にしのひがしの

小説家志望の女が本の感想を書いてゆくブログ。

物理的にも精神的にも重い本

 

 

 

 

 

 

『北米探偵小説論21』という本を読んでいる。図書館で偶然見つけたのだが、圧巻の1200ページ越え・しかも二段組みという「文量」を誇る。

 

北米探偵小説論21

北米探偵小説論21

  • 作者:野崎六助
  • 発売日: 2020/06/20
  • メディア: 単行本
 

 単著としても圧倒されるんだけども、この本の前身に「北米探偵小説論」というこれまた同じくらいの分厚さの本がある。それは約30年ほど前に出版されたものらしい。つまり、この野崎六助という人は、北米探偵小説研究に一生を文字通り捧げているのだ。

 

北米探偵小説論

北米探偵小説論

 

 

しかも、 その研究範囲が半端でない。

まだ『21』を350ページくらいしか読めてないんだけれど、それでも、野崎先生が語る「探偵小説」の射程が、通常想像するそれとかけ離れた域まで届いていることは判る。だってそもそも本の題名が「北米」なのに、ドイツもフランスもロシアもスペインも日本の小説のこともがっつり取り上げている。探偵小説の「隣人」であるゴシック小説や幻想小説への目配せはわかるにしても(とても「目配せ」のレベルではないが)、通常はおよそ「探偵小説」には含まれないだろう『東海道四谷怪談』などもこともなげに分析対象にカウントしていく。ゾラ・フーコードゥルーズドストエフスキーゴーゴリ古今東西のあらゆる哲文学者を議論の俎上にのせ、自由自在、縦横無尽に、ジャンルレスな議論を展開していく。それはありのままの「文学」という生き物がうごめくさまを見ているようでもある。

議論はひどく面白い。早くこの本の・彼の研究の全貌が知りたくて、分厚いページを前にうずうずしてしまう。
だが、それとは別に、あまりに広すぎる領域に眩暈を覚えるのも事実だ。章立ての間に野崎先生自身が述懐する、この研究に捧げられた膨大すぎる時間の「量」に圧倒される。ひとりの人間、ひとりの若者の情熱、もっといえば妄執に近い何かが、30年、いやおそらくはこれまでの生涯をかけて、この広大な研究、未踏の著作をうみだした。その代償に実生活で払ったものは多かったろうことも察せられる。

慨嘆の声しかない。ないけれど、この研究が何処の、何に、捧げられて、何に対して、報われるのかということをふと考える。考えてしまい、それに対しての答えは、これを受け取り、読んだものが、また、これを咀嚼し、解釈し、受け、発展させる、という形をとることにあるのかなと考え至る。その受け継ぎ、受け継ぎの形が、学問であり、発展であり、進歩であり、洗練なのだ、とも思う。

重いなあ。

ふと思う。重い。重いけれど、その凝集が、学問なのか…。そう考えると、結構な狂気の沙汰を、私たちは日々しているんだな。それほどのことを正気だと信じ込みながらさせるものの、引力というか…魅力という言葉ではとても足りない、魔力というのが近いだろうか。「それ」にはとにかく度はずれたものがある。その結果が1200ページ越えの本を物すこと、というのは、一体それはどういうことなんだろう。ヤバいという言葉は出てくるけども、いい方にヤバいのか悪いほうにヤバいのかわからない。狂気の沙汰か、妄執か、偉業か。その熱量を受け止める方もそれなりの準備がいる。し、差し当たって私が直面している問題はそれである。