、恨み、憎悪、破壊され尽くした心と体を、克明に、鋭利に描いている。形式自体も少し似ている気がした。寄せてるのか定型があるのか。太古の語り部のようなものを感じさせる。

主な語り手である白人女性・スーは14歳で従兄弟である白人男性に嫁ぐ。スーは、次第に彼らの娘であり奴隷である黒人姉妹に暴行を加えるようになる。だがある日、夫は死に、スーは彼女たちから、粛々と優しく、復讐を始められることになる。根幹に奴隷制の問題があるのだが、スーの視点ではあまり人種に触れられていないので混乱した。巻末の訳者後書きに「自分が奴隷所有者だとわからなくなった白人女性」のエピソードが元とあり、それが意図的に暈されていたことが判る。「鬼」(原作は"One")ってそういう……「優しい鬼」って、あー…って思った。白人女性の罪の塗りつぶしであり、狂気であり、そういうものが「鬼」という表現で為されているのかな。Oneよりも日本語独特の「鬼」表現はいいと思う。「ひと」でもなく「もの」でもなく、「何か」。英語で「鬼」だとまた宗教的な意味合いを帯びてきて、違うものになる気がするから、邦訳ならでは、日本人ならではのニュアンスだと思う。

そういう仕掛けも含め、2度3度読み返さないとなかなか整理できない書き方がされている。改めて見返すと、この本の表紙からしてそうだ、暈されている。それはスーの白濁した意識であり、黒人がもう二度と想起したくない過去であり、消えかける歴史でもある。作中で、黒人奴隷アルフフィブラスが語る『タマネギの話』の重みが良かった。良いというだけでは、違うような気がするのだが、なんと言えばいいのかわからない。凄みがある。口語伝承と黒人、というのはひどく強く繋がっているものだとわかる。それのみが綱のように黒人と黒人の歴史、被虐、血を結んでいる。

アルコフィブラスがいうには、ライナス・ランカスターの道具小屋にあるみたいな鉄を足首につけられてこの国に来たあるコフィブラスのおばあさんはひとの足にクギをつきとおすような話ができたそうだ。(74)

 (読書期間:7/18~20)

 

 

現代世界の十大小説 池澤夏樹

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本好きな方は 池澤夏樹さん編集の『現代世界文学全集』『現代日本文学全集』をご存知だと思う。作家を目指す上で古典や名作を改めて読もうと、自分も何冊か挑戦している。その中で手引きになるかと思い読んだ。一作一作の選考基準、評価はさておき、現代世界文学の潮流、傾向を知る上でよい本と思う。以前記事に書いた『書いて、訳して、語り合う』を併せて読むとなお有意義ではないだろうか。

hlowr4.hatenablog.com

 

全体的に今は民話、口語、素朴な物語の状態に立ち返っている感じがあるのだろうか。複雑に凝った物語ではなく、もっと粗野で原始的、しかし根源的である、物語の始まり、発生現場のようなものに関心が高まっているのかも。

アゴタ・クリストフの『悪童物語』の章では、

固有名や時を特定しない民話的な枠組みの中で、救いのない物語を毅然と容赦無く書くことを通じて、象徴性を帯びた寓話に消化させる。(69)

と指摘される。
 また、先ほどの『優しい鬼』とも繋がるところなのだが、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の章では、ガルシア・マルケスが、この作品の語り口を「祖母の話し方」に決めた際の話がひかれている。

…ところがあるとき、「祖母が話を語って聞かせてくれたように語ればいい」とひらめいた。つまり、「身の毛もよだつほど恐ろしいことを、今そこで見て来たように、しれっと話す」のです(「グアバの香り」)。そして完成した「百年の孤独」には、たしかに、文章なのに『民話の語り』がある。(55)

他にも、『悶え神』の話などは非常に惹かれるものがあった。文字を持たなかった人たちがそれでもなお残した強烈な物語、その動機は心に迫る。それは石牟礼道子の『苦海浄土』にまで繋がるものだ。

 

 (読書期間:7/19〜7/20)

 

 

マダム・エドワルダ/眼球譚 バタイユ

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この一冊を読んだんだけど正直『マダム・エドワルダ』はよくわからなかった…。収録順は逆のほうがいいと思う。『眼球譚』ならまだ普通の小説っぽくて分かったから。なんか結構考え方自体は理解できるな、と思ってたら遠い昔に澁澤龍彦を読んだことがあったからだったかもしれない。眼球と卵というイメージの重なりは圧巻かつ白眉。「銀河、大空、太陽、すべてを穢し尽くすこと」でしか興奮を得られないこと、つまりは発狂に至る、世界から明らかに背を背けてしか欲情が得られぬ、そして、その欲情なしでは生きていけないこと。それは世界への不信や鬱憤を背景に、ひどく自己破壊的で、虚無的で、自殺的、自爆的な癖(へき)だといえる。それはある種の悲劇だと思うし、同情もした。最後に収録された討論はとても興味深かったし、羞じ知らずと罵られることも厭わず、堂々とこういう口弁ができたバタイユはやっぱり常人じゃない。ゼロから一人で文学でありエロティシズムである、立派なひとつの哲学である、と昇華出来たのは、やはり爆発的な衝動と文才によるものだろう。

シモーヌはいろんな意味で業が深すぎて、「ええ…」ってなったけど、死に様まで一本貫いててむしろ清々しくさえある。

バタイユに従えば、人間が動物と異なる点は、性と死について不幸な自覚を抱いていることである。快楽(生)も苦痛(死)も等しく禁制の烙印を印されている。 それらは、宗教に類する、神聖な領域を形作る」。苦痛と死に直面して覚える不安感を、快楽と性を前にしても感じるのだ。(262)

こういうふうに、性(や死)の快楽自体を抜きに形骸化した「かたち」だけを、ボソボソはずかしそうに語る人間の姿はバタイユには「去勢された」ものと映り、ごまかしと軽蔑の対象なのだろう。

 (読書期間:7/21〜22)

 

 

 

読書の方法―なにをどう読むか 吉本隆明

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「読書の方法」はちょうど知りたいところだった。著者については吉本ばななのお父さんということだけは知っていた。読んでみると、軽妙な感じでいい。少女漫画から資本論まで読み漁る、非常に見識の深い方だったとわかった。『何を、どう読むか』という表題だったが、それについては最初の何十ページかで明快に書かれている。つまりは、子供のときのように、一心に読みたいものを、放埓に読む、ということ。それが理想の読書の姿であること。だが、すでに自分はなかなかできないこと。これまでの自分を振り返って、敗戦を経験してがらりと見識が変わった、というくだりからは、古き日本の知識人といった趣がある。女性作家についての話も興味深い(中澤新一、荒俣宏との対談)。たとえば、女性漫画家は煌めくようなものを短期間で書いて、さっと消える、というところなど。

ニーチェの影響を深く受けていたらしい折口信夫を読んでみたくなった。
 
 (読書期間:わすれた)

 

  

南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14)

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南方熊楠折口信夫が読みたくて借りた。 四者四様といったかんじでよかった。 読んで見て、特に南方熊楠折口信夫は文章になれるのに時間がかかった。。音読したり書き写したりでなんとか消化できた。
熊楠が神社合祀の意見を出してからたった100年しか経ってないと言う事実に驚愕する。心の拠り所を失った田舎の人々の嘆く様が手に取るようだった。どこまでも縦横無尽な知識に溺れそうになる。文章は濃密で、文机に向かい、全身で憤りながら書いている姿が目に浮かぶ。

死者の書』は本当に素晴らしい。折口信夫の文は絢爛でドロドロ渦巻いてて執念を感じる。平安時代の郎女(お姫様)の生活は本当に、暇だったんだなあと思う。ずっと部屋にこもりきりで、人間としてどうなのかと思う。一方でそれは甘美で…ある意味蕩けるような生活だとも感じる。

屋敷から一歩はおろか、女部屋を膝行り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。…家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥ししている人である。世間のことは、何一つ聞き知りも、見知りもせぬように、おおしたてられてきた。(219)

また、書き出しの「彼の人は〜」の凄み。怪物が闇のなかに、長年の放逐から起き上がり、形なくどろどろと泥のように蠢く感じがよくわかる。半端じゃない。

他収録、柳田国男の文は名前の通り柳のように力まず、さらっと風通しが良い。『妣が国・常世へ』は『木島日記』(大塚英志)で知っていたので、読めてよかった。

初めて読んだ宮本常一の『土佐源氏』は、終盤でうるっと来た。人の心も、男と女も全然変わらないんだな。

 

 (読書期間:7/23〜8/1) 

 

 

小説禁止令に賛同する いとうせいこう

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すばる誌上にて読んだ。面白い。小説の不確実さ、不健全さを指摘し、禁止されて然るべきという体で綴られる、元小説家である「私」の文芸論。執筆者は第三次世界大戦後(?)、分裂した日本で、体制の監視下、収容牢の機関紙への連載というかたちでこの論を書いていく。検閲のために伏せ字にされたと思われる箇所(どうやら東・京、日・本、その他諸々が×になる様子)や、毎回の記事の末尾につく「処罰」報告など、全体にきなくさい臭いがつきまとっている。

「私」の小説禁止令への賛同、つまり小説は危険で不健全で規制されるべきものですよという証明が、逆に小説の面白さ、奥深さを徐々に浮き彫りにしていく。彼がひく作家や小説家は実在する大作家であったり、今も文壇に登場する人物だったりする。そして、その人たちも、彼と同じように収監され監視下に置かれているらしい。どこからが創作でどこからが実在するなのかわからなくなる、そういう騙りが多く使われていて、錯綜する。彼の主張も、彼自身の知識や来歴とは食い違うものである。そもそも、こんなに本が好きで、本に詳しい人間が、小説禁止令に賛同している、わけがないのだ。そうやって様々な箇所に齟齬が産まれてゆく。淡々とした文章の涯てのラストは凄まじい。根本的な読む愉しさに満ちた作品だと思う。

いとうせいこう、ビットワールドのおじさんって思ってたけど実は凄い人なんだな。ひいてくる人物や作品に太刀打ちできなかった。。

(読書期間:8/4〜6) 

 

それから 夏目漱石

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三四郎」の続編的な内容であるといわれる。「三四郎」は何年か前に読んだことがあったので、これを読んでみた。おもしろい。作中に「三四年前」として、三四郎っぽいことが書いてあって、これはそういう意味なのかなと思ったりした。

…その時分は親爺が金(きん)に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の鍍金(めっき)が辛かった。早く金になりたいと焦ってみた。ところが、他のものの地金へ、自分の眼光がじかに打つかる様になって以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思われ出した。(83)

前よりも世間を知って、少し賢くなって、それがゆえに、世界をしなに見るようになった青年の話である。

解説にある「悲劇は狂気に至るまでの自己認識の劇」ということばが深い。 三千代さんが藍色の印象の女性。静かで繊細な女性で、感じやすい質の代助が彼女を好きになるのもわかる気がした。漱石の小説の女性は、レイかアスカのような感じの人が多いと思う。

行き着くところが情熱的で、切烈で、わりと序盤は飄々としていた代助がこうなるのが意外だった。

漱石って固そうなイメージがあるんだけれど、実はすごくお茶目な人だと思う。ちょっとしらばっくれたような、知らんぷりしてて空とぼけてるような、そういう日本語の使い方が気持ちよくて笑ってしまう。小気味がいい。なのに時々豹変して、翻るように美しい言葉を使うからどきっとする。

百合の遣い方、三角関係などがわりとストレートだと読んでわかった。漱石の小説世界をわかりやすく把める作品なんじゃないだろうか。労働とお金について懊悩する代助の姿は全然古く感じない。金に遣われる人間であってはならないが、金がなければ生活は成り立たぬ。代助はこの悩みに一生涯苦しめられていくのだろう。それでも、三千代を取った選択は好かった。一途で心惹かれた。

 (読書期間:8/7〜8)

 

それから

それから

 

 

読書について 小林秀雄
 

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小林秀雄は前に硬めの、美学についての本を読んだ。だがこれにはもっとやわらかく、自然なことばで、同じことが書いてあってわかりやすかった。入門にいいかもしれない。『カヤの平』が本当に面白くて、落語のようで普通に笑える。これは柳田邦男の推薦?で教科書にも載ったらしい。小林秀雄自身も『カヤの平』を気に入っていたらしく、選ばれて嬉しいということを書いている。一読の価値有りだと思う。

(読書期間:8/14)

 

エコー・メイカー    リチャード・パワーズ

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 最近処女作『舞踏会に向かう三人の農夫』が文庫化して話題のパワーズ。これはその彼の全米図書賞受賞作品。交通事故に遭い「カプグラ症候群」という脳障害を患った弟と、その姉カリンの奮闘の話。そうはいっても単なる脳障害の闘病記に終わるはずはなく、ネブラスカ州に毎年降り立つ大量の鶴や9.11以降のアメリカ、自我というものへの根源的な問いかけなど、本書のなかでは種々の要素が入り乱れている。「カプグラ症候群」とは極めて珍しい症例で、それまで患者が親しかったものがすべて偽物に見えるというもの。オリヴァー・サックスを彷彿とさせる、神経科医にして患者の症例を本にして発表してきた小説家(?)・ウェーバーの人物像が興味深い。精神科医に直接受診した人の大抵は抱くであろう不信や落胆も精密に描かれている。利己的な部分も身勝手な部分も。自らが長年身につけてきた欺瞞を剥ぎ取られて、ウェーバーが変質していく様は、何というか憐れでもあるし、原始に戻っていく人間を見る気持ちにもさせられる。

彼の自我、「かつて自分がそういう人間であったところのもの」はどんどん瓦解し、細分化し、彼は医師としても男としてもほとんど生まれ更(か)わったようになる。この「細分化し、還元し、(交わる)」という動きは作中の様々な場所で使われる。

心臓が一拍打つ間にその体はウェーバー本人にとって異質なものになる。そこに住んでいる幽霊たちはバーバラの目には見えない。バーバラはこの身体でしかウェーバーを見たことがないのだ。

やがて身体はさらに異質なものとなる。バーバラからどう見られようと構わない。掛け値無しに本当の自分以外のものに見られたいとは思わない。虚ろでみっともない、権威をはぎとられたもの。誰もと同じで境界線がない。(597)

私個人としては、この「バーバラ」が超人的な存在すぎてあまり共感を抱けなかった。元々カリンの視点から始まった物語なのだが…カリンの清算もあまり済んでいないような感じがある。私が汲み取れなかっただけかもしれないが。ただ伝えたいもののスケールの大きさと構想は評価できると思う。巨きなもの。それがミクロに繋がっていく。それは人と人が結びつこうとする動きとなんら変わらない。私たちは分断され孤絶しているが、連帯し繋がりあうことだけが、成り立ちとして志向されている。たぶん。

(読書期間:8/1〜8/11)

 

お疲れ様でした。一冊でも気になる本を見つけていただけたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

『すばる』2017年11月号感想走り書き(第41回すばる文学賞受賞作品+佳作感想)

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読みました。うーん。。どっちも微妙でした。賞ごとの傾向はあるんでしょうが、完成度においても文章のレベルにおいても『蛇沼』(新潮新人賞)『青が破れる』(文芸賞)のほうがよかったと思います。 

(それぞれの感想ページはこちら↓)

 

 
山岡ミヤ『交点』第41回すばる文学賞受賞

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内容は、つらい。ひたすらつらい。ずっと気になるのは文章の違和感。語り手の女性のキャラの印象と地の文がマッチしていない。そこに詩人であるという作者の顔が透けている。「『ぺちっと・ぴえ・あぷれ』と英語で書かれた袋の〜」というところは英語じゃなくてアルファベットのとすべきだろうと思ったし、他にもいろいろとはみ出しているところがある。「ペール・ブルー」という言い方にも違和感がある。この子はペール・ブルーなんて言葉がすらっと出てきそうではない。東直子の小説の処女作を読んだときもそうだったが、詩人の方が小説を書くと一人称の視点にわりと粗があって甘い。

あと季節が冬というのに最後まで馴染めなかった。小説世界とあってないという気がする。夏のほうが良い気がした。そっちの方が自分の血液の脈動も、土の中の冷たさも、冷蔵庫で働くというカムオのエピソードも、体感的に映えるだろう。臭いについての描写が多いので、それも夏の方が自然な効果があったと思う。

好きな男と結婚するためだけに子供をつくった母親とその娘。「受け入れてしまう」ということの底のなさ、業、理不尽さ、恐ろしさ、宿命、というのがひしひしと身に迫る。母親の語り口が生々しすぎて強烈で、彼女だけが邪悪な力にもとづいて小説の中で活きている感じがする。彼女は家庭だけでなくこの小説を担い、支配している。その恐ろしい力はありありと描かれている。

このヒロインとだいぶ似ている女の子を知っているので、読んでいて本当につらかった。田舎の閉塞感と毒母のダブルパンチはきつい。終わりもない。親が死ぬまで。それまでこの子は、薄ぼんやりした闇にぽつんと蛍より弱い光を浮かべて居て、ずっと独身かあんまり心が通い合わない男性と一緒になるかするんだろう。。。

内容にとかく救いがなくて、救いがないこと自体がテーマというか、作品世界が暗示していることで、だから、読んだ!いい小説だね!とは私には言えない。この絶望的な世界を小説で提示するにはまだ文章が未熟な感じがある。ちがうテーマでもうちょっと文章を小説になじませて書いてみてほしい。

 

兎束まいこ『遊ぶ幽霊』(佳作)

うーん。。いや漱石好きなんだろうな…って思った。あとは長野まゆみとか。でも話に起伏がないし、内容は浅くてだいぶだらだらしていると思った。弟が女性的に描かれすぎていて、これを一般文芸で出すならせめて妹の設定にしてほしかった。ただ作者はそう言うの好きな人なんだと思う。読んでいて百年とか吾輩は猫であるとか明け透けすぎじゃないか。婀娜っぽいとか、果敢ないとか使いたいだけなんじゃないの? って気がしてきてしまう。PixivにこれよりうまいニアBL耽美純文学風の小説を書く人はたくさんいることを知ってしまっているので、これが佳作かあ、ってなっちゃった。

出だしは良かったので期待した。あと蟹男のくだりはちょっと面白かった。ここから面白くなるかなあ、でもちょっと遅いな、って思った。獣男とか、埃で時間の歪みを描くとかも、ほうほうと思ったけど、『百年泥』の奇想には質量ともに遠く及ばない。どっちかといえばこの作品は純文というよりはラノベ寄りのものなのかもしれない。ビブリア古書堂の事件簿とか。だとすると私の好みとは路線が違うなあ、でも、この人の本を読むなら、長野まゆみを読むよなあ。これから次第かな、という感じでした。

大江健三郎『個人的な体験』『狩猟で暮した我らの先祖』『人生の親戚』『鳥』

 

最近わりと大江健三郎を読んでいました。個人的な感想メモを書き留めておきたいと思います。

個人的な体験(第11回新潮文学賞受賞作)

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大江健三郎の作品は彼独自の哲学や思索のシュミレーションというか、あるひとつの実験的な世界という側面が強い。こう、ある種研究室的というか、ラボというか、一つの舞台セットの上で、意に反した要素のものを埃ひとつも残さず排除し、構成要素を組み立てていく、ちょっと不健康的な感じの小説空間だと、個人的には感じる。その中で『個人的な体験』は小説として、読んだなかで一番面白かった。火見子の人物造形が好きだ。他にもデルチェフさん、オカマになっていた菊比古、堕胎医もキャラが立っていて、生き生きとしている。生身の人間のような現実感がある。血の通った感じがする。大江健三郎の小説の登場人物は、その語り口のある種のぎこちなさからなのか、どこまでも著作者・大江健三郎(メタ主人公)の傀儡というか、操作されているパペット…という印象が否めない。そこが(あるいは若さゆえか)打ち壊され、個性溢れる登場人物も、懊悩する主人公も、生きた新鮮さがある。終わり方も、それまでの鬱屈した自嘲・自罰・逃避というムードから想像出来ないほど晴れやかで、カタルシスがある。当時議論が巻き起こったというふたつのアスタリスク以降も、私は良いと感じた。

火見子の語る「多次元の自分」というのは、そのまま大江健三郎の作品群の特徴となっている。『人生の親戚』でも同様の趣旨が、同じく女性(まり子さん)の口から語られる。

逃避ゆえに強い酒を飲んで酔い潰れ、失敗を犯す、というのは『狩猟で暮した我らの先祖』に出てくる。

障害をおった実子、というテーマはいわずもがな。

 

狩猟で暮した我らの先祖

これは…正直あまり良いと思わなかった。読んでいて「山の人」「流浪する一家」に生理的な嫌悪が先立ってしまった。大江健三郎は、障害児や狂人など、正常でない存在、排除される存在をこれでもかというほど、その醜さや愚かさまでも貫いて描き、なにがしかの真理、尊厳、神性、のようなものを表現しようとしているのは、分かる。それでも、「流浪する一家」は露悪的な部分が多く立ちすぎた気がする。それに、終わり方もまた、途中で一度露出してきた直感を疑問に変えて投げかけているだけで、カタルシスがあまりない。今は一般市民のなかでは追放される存在へと変わってしまった「父祖」、「山の民」、原始の存在と、それに惹かれる自分を描く。この主人公も、あまり共感出来なかった。何しろ障害のある息子の世話をすべて妻に丸投げしているように読めてしまう(自分も精神薬やお酒などを飲んでいるから、苦しんでるんだろうな、というのは暗にわかるが結局逃避の一貫に見える)。「流浪する一家」に心惹かれ、ついていきたいとすら思いながら、自分の不在時に子供をさらわれ傷つけられる事件が起こり、結局擁護も憎みもできず、宙ぶらりんの位置に留まる、というのは。赤裸々な自分のあり方を綴ったというふうにも読めるが、うーん、モヤモヤするだけだった。

 

人生の親戚(第1回伊藤整文学賞受賞作)

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これは結構よかった。今回読んだ他の作品に較べて顕著だったのは、テープ音声や映像、あるいは手紙など、「資料」の情報を継ぎ合わせて、編集し、あとから主人公がそれを横断して書いているような、リポートみたいな書き方を採用しているということ。なんでだろうと考えてみると、読者にとってもこの小説を体験的なものにしたい、という意図があってのことだろうか、という気がする。フランシス・オコナーや聖書、バルザック等、作品の主要部に存在するサブテキスト群は、積み重ね、という印象がある。かさばった重たい歴史の産物。この作品はこの作品だけで完結するのではなく、様々な、千々な、歴史が生み出したものものの総体、その一欠片から、ようやく成り立つ、こもごもを孕んで立っている、といいたげのような。

まり子さんは火見子さんよりもさらに聖女めく、というか、はっきりと聖女的なものになっている。主人公は火見子と同様、まり子さんからもセクシャルな誘いを受けるのだが、もう老境に達しているため、『個人的な体験』のように受けて立ち、幾日もかけてそれに興ずるということはなく、あっさりと断っている。

ラストはさっぱりとしてカタルシスが得られる、と言うわけにはいかない。『狩猟で暮した我らの先祖』と同様、懊悩と自分への問いかけのなかで、煮え切らぬ閉じた終わりを迎えている。だけれど、『我らの〜』ほどのモヤモヤを感じないのは、テーマがさらに圧倒的だからなのかもしれない。もしくは、無宗教の日本人に共通の虚無感というか、ある感覚を指しているから、自分も共感しやすいのか。

作中でへえ、と思ったのは、教団に入ったまり子さんが、性欲を持て余し悩む女性信者に対して演説するシーン。

マスターベイションについて、倫理的な反感をいだくよう私たちは教育されていますが、聖書で批判的に描かれているのは、男性の場合です。子孫繁栄のための精子を、地面に洩らしたということが、批判の眼目なのであって、女性の私たちには当てはまりません。(118)

これって本当なのだろうか。そうだとしたら、女性の禁欲を謳う現在の(欧米圏の)倫理がどこからきたのか気になる。

また、少女時代のまり子さんが間一髪で助かったという「落雷」というモチーフが面白い。これは『海辺のカフカ』にも出てきた。主人公の少年の父親が、雷にうたれて死んだ、その確率について、希少性について、思索をめぐらしている場面がある。雷というのは日本語では「神鳴り」で、神性と結び付けられて考えられていたけれど、キリスト教ではどういう意味あいになるのだろう。『海辺のカフカ』の父子像は「マクベス」を下敷きにしているらしいから、キリスト教的な意味あいの落雷だったのか。など個人的に愉しめた。フランシス・オコナーもまた掘り下げ甲斐があるのだろう。

また、フリーダ・カーロという人を初めて知った。あまりに凄絶な生き様すぎて、まり子さんが作中で、フリーダ・カーロと較べて自分は中途半端だと嘆くところがあるのだが、いやそこまでしなくてもいいのでは、、と思ってしまった。

(作中で言及されるのはこの絵:『ヘンリー・フォード病院』)

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主人公の呼び名が往々にしてバードという点でも、大江健三郎作品のなかで鳥というのは重要な位置をしめているのだろう。この作品は珍しくショートショートで、大江健三郎アルター・エゴともいえる主人公は(表面上)登場してこないし、バードと呼ばれているということもない。大学を辞めて自宅に引きこもっている青年の、鳥の妄想についての話だ。ちょっと星新一とか世にも奇妙みたいな皮肉っぽさがあって、現代的で好きだ。話のムードも、なんていうか、すごく直球で、社会とか共同体とかセックスとかの長編の廻りくどさがなくて良い。新鮮な大江健三郎。それと、大量の鳥群、というので、ちょっとヒッチコックの『鳥』を思い出した。デュ・モーリアと言う人の短編が元なんですよね。それも読みたいなあ。

 

(※『個人的な体験』以外は『日本文学全集』で読了)