にしのひがしの

作家志望の23歳女が書評とか映画とかの感想・書評を書いてゆくブログ。

スタジオポノックとメアリ〜「メアリと魔女の花」感想

 

 

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82日に見てきました。前情報できるだけ入れず、予告も見ず、先入観なしに物語と向かい合える状態で行きました。

私はジブリだと、ハウル千と千尋耳をすませばもののけ姫ラピュタが好きです。ポニョと風立ちぬは微妙だったという感じの典型的な視聴者です。米林監督の作品では、アリエッティもマーニーも、何となく主人公の女の子に入り込めず、途中でやめてしまいました。

 

今回のメアリと魔女の花。ダメ映画だな、っていうのが感想です。綺麗な背景や壮麗な音楽、膨大な宣伝費、協賛の数々、一流(であろう)スタッフが費やした時間、すっごいもったいないなあ、と思ってしまうレベルでした。Twitterで検索すると、感動したとか楽しめた、って言ってる方もいるみたいなんですけど、一体どこにどう感動のフックがあったのかわからなかった。物語として全く魅力的なものではない。

 

大きな要因に根本的な「オリジナリティのなさ」があると思います。何から何まで宮崎駿の丸パクで、しかも本人が表現したいものとか、作りたい動きとか、視聴者に湧き上がらせたい感情とかが全く見られない。何かオリジナリティを表現しようと葛藤した形跡すら見られない。全体的に継ぎ接ぎでしかないよな、というのが真っ先な印象としてあります。「ジブリの手法」に縛られて、「ジブリ的」な映画を作っているうちは、宮崎駿を超える才能がないんだから、ジブリの冠に甘えた、どうでもいいような寄せ集めの作品を作り続けるだけだよな、と思ってしまいます。

監督のことはよく知りませんが、彼はジブリとは違う自分だけの表現を臥薪嘗胆苦心惨憺の覚悟で産み出すか、趣味で宮崎駿フォロワーとして動画作るかしたほうがいいと思います。現状ジブリの名を汚して、予算やスタッフを無駄遣いしているだけです。しかもそれを本人が自覚して、ニヤニヤしながらやってそうなのがタチが悪いですね。クレジットの「感謝」っていうのに宮崎駿鈴木敏夫高畑勲が並んでいましたけど名前出されたくないレベルなんじゃないかな。しかもなんなんだろう、「感謝」って。言葉のチョイスも、出してくるタイミングも、よくわからない。ちょっと内輪感の甘えというか、癒着というか、だらしなさっていうか、そういうものが見えた気がして、嫌だなあと思いました。そういうのは舞台裏でやればいいんじゃないかな。

大きな原因が「オリジナリティのなさ」と述べましたが、それがどんな影響を映画にもたらしているのか。思いつくかぎり書き出して見ます。

 

言動の説得力のなさ

 

まずメアリ。メアリって結局、何なんですか。ちょっとおっちょこちょいで、おだてにのりやすくて、無鉄砲で、明るくて、自分の赤毛にコンプレックスがあって、元気な女の子なの? そんなテンプレで本当にいいの?それは一体魅力的なの? 自分の赤毛をからかった男の子に対して怒って冷たくするって、赤毛のアンなの?

宮崎作品のヒロインたちは、性格が違っても、魅力的で、自分なりに葛藤し、決断し、成長する過程が描かれていました。彼女たちはただのアニメキャラというよりは、有機的な女性であり、ちょっとわがままだったり複雑だったり面倒くさかったりするけど、そういうところもまた一個の少女として、実在する人間と同じような人格を備えていました。それが宮崎駿のアニメを、単なる絵コンテが音楽に合わせてペラペラ動いて、タイミングに合わせて音楽がなる、というものとかけ離れたものにさせていたと思います。また、サブキャラの登場人物の奥行きも視聴者に大きな印象を残すものでした。魔女の宅急便のあの嫌味な女の子、おハナさん、カラスの絵を描くお姉さん。みんなに過去があり、性格があり、個性があり、夢があり、人格があって、きっと未来すらあった。「メアリと魔女の花」の登場人物は、確かに上辺だけはジブリ的映画をなぞっているように見えるけれど、全く言動に説得力がなかったです。

「この庭師は偏屈だけど実は孫思いで優しいキャラ」、「このキャラは天才でマッドサイエンティストでなんかの実験で失敗した過去がある、実は密かに想い続けている人がいる」、そういう裏設定がすっごく透けて見える。これは視聴者の方も「ジブリ的な人物表現」に馴れ、目が肥えてしまったためかもしれない。だけど、だからこそ、今までのジブリに出てきたキャラクターを繰り返すだけではダメなんだと思います。

とりあえず一つ、これがやりたいんだろうな、っていうのは見えます。でもびっくりするほどそれが細い。力がない。血肉がないむき出しの貧相な骨です。つまり、メアリが「私だって変わらなきゃいけないと思ってるんだから!」みたいなこと言って、ピーターが、「俺を大人に変えるならよかったのに。変わりたいと思ってるのはお前だけじゃないんだぜ!」みたいなことを言う。出会いはただの嫌なヤツだったけどそういうふうに心をつうじ合わせたピーターを助けなくちゃ! 一緒に帰るって約束したから! って言って、ピーターを助けに向かう。中盤の自分のコートを脱いで、箒も折れて、ぼろぼろになって、それでも愛する男の子のために向かって行く、っていうのは、多分、裸に近づいて、傷つけば傷つくほど、神々しく強くなってゆく少女、みたいな宮崎駿がやったものをやりたかったんだと思うんですけど、びっくりするほど寒々しいです。あんな雑な「心の通わせあい描写」しか出来ないなら、むしろ「私のせいで、庭師さんがあんなに大切に想っていたピーターが…!」って自分を責めて、それゆえに成長していく、ってした方がよかったと思います。ピーターへの友情とか愛情が付け焼き刃にしか見えなさすぎ。なぜそっちにしなかったのか。

 

 

声の問題もあると思います。これは個人の感想になってしまうのですが、今回声合ってるなって人ほとんどいなかったです。メアリは高すぎるし(あれでまたウザさが増してた気がする)、ピーターはあーはいまたカミキリュウノスケくんね、って感じ、庭師さんも博士も違和感がありました。何ていうか、宮崎駿が声優じゃなくてあえて芸能人を使うのって、アニメのための声じゃなくて、人間としての声が欲しくて、キャラクターに確固たる人格としての厚みを持たせたかったからだと思うんですよね。だけど、今回の起用は、ただ有名だから、話題になりそうだから、究極的にいえばジブリだから、ってだけで、適当に合いそうなキャラもってきて、合いそうな人みつくろって、っていうなげやりさというか、責任感のなさしか見えなかったです。そもそも年齢(声あてた人の年齢じゃなくて、声自体の年齢と、キャラクターのガワから察せる年齢)合ってなくない…?

満島ひかりはね、まあいいのかな、と思うんだけど、若いときだけあの決然とした声に変えるっていうあざとさの方が鼻につきました。声先行って感じですね。無駄遣いだと思います。物語の方で大叔母様の人格を表現してほしかったですね。

 

動き

 

箒に乗ってるシーンとか顕著だと思います。キキが飛ぶシーン、トトロが飛ぶシーン、ポルコが飛行艇で飛ぶシーン、千尋とハクが涙を流しながら落ちてゆくシーン。どれも見ていて息が止まるほどの躍動感、浮遊感、上昇感に満ちていました。でも、今回の箒ひどかったですね。あれはちょっとないなあ。髪と服だけ動いて、綺麗な背景があって、はい、飛んでるよ!ジブリっぽいでしょ!こういうのジブリだよね!わかってるでしょ!っていう自己主張だけがある感じ。「さあ、今は背景見せますよ~~!見とれてね!SNSで背景綺麗って拡散してね!」って感じ。こういうのはすごい萎えるなあと思います。全く飛んでる感がなくて…音楽だけが雄壮で、華々しくて、美術だけが取り繕ったようにキレイで、あーーー嫌だなって感じました。テンプレートをむき出しにされると萎えます。

キャラの動きもいちいち「これジブリっぽいでしょ!」って感じがすごいですね。それに宮崎駿ならもっとプライドもって作って魅せてくれるんだろうな、って思っちゃう。「ジプリっぽいキャラの動き」が先行していて、「そのキャラっぽさ」が全く伝わってこないんです。

 

セリフ

 

なんか、そもそも、そもそもなんですけど、メアリ「はっ!?」とか「はっ!」とか多すぎませんか? なんか、学校の先生とかでいちいち文頭にえーとかうーとか入れる人いましたけど、それをずっと聞いてるみたいな、先が読める感じのうっすらしたうんざり感がありました。これまでのジブリで、少なくともそれは思ったことがなかったです。考えてみると、リアクションのパターンというか、バリエーションが今回の脚本家にはほとんどないんだろうな。事態が起きる→理解が追いつかない・戸惑う→(時々疑問を呈して見たり聞き直してみたりする)→とりあえずついてく、みたいなのが圧倒的に多い。何ていうか、そこで、あえて自己流の解釈で納得してみる(→間違ってて慌てる)、周囲の様子を見て察してみる(→物語がスリムになる)、自分で考えて行動を起こす(自主的に状況をコントロールしようとする)とか、何だろう、そういう変化をつけてみたりすればもっとメアリの色んな面が見れて、彼女は少女として分厚い人間性を持てたんじゃないか。物語の展開を自分の中で噛み砕くことをキャラクターがしようとしないですね、ほとんど。すべてが目の前で起こった偶発的な事故として見なされ、それをその場でどうにかすることしかしない。まあキャラクターを傀儡とか記号とか、ベルトコンベアーにのせられて流れ行くパーツみたいに捉えればそれは当然のことなんだろうけど、だったらキャラクターがキャラクターとして表現される意味は何?って思いますよね。

最後の「魔法なんて、いらない!」も、そこに至るまでの道筋が弱すぎる・もしくは伝わらなさすぎます。

さらっと一回見ただけだと、メアリにとって魔法ってそもそも「いらない」って宣言するまでもないようなことなんですよ。たまたまちょろっとできるようになっちゃって、承認欲求満たされてちやほやされて嬉しくて、嘘がバレてピーターがさらわれちゃって、途中で魔法使えなくなっちゃって…。そもそも魔法なんて「いらない」っていうか、そもそも「メアリのものじゃない」んだから、いらないって何?って思う。違和感ありますね。

あと、「私、今夜だけは魔女なんだ!」っていうのも、それ言いたいだけだろって感じがすごいです。そもそも「今夜だけ」って設定が見ててわからなかった。あれは使った時間で決まるのか、使った魔力の総量で決まるのか、それともまた別の要因なのか明示されていません。私はあれ言われるまで、何となく総量なのかな…あんな強げな術使ったから切れちゃったのかな…って思ってた。メアリが何で時間制なのかをわかったのかは不明です。それがわかる前に、キメ台詞として「今夜だけ」とか言われちゃうと、おお!ってなる前に、あ、時間って設定なんだ…ってなりますね。

それとテンポが決定的に遅いですね…。大叔母様の昔住んでた家で、鏡から「メアリ…」て呼ばれてびっくりして「はいっ!!」て返して、振り返って、「なーんだ鏡かあ」って言って安心して、また「メアリ!」って呼ばれて「ええっ!鏡が喋ってる!?」みたいに言うシーンがあったんですけど(セリフうろ覚え)、あそこも、ええ?今確実に声したでしょ何でなかったことにしたの、とか。初めて入った魔法使いっぽい人の家で、あんな反応って、あんまりだと思うんですよね。せめて鏡調べるとかしてもよさそうなものでは…。こう、「どこかで習い覚えた行動」「セオリー」をやってるだけで、場面に即した言動ではないような気がしてしまう。

 

あと、そこでその言葉が出る!?みたいな違和感がいろいろありました。攫われたピーターに遭遇して、飛びついて泣きわめくシーンがあるんですけど、そのときの開口一番が「ごめんねええええ」ってどうなんだろう、とか。普通心配してたら「生きてたああああ!」とか「無事でよかったああああ」とかそういう言葉になるんじゃないかと思うんだけど…。メアリはなんかそもそも別にピーターが本気で殺されたり傷つけられたりする可能性をあまり考えていないように見える…。ピーターが魔力注入で変身しそうになった時も傍観してたし…。それで、ピーター、魔法の力で攫われてしまったってかなり一大事だと思うんですけど・一悶着ありそうなものですけど、メアリが泣いたことであっさりと許してしまうんですね。女の子の涙は無敵! っていうテンプレだとは思うんですけど、いやいや、それはちょっとあまりにも…となりましたね。行動に重さ、正当性とか説得性がないんですよね。何だか。

 

 

脚本

 

設定の疑問点とか矛盾もありましたね。これは脚本の問題なんだと思うけど。

校長先生に「あなたには魔女の血なんて一滴も入ってない」とか言われてたけど、メアリの大叔母様魔女だし…。それと大叔母様赤毛で、その大叔母様に実盗まれたのに何でまだ校長は赤毛の子をちやほやしてるんだろう…。警戒してもよさそうなものでは…とか。犯人わかってないのかな、と思ったけどでも一人だけ消えてたら別にわかるよなとか。

あと、脚本という点でいえば、普通魔術書なんか手にしたら、いろんな呪文や魔法をいろんな場面で、創意工夫しながらピンチを切り抜けていく、ってやつを想像しませんか。私はしました。ハウルが使ったいろんな呪文や魔法、それによって巻き起こる様々な場面を連想して、わくわくしました。でも、その「メアリ」の魔術書の中で使われるのは、「すべての魔法を消す魔法」たった一つ。それを時間をおいて盛り上がるシーンで繰り返すだけ。これじゃあ何だか肩透かしです。「魔法なんかいらない」っていうテーマ設定ゆえに「すべての魔法を消す魔法」を使うのか。だったらそもそも魔法なんか使わせないで、魔法対人間の力っていう構図にして、「魔女、ふたたび。」なんていうコピーを使わなくてもよかった気がしますが。何だかうまく噛み合ってないんですよね、やりたかった(だろう)こととやってることが。

もともと魔女だった大叔母様が「魔法なんていらない!」って言って終わるならまだわかるんだけど、メアリは2日間たまたま見つけた実の力で魔法つかえるようになっただけなのに、何でそれが言えるんだろう。魔法学校である程度魔法のことを学んで、魔法使いを目指して切磋琢磨する仲間たちの生き方にふれて、とかならまだわかります。でも、そんなのもないので、印象としては「なぜそれがメアリに言えるの?」ってなるような、うっすいセリフになってます。それなら大叔母様が若いときの話にするか、実の力で若返って校長を改心させる話にするかとかすればよかったのに。大叔母様がやりたかったこと=メアリがやったことなら、わざわざメアリを介する意味って一体なんだったんだろう。メアリにしかできなかったことを、彼女はやっただろうか。私はやってないと思います。メアリにしかない資質というものが見えなかった。それゆえに、メアリをヒロインにした意味もわからなかった。彼女を二時間近くスクリーンで見続ける意味もわからなかった。

 

設定

そもそもあの実は何で夜間飛行って名前なのか謎じゃないですか。語感が素敵だったからとか。もしくは夜間飛行っていう植物の何か元ネタがあるのか。あったとして、何でそれを説明しないのか。物語を動かす一番大事なキーアイテムなのに。

それと、最初は乗りこなせなかった箒を、最後で乗れてたのは何でなのか。あれは終盤の見栄えとか、ご都合主義以外に何かあるのか。暗喩とか隠喩とかなのかもしれないけど、それで物語に破綻が来ているようではだめなんじゃないか?

あと、これは原作の問題?かもしれないんだけど、「赤毛の魔女は才能がある」とか「純粋な子供は魔法の力を受けやすい」とか、その設定どこから来たんだろう…っていうのがちらほらありました。何ていうか、全てが「そういうことになっている」で進んでいくというか。純粋な子供なら、別にメアリでもピーターでも変わらなかったんじゃない? 何でピーターにしたんだろう、って思うと、結局のところ美少年が魔法の力で異形の美青年になるシーンがやりたかったのかな、ってなりますね。あのへんあんなぐちゃぐちゃなのに、なぜかピーターが成長して美青年になった姿だけはきっちり映している。そういう感じもちょっとあざといな、と思ってしまいました。

あと、舞台をイギリスにした意味ほとんどなくないですか? 魔法だから・ハウルでイギリスだったから・背景が素敵だからイギリス、ってだけで。英語も出てこなかったし…EDくらいでしたよね。ハウルだともっと、登場人物たちがソフィーがイギリスっていうその時代とその国に息づいている感じがありました。

あとEDもちょっと言いたいことがあって。あれ、どうしても本編の終わりをあの空で「END」って出したかったから、尺が詰まっちゃったからEDに後日談っぽいの流しちゃえ!って感じのノリでしたよね。耳すまとか、EDは余韻を楽しむためにひねったのを入れて来てる印象がジブリにはあったので、個人的には違和感がありました。映画本編は映画本編できちっとやりきってほしかったですね。EDに侵食してくるのは、何だかだらしがない感じがしました。

 

総括:メアリとスタジオポノックが被って見える

 

見ていて、途中、ぽっと拾った実で周りからちやほやされて得意になってるメアリと、ポノックがかぶりました。といってもポノックのことなんて何一つ知らないんですけど。「ジブリ」という冠とすでに確立され安パイになっている表現で、「素晴らしい才能」があると言われている感じ。本編でメアリは何も為していなく、大叔母様の必死に盗み出した「実」を拾っただけなのに、それで称揚されて有頂天になっている。

宮崎駿のフォロワーで、そして宮崎駿並みの才能がないのであれば、宮崎駿の創り出した表現をなぞり、かき集めるだけに終始してしまいます。そのことを果たしてこの人たちが気づいていないのか疑問です。多分気づいてはいるよね。だってさらっと見ただけでこんなにそれが伝わってくるんだもん。当事者が気づいていないわけがないと思う。この人たちは、「ジブリ」っていうブランドは好きだけど、本質的なアニメーションとか、物語とか、表現とか、そういうのにはあまり熱意がないのかな、って考えてしまいます。ジブリの焼き直しをすること、それで食べていくことが大事なのかなあと。でもそれならそれで、子供達に奇跡のようなアニメーションの可能性を魅せ続けたジブリって看板はあまりに重すぎますね。だから降りたのかな。「ポノック」ではジブリフォロワーとして、劣化版宮崎アニメを作っていきますよって、こういうことなんでしょうか。独立して違う路線の物語を作っていきたいなら、「感謝」にまるで錦の御旗みたいに、言い訳みたいに、一応の建前みたいに、三人の名前を出すこともなかった気がします。

すごく言葉が厳しい批評になってしまった気もしますが、これが今回私が抱いた率直な感想でした。なんか、やっぱり「ジブリ」ってことに対する期待感ってすごいんだな、と書いてて思いました。無意識にこんなに期待してると自分でも気づかなかったし、「ジブリ」というハードルを穴を掘ってくぐっていこうとするスタジオポノックもすごいと思います。彼らがこのままだらだらと同じような映画を作り続けないことを望みます。

 

 

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