にしのひがしの

小説家志望の女が本の感想を書いてゆくブログ。

『高い城の男』 P.K.ディック 感想

 

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頑張って一週間くらいで読みました。読みましたけど。

論点というか、主眼はどこなのか混交している印象が強い。ぼやけている。

ヒトラーとかユダヤ人のことなのか、易経のことなのか、政局のことなのか、戦勝国敗戦国間の人種的軋轢のことなのか、謎めいた小説・パラレルワールドについてなのか、絶対悪のようなものについてなのか。ディックが書きたかったのは、たぶんその全てが犇めく、混沌とした世界観、なんだろうけど。

この作品は、何かこう、作品全体がひとつの大きなまとまりをもって、確変を起こしていくんじゃないと思う。

ひとつひとつの事件は確かに絡み合い、ユダヤ人であるとか、易経であるとか、危うげな要素が、それぞれの人物の視点に顔を出している。でも起こるのは、ばらばらな小事件に近い気がする、予告に始まって予告に終わるというか。

易経と、あとは、『イナゴ身重く横たわる』ていう「小説」が支柱になっている。『イナゴ〜』は、この作品の世界、第二次世界大戦でアメリカ側が負けて、日本・ドイツが勝利している世界で出版された、もしアメリカ側が勝利していたら、という設定に基づいた詳細な小説。『高い城の男』は、この現実世界のパラレルワールドなわけだけど、さらなるパラレルワールド(現実世界)が、語られる。そういう構造になっている。

題名の『高い城の男』というのは、その小説の作者が、政府からの摘発を恐れて住んでいるとされる城。たとえば、そこに棲む、半ば狂った預言者のような、異界者のような男との対面がクライマックスなのかーーというと違う。それを期待して読んでたんだけど。案外普通の人のような作者から、その「イナゴ〜」は、易経を元に書かれたという簡単な説明がなされるだけ。

多分易経が味噌なんだと思う。でも、易経が生きているか死んでいるかといえば、多分死んでいる。易経は予言とか託宣とか、そういうものらしい。登場人物たちは結構盲目的にその易経を信頼していて、その託宣は謎めいてはいるけれど外れることはない。登場人物は生きて動くけど、易経は動かない。人格も感情ももちろんない。そこに何だか少し「あれ?」感があった。

「こちらの世界は間違った世界だ〜」みたいな文章が出てくる。絶対真理を指す易経にしたがって書かれたのが「イナゴ〜」だとしたら、それに反した『高い城の男』の世界はたぶん間違った世界ということなんだろう。

この小説の《テーマ》は一体なんなんだろう。小説全体で訴えかけられていることは、なくて、パーツで訴えかけられていることがあるような感じ。でも、なにか一方向に向かって進んでいく感じ、何かと何かを区別して分離させたいような潮の流れはあった。小説をめくり直して考えてみると、それは、私の言葉でいえば、「嘘と本当」だろうか。古美術商と贋作品。偽りの身分と実際の立場。建前と本音。あるべき世界と間違った世界。本当の歴史と、間違った歴史。

ヴァリス』のほうが作品としてはわかりよかった気もする。書いてあること自体は、狂人が書いた聖典のウェイトが多いし、視点が分裂するから意味わからないし、プロットも暴走気味だったりするけど、でもテーマ性はストレートではあると思う。

高い城の男はそのほかの設定を練って作り込みすぎた分、主題のピュアさじゃなくて、煩雑さ、読みづらさが出てしまった気もする…かも。

でも、ディックの小説はいっつも出だしがいい。初っ端の一文でどきっとして惹きつけられてしまう。生活描写がいいというか。精神病患者の女性遍歴でも、第二次世界大戦でアメリカが負けた世界で、日本人向けのアメリカの古物品を売っている店主でも、バウンティーハンターでも。始まり方が、精巧で魅惑的な世界が広がっている感じ、匂い立ってる感じがある。広大な世界設定とか、全知全能の存在とかがディック作品のテーマになってるけど、私は、むしろ生々しい心理描写とか、微細な表現とか、人物や生活のえがきだし方に惹かれる。『高い城の男』でも、政治高官の田上や企業代表役のバイネスより、小市民のジュリアナやフリンクが好きだ。それと、田上やバイネスのシーンの訳文の読みづらさは結構すごいと思う。原文がどうなってるか分からないけど、二行の文章で四字熟語が四個くらい出てきたりする。難しい敬語を使う場面が多いせいなんだろうな。

 

このへんで終わります。お読みいただきありがとうございました。

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