にしのひがしの

小説家志望の女が本の感想を書いてゆくブログ。

読んで、訳して、語り合う。 都甲幸治対談集

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読みました。おもしろかったです。

喋ってる内容は結構難しいことなんだけど、話し言葉だからするっと読めて、わかりやすいです。

作家さんとか思想家?さんの対談ならよくあるけど、翻訳者さんの視点からの対談って初めて読みました。海外文学を中心に、現在の世界的な文学の潮流…とか、村上春樹作品の意味…とかが話題にあがっています。

柴田元幸さんなら、多少本を読む人なら大体知ってるんじゃないでしょうか。2000年代の翻訳本の、少なくとも三分の一はこの人が訳している気がする。。都甲さんは、この柴田元幸さんのゼミ生(教え子)だったらしいです。小野正嗣さんとの対談で、都甲さんはよく出来る学生だった、みたいな裏話が交わされています。

 

村上春樹作品の分析が(主に『1Q84』、『海辺のカフカ』、『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』)多くウェイトを占めているので(紹介や表紙には書いてないのですが)ハルキストは必読の本じゃないかなと思います。

私は『海辺のカフカ』はとても好きです。それに、父殺しとか、そういうテーマに関心があって、惹かれる小説にもそういうエッセンスがあるものが多い。だから『海辺のカフカ』や「父権」について話されているところが興味深かったし、楽しめました。

「父」「王」「神」という大きな概念の連なりであるとか。村上作品における「父」の不在であるとか。文学史における「父」の扱いの変化であるとか。そういうテーマが刺激的だし面白かった。

 

それと、好感をもてたというか、シンパシーを感じたのが、まえがきの、都甲さんによる各対談を貫いて流れているものについての記述。

本書を読み返してみると、話題は不思議なほど少数のテーマを巡っていることに気づく。自分の置かれた立場に安住しないこと、境界を越えること、そして辛い立場の人に寄り添うこと。経歴も年代も性別も違う語り手が、同じことを大切に考えているのに驚いてしまう。

「辛い立場の人に寄り添う」「立場に安住しない」、「境界を越える」というのは、どれも誰かへと手をのばす、という行為が根底にある。やさしさを伴わない理屈はどれも間違いだと思う。だから、ここを読んだだけで、いい内容だろうなと思ったし、実際いい内容でした。

また、星野智幸さんとの対談では「マイノリティ」について深く掘り下げられていました。(題名も「世界とマイノリティ」)

ざっくりいうと、マイノリティ側に一度立った人間と、そうでない人間とは「認識の形」がまったく違う。自分以外の人たちが共有している前提に対して、苦痛や齟齬をおぼえた人たちが詩や小説のかたちにしたものこそを「文学」と呼ぶ。星野さんはそういう自分の文学観を語っています。

都甲さんも、アメリカの大学院へ留学していたとき、自分がマイノリティであると感じ、辛い感情を覚えていた、ということを話しています。

文学を読むということは、「やさしさ」である、ということが、ざっくりいうと話されている。人の傷への考慮である。個人的には、救いがあって、こういうことを考えてやってる人がたくさんいるなら、日本の文学界もなかなか捨てたものじゃないなあとか、思いました。

読書初心者の方にも読みやすい。現在の世界的な文学シーン、文学の傾向を掘り下げたいという上級者の方も読み応えがある、ハルキストの方にも、英語や翻訳に興味があるという方でも楽しいと思う。万人におすすめできる本でした。

 

 

 

 

 

 

 

町屋良平『青が破れる』〜第53回文藝賞受賞作 感想

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 (文藝2016 冬号誌上で読みました)

 

 

 「気持ちのよい違和感」

 

口語と文語、漢字とひらがな、文学と会話が入り混じってくる文章が新鮮だった。所々詩のような、所々コントのような。形式張ったなにかを描こうとしていない。とことん感覚的で。あまりかっちり小説とか読まないけれど、言葉に対してすごく敏感なかんじが伝わってきた。
ボクサーと文学、というのは結構相容れない処にあるんじゃないかと思う。そのはじまりからして違和感があって面白かった。
流れる青のような雰囲気だ。
このスタイルの文章が評価されるのは、イマっぽいと思う。評価もそうだし、それ以前に、生まれてくるのは、というか。最果タヒとか、「時代につながる」感覚の文体みたいだ。
もちろん文体だけではだめで、形式だけではだめで。かわいたまま、欠けたまま寄り集まって、散会する。癒やし合うとかじゃなく、表層を舐めて、どうしようもなくなってやっぱ終わり、でも続く。そういう感じの水流がある。

流れる青、水みたいな文体に、ごつごつっと氷のように違和感がころがっている。それが読んでいて快かった。
男性新人作家によって書かれた鬱屈した男たちの話、という点では、新潮新人賞を受賞した『蛇沼』とすこし似ている。だが、『蛇沼』が淀み沈み、穢れきった重たい泥水の話だとすれば、『青が破れる』は氷を孕んだ流水のような流麗さ、透明感がある。作家の資質や書くものの選択の話であって、決して優劣や好悪の話じゃない。その差はとても面白い。

 

hlowr4.hatenablog.com

 

作者の町屋氏自身がこの「違和感」を自分の作品の長所であり、印象というか、特色というか、持ち味と捉えているとわかるのが、話のラスト付近に再登場する陽というキャラクター。
この陽の性別や個性について、作者は唐突に、しかし氷のように透徹に違和感をつけくわえる。最初はただの少年として出てきた陽は、この場面においてはまるで結晶のように純粋で「果てしなく甘えられる恋人みたい」な存在に変貌(かわ)る。

町屋氏は、意図的に違和感を周到に使いこなし、配置し、ことば遣いを精査し、自分の作品を書いていっている。それが顕著な文章を少し引用してみる。

あいたいなら、あいにいけばいい。でももうそれは、「おれの夏澄さんへの恋情」ではなかった。あいにいったら、それはおれの欲情であり、夏澄さんの孤独であり、それは情熱を装うけれど、しんじつは空しい。シャワーを浴びてジムにへいった。(26)

怒りというおれのよくしっていることばと概念と感情は、おれのよくしってるやつとじつはちがうものだろうか? とう子さんが危篤になったり、とう子さんが生還したり、そういう奇跡をくりかえすうちに、ふへん的な感情やきもちの交換の基礎みたいなものが一枚一枚剥がされて、一秒ずつはじめましてをいうような、きもちの探りあいをいま、あらためてしているのだろうか。(31)

唐突にひらかれる漢字の数々がわかる。「しんじつ」、「よくしってるやつとじつはちがう」、「ふへん」、「くりかえす」「あらためて」。読者がすらっとこれに目を透したときに覚えるのは「違和感」だし、「立ち止まる」感覚でもある。詩を読んでいる気持ちにも近いと思う。この漢字のひらき方が『青が破れる』の独特の読み味につながっている。文字の(物理的な)密度という点でも、意味のひらきという点でも、随所に光が入っているような感覚を私は覚える。ステンドグラスのように、採光する働きというか。もしくは、漢字で書かれるより、なんとなく透徹した概念といった印象。
無論なんの思惟もない濫用は避けたいところだ。「やさしさ」とかは特に陳腐になりやすいと思う。大事なのは、意図と選択だろう。

また、とう子さんが「わたし、とおくにいくのほんとひさびさ!」(28)と歓声を上げるシーンなどは、全文がひらがなだ。
このセリフがひらがなで書かれる意味とはなんだろうか。
ひらがなに開かれることで、日本語の文字は「意味」から「ひびき」に変わるのではないだろうか。英語だと表音文字だから、「音を読む」という感覚が比較的平易なのだろうが、漢字の場合表意文字なので、「意味を読む」(どちらかといえば)「解読する」という感覚となる。
「わたし、とおくにいくのほんとひさびさ!」からは、本当に少し遠くへと、大きな声で、宛てもなく発された歓声を聞くような、そういう臨場感が伝わる。「聞く」というのは「読む」よりもっと即物的というか、生々しい体験だ。それによって、小説世界がリアルに周囲に立ち上がっている感じが強められている。
従来に比べ、より感覚的な日本語の書かれ方といえるのかもしれない。

 

講評のなかで、斎藤美奈子氏は、『青が破れる』を「難病モノ」という括りに入れてしまったせいで、構えて評価できない部分があった、と書いていた。
難病モノ。たしかに、難病の女性(とう子)が出てくるから、難病モノなのかもしれない。ただ、その悲劇性を必要以上に強調したり、死期に至るまでの道筋を克明に描いたり、「いっしょに海を見ようね…」みたいなセリフはない。その点で、これは流行っていた「難病モノ」とは一線を引く作品なんじゃないかと思う。どちらかといえば、とう子の難病は、ある種予定調和というか、生から逃げを打った安穏、という角度から描かれるところがある。物語の主眼は「闘病」ではなく、主人公がボクサーであるように、「闘争」(生・自分への)、あるいは「難病」という理不尽に巻き込まれ、抵抗できなくなった周囲の人々のほうにあるように見える。斉藤氏がいうのは、物語に「難病」というエッセンスを入れること自体を、避ける(あるいは避けたい)ということなのだろうか、と疑問が湧いた。

 

 

〜一言まとめ〜

個人的にはすごくいいなと思いました。比喩が本当にあるような、とか、なるべく自分のことばで、という作者の執筆上の注意にも共感できた。今後注目していきたい作家の一人だと思います!

石井遊佳『百年泥』(第49回新潮新人文学賞・第158回芥川賞受賞作)感想

 

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(新潮2017.11月号誌上で読みました)

 

※ネタバレ注意


最近の芥川賞って、こういう、ちょっとべらんめい感ある女性の一人称小説が好きな気がする。絲井秋子さんとか村田沙也加さんとか。
正直そこまで良い小説とは思わなかった。「わたしのインドで日本語教師体験記+ちょっと小説」、みたいな感じがした。
ラストの盛り上がりがあんまりなかった。主人公の語り口も、設定のぶっ飛び具合もあんまり面白いと思えなかった。
夢オチで済んじゃってもいいような、そんな話だから、主人公と現実との関わりが切迫してこない感じがした。
ファンタジックというには即物的で、ガチャガチャというわりには、ちょっと乙女チック。私だったら、どっちかを削るかなあ。混沌としていて、溶け合う、引き立てあう、って感じじゃないかも。違う要素をぶち込むっていうのは面白いと思うけど。

雑誌掲載ページ数でいうと、80〜101ページぐらいの、中盤がいちばん面白かった。
人魚姫みたいな何も喋らないお母さんと、「2本の脚」がわりになって生活していた少女時代。
お父さんと借金の取り立てに行ったときに、花畑の真ん中で花まみれで横たわって、カモフラージュしていた変なお客さん。
こういうファンタジックで、童話っぽいかわいい要素は好きだった。そのあまーい感じと、『インド』『泥』ってモチーフ、あるいはちょっと粗暴な感じの語り口が、うまく横並びになってなくて、どちらかが逸脱している感じがした。

「長くのびるものを、わたしは好まない」って文章がある。それで、「けだし、この世でいちばん長くのびるものは子宮である」って文章がある。んん、これはけっこう惹かれた。ただ、巧く活きてる、活用されてるなって感じなくて、勿体無かった。自分の母娘関係とか、インドにおける親子観とか、そういうものから派生して書かれた文章かもしれないけど、もっとつながる、訴えかけるモノがあってもよかったのかな。
あと、アナザーの世界というか、自分が選択しなかった行動や、場所や、時間の過ごし方、体験というものについて、気になってしまう、っていうのも、感受性としては魅惑的。

結構落語調というか、受け狙いというか、オチをつけるような語り口なんだけど、過去の思い出とかを話すときには、ふわっと変わって、ややもすれば美文調みたいな文体になったりする。印象的ではあるし、美文調は綺麗で好きだけど、乗ってる電車ががたぴしがたぴし揺れて落ち着かないような感じを受けてしまった。

タミル語が洪水が起きた朝に全部理解できるようになっている、インド人は交通混雑の回避のために翼をつけて飛ぶようになっている、大阪府との親交策によって、仏像と招き猫をトレードしている、日本語学校の美男子の生徒に見つめられて髪が焦げる。


「不可解」なこと、さして意味もないように見える奇跡がとかくたくさん、説明もなく起きる。そこに馴染めるか?面白がれるか?というのが、この小説を楽しめるかの分かれ目かも。

佐藤厚志『蛇沼』(第49回新潮新人文学賞受賞作品)感想

※ネタバレ注意

 

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 (新潮2017年11月号)

 

ドロドロした憎悪、疑念、暴力、嫌悪が沼底に溜まった泥のように渦巻いている。

主人公恭二がセイコや雷魚、祖父茂夫に向ける愛情?はちょっと意外なくらい純粋。

一枚岩なヒーローとかダークヒーローではなく、鬱屈しつつも良い処も悪いところもほの見えて、リアルな人物造形となっている。

家族をはじめ、周囲に対する軽蔑と憎悪を、時折暴力というかたちで発散している。家族に反抗し、突っ張った仲間とつるんでいるが、童心の傷を癒せぬまま、幼くして死んだセイコのことを長い間忘れられないでいる。

恭二が生まれ育った農村では、暴力以外の解答がない。物語もそういうふうに完結していく。罪びとがスッキリと裁かれることはなく、ただ復讐という名まえで惨殺されるのみ。

「真っ暗な山々は降り注ぐ雨と音をことごとく吸収してじっと静まっていた。」が最後の文。

沼や魚、蛙の卵、悪臭、生ゴミ、泥といった、「汚いもの」がたくさん描かれる。暴力や虐待が横行する舞台・平町の在り方かつ、恭二のこころの在り方といえるかもしれない。

 

解答が「暴力」であり、暴力でしかない、というのは、この作品の根底のテーマになっていると思う。

最後に復讐を渇望していた犯人が殺されても、恭二の胸に浮かぶのは、恐怖であり、憎悪であり、怒りである。『蛇沼』では、力が強いものが絶対で、親子間、雇い主と外国人労働者間の虐待はほぼ普遍のもの、社会の法則みたいなものとして描かれている。恭二もまた、違和感というか、憎悪を感じてはいるものの、その枠組みに組み込まれ、通行人や浮浪者にはなんの理由もなく暴力を振るう。それは正義とか悪とかいう俎上のものではなく、もっと生々しい、鬱憤晴らしの延長というのが近い。暴力しかないし、知らないのだ。

 

作者の佐藤厚志はインタビューの中で、恭二と、セイコの兄で知的障害のあるカツヒコの関わりについて話している。恭二がセイコ(死者)からカツヒコ(生者)のほうへとシフトしつつあるのならいい、と。

確かに、カツヒコと恭二の関わりは作品のなかで異色な感じがある。作中で恭二が誰かの前で心を許すとか、安らがせるとか、そういうシーンはほぼない。誰かの前で、憎悪や復讐心以外の感情をあらわにすることもない。

ただ、よく読むと、恭二はセイコやバイト先のチハル、交際しているカズエといった女性に対して、わりと優しいのだ。はっきりと女性に対してどうという感情が書かれているわけではないが、暴力も振るわないし、怒鳴りもしないし、質の悪いクレームからは庇ったり、夜道を送っていったりしている。そういう、恭二の弱いものへの思いやり?というのが、カツヒコとの間においても仄見える。

セイコの死に全身をうねらせて号泣しているカツヒコの頭を、「かっと頭が白くなった」あとに撫でてやるシーンは、セイコの死の衝撃、悲嘆、憎悪、怒り、様々な感情の奔流のなかで「純粋さ」が表層に現れてくる数少ないものだと思う。ラストシーンで恭二は、雨の中立ちすくむカツヒコの気持ちなど自分にはわからない、語る言葉など持ち合わせない、と、己に対して憎悪と怒りの感情を抱いている。だから、その通じ合い、つながりあいというのは、一筋縄ではいかない予感がある。けれど、カズエやカツヒコといった正の生者(希望)を手繰り寄せ、恭二が今は渦中に置かれている、暴力や平町を過去のものとしてくれることを願いたい。

 

 

*参考:

第49回新潮新人賞 受賞者インタビュー 答えのない問いの中で/佐藤厚

www.shinchosha.co.jp

 

 

 

昔みた映画のレビューをまとめてみる・上

 

思うところあってFilmarksから鑑賞メーターにレビューを移転します。それで、鑑賞メーターだと文字制限があって、書いたのが削れてしまうので、こちらに記録をまとめがてら、感想全文を残して置こうと思います。2年前〜ブログを始める前辺りに見たものです。

なお、基本ネタバレの内容になります。気にしない・大丈夫な方だけご覧ください。

 

 

シャイニング  
シャイニング (字幕版)
 

 

好き…ではないんだけど、すごく印象が強い映画です。有無言わさず持ってかれる感じというのか…前半少しダルいですけど、面白いです。
あと、家族の顔がみんな怖くて怖くて…。男の子すごく可愛いけどめちゃくちゃ怖い。部屋のなかにいた女の人と父親の絡みが凄い印象に残ってます。あと赤い廊下をおもちゃの車でキコキコしてるところとか、最後の迷路とか。
終わりかたが怖くなかったのが意外でした。
レッドラムのシーンと、部屋行ったらジャックが寝てなくて起きてるシーンが一番ヒヤッとした…かも。息子が寝てると思ったら目かっ開いてるのもめっちゃびびった。バーのカウンターでぎゅるんぎゅるんジャックの表情変わるのも怖い。大体怖い…。不協和音とかテルミンみたいな音仕事しすぎでしょ。カメラワークも凄みを感じた。
有名なジャックは気が狂うのところはそんなに怖くなかった、ただいつから狂ってたのかわからなかったのが気になった。来たときからずーーっとアレ書いてたならめっちゃ怖かった。
ラストシーンが謎い。

 

悪魔のいけにえ


 女の子が二人ともとにかく綺麗でエロい…サリーが顔歪めて絶叫する姿が美しすぎて見とれました。あんないい叫びっぷりならそりゃニマニマしちゃうわーとも思ったw
前半ポンポン死んでくとこと、兄弟が三人出てきてからはそんな怖くなかったです。やっぱ夜や朝にレザーフェイスから逃げ惑ってるときが一番怖かった。。最後に助けられたとこも、運転手も兄弟なんじゃ…とか不安になってました。なんだかんだ助かったのが意外でした。
ラストシーンでチェーンソー振り回してぐるぐる回ってるのが、なんか綺麗で印象的です。あれで〆なのがセンスを感じます。
あとおじいちゃん100パー死体と思ってたら普通に生きててびっくり。
家のなかがグロいんだけど、骨とかの配置がなにげおしゃれでもありました。

 

時計じかけのオレンジ

 

序盤でドン引きして一回見るのやめました。
教授と会話~猫嬢~靴なめまでは面白かったです。ただ因果応報的なシーンはワンパターンで退屈に感じた。この映画の肝はこの途方もない屑(顔よし頭よし度胸あり教養あり変な気持ち悪い美意識あり)に待ち受ける結末に気を揉んで、罰されて欲しいんだけどそれだけじゃつまらないとかいう気持ちがせめぎあうところなんじゃないだろうか。
彼を憎んでる人のほうが彼のことを理解していて(看守とか間借り人とか)、称賛したり騙されたりしているひと(両親、牧師、大臣)は本当の彼なんてこれっぽっちもわかってないのが皮肉だと思いました。
変な町?で女の子二人ナンパして、セックスが高速で流れるシーンが何故か一番好きかも。あと勾置所みたいなとこで拷問受けてるシーン。鼻血の赤と青い目のコントラストが綺麗で色っぽかった。
猫嬢の部屋やばすぎて頭おかしい。途中からやっとこれ近未来の話なのか…?って気づきました。
やっぱり昔の文学だなーって感で埃かぶってるところもあったので、現代版リメイクが見たい。処罰法とか世論とかオチとか復讐法とかもっともっと凝ってほしい。

 

 

天才スピヴェット

 

最高でした!!
細かいことは気にしない
キャラクターと音楽と景色と演出と気の効いた台詞だけで十分楽しめる
めちゃくちゃハッピーエンドで幸せな気持ちで終われます
T.Sくんがとっても可愛いです
小さい体と鋭すぎる頭脳とセンシティブなハートで頑張るお話
お姉ちゃん役はキックアスの子かな?テレビに出るT.Sに泣いちゃってるのがそれっぽくもあり可愛い
ちょっとウザい端役にまで愛がこもったエンディングも粋
一番笑ったのは看板になりすまして見回りの人をやり過ごすところです
子供から大人までおすすめだと思います
本当に素敵な映画でした

 

ばしゃ馬さんとビッグマウス
ばしゃ馬さんとビッグマウス [DVD]
 

 

随所にリアリティとユーモアがちりばめられててそこは楽しめた。最初の方でファミレスのおばさん店員が椅子?にぶつかってくのすごい好き。
夢を叶えるのではなく、夢を諦める話だった。
なぜ天童が馬渕に惚れたのかよくわからないこと、天童や馬渕の作品のレベルはどの程度だったのか(本人的には真摯にやって来たようだが、老人ホームの話では元カレへの気持ちが影響したためなのか恋愛要素が強すぎると言われている)、天童の才能はプロから見てどうなのか、食っていけるほどなのか、などがはっきり示されず不燃焼感が残った。
最後のロングショットもなんか月並みだし、もっと一波瀾あったら面白かったんじゃないか。
天童の飄々とした感じや、馬渕のキリキリした感じにはリアリティーがあった。シナリオスクールの雰囲気も、一歩先に進んだ仲間を祝うと同時に妬む気持ちもすごく出てて、ベタベタドロドロしていた。
一人一人が自分のことは特別ですごいと思っていて、でも自分以外の人間からすれば別に取るに足らないようなただの凡人で。そこの食い違いがヒリヒリしました。

夢を叶えるより諦める方が難しい、とか、天童のお母さんは本当にソープだったとか、台詞や設定がところどころ面白いだけに微妙。
ワナビにとっては痛い話でした。。特に飲み抜けて店の外でシナリオかいちゃう痛さ!やりかねねええと思ってきつかったなぁ。

 

 ダンサーインザダーク 

 

一年くらい前に観賞。
弱い人がひたすら酷い目にあって悲惨な末路を迎えるという映画。
やっぱり、線路でくるくる回ったり、工場でみんな踊り出すといった、ダンスの場面が鮮やかで印象に残っている。胸くそ悪いところとしては、泣きながら隣人を殺す場面、それと、最後の死刑台に落ちるときのガタッという音を覚えている。
名作の誉れ高いがそこまでとは思えなかった。人生をひどいほうにひどいほうに自分で選んでしまっていると思うし、冷たい見方をすれば自業自得な点もある。
でも、セルマは、現実じゃなくて、歌や踊りの世界で生きてほしかった。彼女の幸せも安寧も希望もきっとそこにしかなかったと思う。

 

 ミザリー
ミザリー (字幕版)

ミザリー (字幕版)

 

 

筋自体は一本道の映画。でも怖い。ポールとアニーの表情が圧巻。どちらもすごく繊細な演技だったと思う。目付きひとつで感情ががらっと変わる感じというか。
アニーを殺したあとどうやって逃げおおせたのかも知りたかった。むしろ彼女を倒したとしてもそこから町までどうやって行くのかがずっと気になってたので、ショートカットされて残念だった。

アニーの愛してるは全く愛ではなくて、自分の好きなもの、自分に都合の良い存在が好きっていうただそれだけのことなのだと思う。
ただ、穏やかな彼女は本当に優しそうで魅力的に見えたので、複雑でもある。
こんなに毎日世話をしてやってるのに何でまだわからないの? っていう台詞は、なんだかくるものがあった。彼女の目には相手が映ってないのだろうか。ポールの言動が明らかにちぐはぐでも、彼が都合の良い甘い言葉を言っている限りはころりと信じているのも、実際は自分の願望しか目に入ってないせいではないか。
無理やり小説を書かせて、足を潰して、でも自分はちゃんと相手に尽くして世話してあげてると思ってるから、感謝しない相手は裏切り者で恩知らず。程度の差はあれ、こういう人って意外とたくさんいるような気がした。
何気に愛とは何かって考えさせられる映画。

 

桐島、部活やめるってよ。  

 監督さん好きでやっと見れました。面白かった。
終わり方、白に反転して黒でロールが流れるのも含めて綺麗でよかったです
ED曲はちょっと蛇足感がありました、映画に比して熱すぎませんか?あれ
視線の使い方がとても面白かった!一つのクラスの中で無数の視線が飛び交って、誰かが誰かを見るというそれだけの行為に重い意味がこめられている。高校っていう世界の規模の小ささ、敏感さがよく表れていました。
最後の映画部の子と、野球部やめた子の和む交流が好きです。
桐島についてじゃなく、桐島が部活をやめた理由について語っていく映画でした。
起伏は少なく、映像の引力ありきのストーリーだなと思いました。こまぎれに変わっていく視点とか、青みがかって幻想的な感じの風景とか。
狭い狭い世界で 誰かが部活やめたってだけのことがこんなに大事(おおごと)になるような小規模な世界で生きる。
自分は凡人でまわりも凡人で、素晴らしい才能もなにも持ってなくて、それは悲しくて傷つくけど、それも当たり前のことでしかなくて普通の大人になる。女だって友達だってきっとみんな下んないんだよね。
桐島が部活やめた理由もきっとそこにあるんじゃないかな。
まだ学生時代の傷引きずってる人にはきつい映画なんじゃないかなと思います。サッカー見学してるときの手持ちぶさたな感じとか、ギャルっぽい子が人によって声色変える感じとかリアルすぎて。。女の陰キャ出てこなくてよかったです…。
気になったのは、リサ老けすぎじゃない???&巻き髪綺麗すぎてリアリティなくない?&吹部の子浅はかすぎない?
あまちゃんの子がチャラ男と付き合ってんのリアリティありすぎてよかったです。

 

リリーのすべて
リリーのすべて (字幕版)
 

 

前半
見ることと見られること、その性差をめぐってTSへの目覚めを描く。とても興味深かった。女と男が逆転しているようなキャラクターの夫婦。
はじめてリリーになって人前に出たアイナーに付きまとう「男の」視線が印象的。

後半
女になってゆくことと夫婦の相反。
ゲルダの傍に居てくれる人がいて、本当によかったと思う。リリーはどんどん身勝手で美しい存在になってゆくが急ぎすぎたためなのかその命は蕾で潰える。
ゲルダの包容力、懐の深い愛が印象的。

映画そのものが、1シーン1シーンが妥協せず非常な美しさをもつものとして作られていた。「見られる」ことをかなり意識して撮られたものと感じる。
女が「見られる」存在だとして、では映画とは、観客とは何か。そんなことも考えさせられた。

 

ふがいない僕は空を見た
ふがいない僕は空を見た
 

 

永山絢斗くんと窪田正孝くん。
どっちもすごくはまってました。

母親失格とか父親失格とか言ったって子供は現に生まれて生きてる。

僕たちはこの生を本当に自分で選んだか?

 

本当の作家 J.T.リロイ

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すみませんこれだけDVDが発売されてなくて生書きです。同じ映画を見に初めて劇場に二回行きました。本人の講演(女王蜂アブちゃんとの対談)も見ました。

1回目に見たときすごいクラクラして感情が溢れ出して気持ち悪くなって喫茶店でひたすらノートに色々殴り書きしました。内容ひとつひとつが自分の全てに訴えかけてくるような感じで…ローラが他人だと思えなくて、辛くて羨ましくて怖くて哀しかった。DVD出たら絶対買わなきゃいけないんだけど、みるのも怖いって感じ。

 

 ベストセラー 編集シャパーキンズに捧ぐ

 

 結構好き。
他のかたも書いてるように、初作から二作めにかけて二人だけで作り上げていくところはテンポが良く爽快で楽しめた。
父と子のテーマと、父を探すアメリカ?みたいなテーマはもっと深く相関しあってもよい気がした。薄味。
フィッツジェラルドヘミングウェイがでてきてアメリカ文学好きなひとは面白いかも。
トマス・ウルフはにこやかで隙が多くて人好きするけど、ひとのきもちがわからないところもあったんだなあと。
パーキンズの淡々とした演技が好きです。

  

東京ゴッドファーザーズ
東京ゴッドファーザーズ
 

 

パプリカが難しくて構えていたがそんなことはなかった。今敏らしさも随所にアクセントとしてつけられる。
2003公開で時代を感じる部分はあったが、クリスマスにふさわしいファミリー映画だったと思う。下ネタもないし…。
キーワードは「偽物」。彼の中では偽物と本物が、現実と幻想の関係のように入り混じり、交差しあうものなのだろう。エンジェルのメタファは好き。オカマも、男と女のあわいで、今敏の中ではメタファー的存在なのだろうと思った。
泣いた赤鬼のくだりはちょっと意味不明だった。
今敏入門編、って感じ。深読みしようと思えばいくらでも。女の子と父親の関係が好き。

 

ストロベリーショートケイクス

 

好き。
最初から惹き込まれたし、撮り方や構図、光なんかも素敵だった。
女の人の生活を見るのが好きだから、その欲求を思う存分満たせて嬉しい。
台詞が嘘臭い感じはやっぱりしたけど、雰囲気はとてもいいと思った。

塔子さんが一番好き。一番演者の雰囲気と役が合ってると思ったら原作者本人。嘘やろ。
ちひろとお互い嫌いっていいながら手を離せないで、降り遅れるシーンがこの映画でいちばんの救いで、よかった。
正反対の女二人で仲良くやってほしい。

秋代さんはエロくて素晴らしいがしている恋がバカすぎる。
でも狂気的に惚れ込んでいる相手の子供を身籠れたのだから幸せだと思う。彼女なりの最高の幸せの形を掴めたようなのでよかった。

 

サルトルボーヴォワール 哲学と愛
サルトルとボーヴォワール 哲学と愛 [DVD]

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音楽・美術・雰囲気ともに好きだった。静かで淡々と綺麗で、スッと見れる映画だと思う。
ボーヴォワール役の人が綺麗でほんとに見惚れた。最所はやっぱり欺瞞では、とか思ったけど、だんだんこういうのもありなのかなって思えるようになった。お互いがお互いにとっての唯一無二であり続けることを追求して生涯を貫いたかたち。ああやって結婚もセックスも関係なく微笑みあい、一緒に歴史をつくり、雑誌の表紙を飾り、お墓に入る異性がいるって凄い。
お母さんの変化がよかった。
カミュが出てきてときめきました。

 

百円の恋
百円の恋 [DVD]

百円の恋 [DVD]

 

 

安っぽさを楽しむ作品。
みんなクズい。安藤サクラ新井浩文もリアルすぎた。
自分を「百円の女」だと思いつつ、それなりに努力してゆく様がよかった。
打ち込めるものを見つけるだけで、人は変わるんだなと思った。

 

 

他に、アメリこの世界の片隅に、ララランド、ムーンライト、エターナルサンシャイン…なんかも見たけど、私はそこまでよくはなかったです。

後半はもっと前に見た映画をまとめます。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

5月の鑑賞記録

 読んだ本

切破へ 井上荒野 

→ブログ書き済み

きみがぼくをみつける (サラ・ボーム)

→五月の個人的ベスト本。表現もテーマも何から何まで好みだった。もうなにもかけない。書けないけど一番好き。直感で買ってよかった。

大家さんとぼく 矢部太郎

→受賞のニュースで、すごく嬉しそうにしてたのが気になって。個人的にこの距離感は苦手なやつだったけど、大家さんの昔語りを喜んで聞いている矢部さんはいい人。いろんなことが苦手な感じが、のび太くんみてるような微笑ましい気持ちになる。

罪と罰1(光文社古典新訳) ドスト

TOKYO FM「人生に、文学を。」の又吉ゲスト回を聞いて。キャンベルさんが「又吉さんの主人公はすごく歩きますね。こんなに主人公が歩く作品は滅多にないですよ」と言っているのをきいて、自分の中で歩くといえばラスコーリニコフな記憶があって読み直したくなった。やっぱり彼もかなり歩いてる。1−2部(この巻収録分)は読んでいたらしく、覚えがあったが、さすが新訳なだけあってずっと読みやすい。あんなに分かりづらかった議論が、等身大の若者の会話として入ってくる。馬の場面はやっぱり痛切。ラスコーリ二コフとラズミーヒンのコンビは陰と陽感があってとてもよい。

恥辱 クッツェー

→重厚な読後感。恥辱に対して人はどう向き合うかというのがテーマだろうか。主人公がセクハラで処分されてもあまり反省してなくて、開き直ってるのが人を選ぶと思う。美しい女以外の存在価値がわからないとか言ってるし。ただ後半の怒涛の展開と試練から、彼の中で、わかりやすいかたちではなく、生命とか、孤独とか、苦悩とか、そういう「何か」への畏れ?のようなものが芽生えてくる。読み終わったときの感情を忘れたくない。年取ったら読み直したい。

水いらず サルトル

気になってた大学生のとき読まなかったの後悔した。体と精神がかけ離れてゆく感覚、醜いからだのなかでのたうちまわるしかない感覚に共感する。剥離していく。表題作、「壁」、「エロストラート」、「一指導者の幼年時代」みんな好き。でもとりわけ女性視点のお話がいい。サルトルボーヴォワールの映画をみたことがあるけど、こんなに女心を書ける人には見えなかったなあ…。哲学的な主張?も入ってるんだろうけど、それ以前に小説として、空間や世界観として好き。

オーディオブックで聞いたやつ

泥棒 夏目漱石

→日常の断片を切り取った感じで安心して聞ける。文豪の生活の一コマ

I can speak/ 待つ 太宰治

2話とも空虚感がとても好きだった。虚しい、哀しい。

夜長ノート 種田山頭火

種田山頭火ってこんなくらいこと考えてる人だったんだ、てなった 好きだ

 

見た映像

ナイトクローラー→記事書いた

ネバーランド→微妙だった、こういう厳しい祖母キャラとか母キャラの魅力がわからなかった、夢を信じることと現実を受け入れないことは違うのでは?ってずっともやもやした 子供を子供扱いすることが親の仕事じゃないと思ってしまう

ノルウェイの森記事済み

Scoop!福山雅治がひたすらチャラくてリリーフランキーがとにかく怖かった。二階堂ふみがずっと好きになれない。邦画の変わった女子ってだいたいこの子なのに。吉田羊は好き。

墓場鬼太郎(アニメ)→やっと完走できた。ブリガトーンが唐突すぎて話飛ばしたかと思った。幽霊電車と吸血鬼ジョニーの話が好き。妖怪いっぱい出てくると楽しいね。会話や展開の外連味がいい。

最終話の唐突な演出は嫌いじゃなかった。「死ぬのも・地獄へいくのも悪くない」で終わるのが鬼太郎らしい。ねずみ男って不老不死なんだね、それであのヒゲが不老不死の秘密なんだなあ。やっぱり地獄と人間界を自由に行き来できる妖怪は羨ましい。妖怪になりたいなぁ

八日目の蝉→数年ぶりに2度目を見た。前見たときは娘の視点でしか見れなかったけど、もうすぐ25歳って年で見ると希和子の気持ちがよりわかった。安っぽくなるのがいやなんだけど泣いてしまった。男の人がみんなくずでひどい。

 

好きな話をずっと突きつめると好きとかツボとしかいえなくて困ってます

そこまでじゃなきゃさらっとかけるんだけど 難しい

六月はとりあえず、犬が島と勝手にふるえてろは見たいです

それと、普段の読書と平行してなんでもいいからなにかおはなしのようなものを書きたいなぁ

 

 

女性の性についての映画〜「ノルウェイの森(2010)」感想

 

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原作:村上春樹 監督・脚本:トラン・アン・ユン 主演:松山ケンイチ

★★★★☆

 

やっと観ました。
レビュー見ると結構酷評多いですね。ハルキストとか、ノルウェイの森がすごく好きって人とかいて、原作とは比べものにならない、って結論が多い。コアなファンほどう〜んってなってる感じ。
私は、原作は10年くらい前に読んだかなって感じでした。それが却って良かったのかもしれない。ほどよく思い出しつつ、ほどよく新鮮に見れて。それに、当時中学生でまだ理解できてない点が多かったので、色々と新しい発見がありました。
評判より良かったです。あの上下巻を二時間でこれくらいやれたのはすごいと思うなー。
ポスターだけ良いのかなーとか思ってたけど、全編がポスター並み、それ以上の美しさでした。変にいやらしさがないのも良かった。最近気付いたけど、スローモーションとかこままわしとか苦手だ。
それでも、原作との齟齬を感じた点を書いて見ると。
・朝はやく起きてラジオ体操とかしてる極右(だっけ)のルームメイトはもうちょっと詳細あってもよかった、あのキワモノ感結構好きだった。
・永沢は無理があるw いや原作も充分こんな学生いないよって感じだったけど見た目からしてイタめのおっさんやん。。
・あれレズビアンっていうシーン削っちゃうんだ。でもじゅうぶん匂わせてたか。
くらいかな。
あと高良建吾いっつもこういう役な気がした。苦役列車の印象なのかなあ。ちょっとバタくさい顔立ちと、クリーンな雰囲気。
キャラ別に感想メモを書き出します。

■直子
 ずっと「私」「私」っていってるなあって思った。「わたしなりに感謝」とか、「わたしを傷つけたのはわたし自身」とか。視野が狭いね。視野が狭くて…自分だけでいっぱいいっぱいな感じ。精神病んでるというのはわかるけど。
うめき声とか泣き声がどんどん獣じみていくのがよかった。こう、何だろうね、こういう子いそうって思った。

■緑
 水原希子すごくハマってた。昭和レトロないでたちがとても似合う。濃ゆいレトロ感がオードリー・ヘップバーンみたいだった。スクール水着着てるとこはフランスの女優みたいだった。
ちゃんと口開けて喋ってくれないから何いってるかわからないところがあったけど、存在感が良かった。全能感というか、女王様というか、肉食系っていうか。
「愛してあげるの」ってところとか、自己中で。それがこの子の本質なのかなあとおもうけど。彼女は彼女なりに父親とかに抑圧されてて、振り切って生きようとしてる感じがした。

■ハツミさん
すごく印象的だった。緑と同じくらい雰囲気があっていたと思う。
成熟した女性だけれど。
シーンの後に「自殺した」ってことだけしか書かれない、情報量の少なさもいいと思った。余韻がすごかったから。
ナイーヴなひとだったのか。

 

■ワタナベ
マフラー似合うのでずっと巻いててもよろしいと思う。
すごくジェントルに勃起っていうのがちょっとおもしろかった。
ワタナベはなんでこんなに直子に惹かれるんだろう。見えてる沼な感じなのに。
病んでる女性に惹かれる男性、っていうので、「きいろいゾウ」のムコさんを思い出した。彼も小説家って設定で、ベビーフェイスで、マフラーやダッフルコートがよく似合う男性だった。それに、そういえば、あの病んだ女性の名前は緑だった。

 

■レイコさん
ワタナベと寝る前がすごく若くて艶やかに見えた。シーンごとに、その女性が映える色味の光を当ててるのかな。
原作読んだときも、なんでレイコさんとワタナベが寝るのか理解できなかったけど、やっぱりよくわかんなかった。「私がとらわれていたもの(?)」ってなんなんだ。レイコさんも患者らしいけどなんの精神疾患だったのか映画だとわからなかった。ほとんど直子のお世話係みたいだった。
ちらっとレビュー見たら、死の世界から生の世界へ〜みたいなことが書いてあったけど、もっと実感として、なんで寝たのか。多分、セラピーのようなものとしてのセックスなんだとは思う。直子の喪というか、弔いというか。
レイコさんが直子とくっついてるときの、ベタベタした雰囲気はちょっと苦手だった。女同士のああいう、三人目を排除するような雰囲気は苦手だ。ワタナベはよく平気だなと思った。

 

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直子と緑って正反対で、レイとアスカみたいだなって思った。
女の子が欲望むき出しで好きだった。「私あの時すごく濡れてたの」とか、「今度ポルノ映画に連れってくれない?」とか。なんていうか、そういうことって言えないから、苦しむっていうか。そういうことってあると思う。
ワタナベがなんでモテるのか、緑との電話のシーンでわかる気がした。緑が「ワタナベくんって優しいね」っていったとき、私も「ワタナベって優しいなあ」って思ってた。
ワタナベがなんで優しくみえるのか。女の子の欲望を否定したり利用しようとしたりしないからだと思う。鼻につく言い回し(直子に「ねえその、勿論っていうのやめてくれない?」って言われたときちょっと笑った)も大目に見てあげられる。

彼は勃起する。でも勃起するだけで、欲望を覚えてる女性のことを、征服したり、その体を使って自分を満たそうとしない。緑的にも、そんなことはされたくない。でも、自分の欲望を聞いてひっそり興奮してくれてるのは、ちょっと嬉しい。そういうことってあると思う。
直子との初めてのときはわからないけど…。でも、あれが彼女の心を毀してしまったなら、それを悔いるのは当然のことだよね。だから彼はそういう態度を取ってたんだろうか。
でも、「場所わきまえてくれよ…」って緑に言ったときは幻滅したし傷ついた。何でワタナベはそんなこと言えるんだろうって思った。ワタナベのそういう面を信頼してたのに、何なん、と思った。何で彼はあのときああ言ったんだろう、言っちゃいけないことばのはずだったのに。あんなスカした感じのくせに、今更TPOとか気にするんか。ダサい。

 

うまくまとめられないけれど、見ていて「ノルウェイの森」って、男性視点だけど女性のための話だって気がした。女性の性の話なんじゃないか。


直子とワタナベの最初のベッドシーンを見てて、「セックスって体のなかに侵入(はい)ることなんだな」ってふと思った。直子の大きなうめき声を聞いて。苦しげな。女の人は体の中に侵入されて身ごもって、体の外に排出して出産する。それってどういうことなんだろう。重すぎる大きな荷物だって人もたくさんいるんじゃないか。でも逆に、それってものを食べて、おしっこやうんちを出すのと何が違うんだろうとも思う。

ラストの「僕は今どこにいるんだろう」は、通して感じてきた空虚感みたいなものを口に出した感じがして、おかしいとは思わなかった。色々な意味で、今どこにいるのかわからなくて、わからないし、わからないでゆくのだろう。直子と、キヅキの穴を塞がれないまま。